36 目を覚ますと
——夢を見ていた。
孤児院の前の野原には色とりどりの花がいっぱい咲いていて、みんな走り回ったり、花を摘んだり、思い思いに過ごしている。
クラウドはいつものように、数人の少年たちと木の棒をふるっていた。
『さあかかってこい! 魔物も竜もぜんぶ俺が倒してやる!』
『嘘つくなよクラウド。竜なんて倒せっこないだろ』
『わかんないだろ、そんなこと
『わかるよ。ぜったいに無理だよ』
『無理じゃない。はっきりしてるのは、あきらめたらぜったいに倒せないってことだ。そうでしょ、修道士様、院長先生!』
柔らかい春の日差しの中で、修道士様や院長先生が笑った。
『すべての人が、魔物におびえず、毎日このような笑顔で暮らせる世の中になればいいですね』
クラウドは、大きく頷く。
『はい! 俺、ぜったいにそういう世の中にします! みんなが笑って暮らせる、今日の天気みたいな世の中に!』
急に、暗くなった。
いや、暗くない。禍々しい明るさが夜闇を照らす。
『逃げろーっ、竜だっ、竜の炎が!!』
なぜこんなことに、と考える間もなく紅蓮の炎に囲まれる。
誰かが、約束を破ったから。
果物欲しさに、禁を破って森に入ったから。
だから竜を怒らせた。
火を噴き、人も家も家畜も、すべてを蹂躙する竜から逃げ惑う友。子どもたちを逃がそうとする修道士様と、院長先生が——。
「――っ!」
暗い。
しかし、魔物の舌のようにすべてを舐め尽くす炎の熱さや光はもう感じない。静かだ。目が慣れると、見慣れた寝台の天蓋が視界に映った。
(夢……いや、あれは)
実際にあった出来事。遠い昔の記憶だ。
起き上がろうとして、身体がひどく重いことに気付く。
(そうだ、俺はワーウルフの残党を追って)
アベルやルイスを少しでも休ませようと先に城へ返し、避難が遅れた領民たちを避難所へ誘導しつつワーウルフを殲滅していた。
わずかな隙だった。隠れていた最後の一匹に噛みつかれた。速やかに対処したが、牙が思いのほか深く食いこんでいたため腕が裂けた。
(我ながらけっこうひどい傷だったはずだが)
そのわりには、左腕に痛みが少ない。視線だけで追えば、きちんと包帯が巻いてある。見たことない巻き方だった。
そして腕の先にうずくまる、小さな影。
「エステル……?」
規則正しく上下する肩。ベッドの端に両腕をのせて顔を伏せているエステルは、寝ているのだろう。
なぜ、と思うと同時に、自分と周囲の状況を確認して理解した。
(俺を看ていてくれたのか)
サイドテーブルには、見慣れない薬瓶が置いてあった。
(エステルが手当てしてくれたのか?)
グスタフとアグネスによれば、エステルは城へやって来た日、荷物は革のトランク一つだけで、しかも中身はほぼ薬瓶だったという。
報告書によれば彼女は屋敷の隅の小屋にほとんど放置されていたようなので、もしかしたら自分で薬を作っていたのかもしれない。
(だが、だとしたら、相当な治療の腕だな)
傷の酷さを自覚していただけに、腕の痛みの少なさに驚く。
「……クラウド、様?」
小さな影がもぞ、と動き、ぱっと跳ねるように起きた。
「す、すすすみません! わたしったら寝てしまうなんて」
「問題ない。俺も今起きたところだ」
「そ、そうですか……あのっ、御気分はいかがですか? お水は?」
「水か。そうだな。飲みたい」
エステルはクラウドを起こそうと、自分の肩をクラウドの左腕の下に入れようとしたが、クラウドが顔をしかめたのであわてて手を止める。
「す、すみません、傷、痛いですよね。逆側から」
「……いや、いい。貴女には俺の体重は支えるのが大変だろう」
「いえっ、大丈夫です! わたしこう見えてけっこう力持ちですから!」
明らかに非力な細い腕をまくっているエステルに、クラウドは思わず笑みがこぼれた。
「口移しでもかまわないが」
「……え?」
「貴女が口に含んだ水を、俺の口に移す。それで俺はかまわないが」
「わたしの口に水を……で、それをクラウド様に………………。って、あの、そそそそれは」
言葉の意味を理解したエステルは、薄闇でもわかるほどに顔色が変わった。




