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26 ルイスのつぶやきと新婚夫婦の会話


 正直、驚いた。

 エステル・リヴィエールは見所がある。


 馬を降りるのを嫌がったら放置して帰ろうかと思っていたが、なんと文句も言わずにオレの後をついてきた。

 しかも、オレは親切とは言えない速さで歩いていたのに。

 あれで魔法使いだという話だが、ちょっと楽しみだ。

 もし、魔物を退治できるくらいの魔法が使えるなら、人手の足りないこの状況でかなり助かる。

 西の森をあれだけ歩ける体力があるなら、エステル様を戦力としてカウントできるってことだからな。


……おっと、だが、クラウドが許さねえかな。


 クラウドの奴、認めたくないのか無自覚なのか、傍で見てて痒くなるぜ。


 エステル様にワインは飲みすぎるなとか肉をもっと食えとかパンはこちらの種類もあるぞとか、アグネスよりも世話焼いてたし。オレの絡みに顔を赤くしていたし。

 これまで女なんて、星の数ほど言い寄られてきたクラウドが。

 どんな美女にもまったく無反応の無表情だったあのクラウドが。

 エステル様の前では口うるさくなったり嬉しそうに微笑んだりムッとしたり、表情がよく変わる。


 まったく信じられねえぜ。


 あれはもう、溺愛コース決定だな。





 こんなに楽しかったお食事は、何年ぶりだろう。

 アベル様やルイス様がいるからか、クラウド様も楽しそうで、たくさんお話しているみたいだった。

 クラウド様はわたしなんかにも気を遣ってくださって、お肉やパンをたくさん勧めてくれて。特にパンは、朝にわたしが美味しいと言った果物のパンを真っ先に取ってくださった。

 そういう御心遣いの一つ一つに、とても胸が温かくなった。


「うるさかっただろう。落ち着いて食事ができなかったのではないか」

 先を歩くクラウド様が肩越しに振り返った。


「アベルとルイスは俺が最も信頼する者たちだからエステルも早く打ち解けた方がよいと、アグネスが気を利かせてくれたのだが」

「は、はい、ありがとうございました! うるさいなんてとんでもないです! とっても楽しいお食事でした!」

「そうか?」

「はい。わたし、誰かと食事をすることがほとんどなかったので……」

「――ああ」


 クラウド様が暗い表情になってしまった。

 いけない、気を遣わせてしまったわ。

 なんとかわたしの嬉しい気持ちを伝えなくちゃ!


「あっ、えっと、だからその、うれしかったんです、とっても! 楽しいおしゃべりをして、美味しいお料理をたくさんいただいて……もう、これ以上の幸せはないというほどに。だから、うるさいなんてことまったくありません!」





 突然アベルやルイスと一緒に食事をすると伝えたのに、エステルは快く応じた。

 女性というのは、あまり慣れ親しんでない者と食事をするのは嫌だと聞いたことがある。上流貴族の女性は特に。

 だからエステルが不快だったら悪かったと思ったのだが。


『わたし、誰かと食事をすることがほとんどなかったので……』


 そうだった。迂闊だった。

 エステルは普通の公爵令嬢ではない。虐げられ、使用人同然の生活を強いられてきた。食事はほぼ残飯だったと報告書にあった。


 それなのに。

 俺の反応がつい暗くなってしまったら、気を遣うように『とても楽しかった』と言い募り、さらには、

『もう、これ以上の幸せはないというほどに。だから、うるさいなんてことまったくありません!』

 などと言って、ふわりと翡翠のような瞳を和ませたのだ。


――まずい、動けない。

 これまでどんな魔物に遭っても、竜と対峙したときでさえ、こんなふうにどうしていいかわからず思考も動きも止まる、などということはなかった。


 胸ばかりが苦しいような痺れるような感覚につかまれ、激しい音を立てている。

 なんなんだ俺は。どうしたんだ。

 どこか身体が悪いのか?





「あの……クラウド様?」


 心配で思わず声をかけてしまった。

 階段の途中で、クラウド様が止まったしまわれた。

 動かない……どうしたのかしら?


「何か、食堂にお忘れ物でも? わたし、取ってきましょうか?」

「――いや、そうではない。問題ない」


 なぜか逃げるように階段を上がられるクラウド様の後を、あわててわたしも付いて行く。


(どうしよう、クラウド様を不快にさせることを言ってしまったかしら)


 さっきまでのやり取りを頭の中で反芻していたわたしは、前を見ていなかった。


「わっ」

 硬い感触によろめいて、クラウド様の背中にぶつかったのだと気付いたとき――逞しい腕がよろめいたわたしの身体をサッと支えてくださった。


「も、申しわけございません!」

「いや……大丈夫か」

「はいっ、あのっ、ぼんやりしていただけですのでっ」


 すでに自分の部屋の前に来ていることに気付き、あわててクラウド様から離れる。御挨拶をしなくちゃ。


「あの、今日はありがとうございました。西の森への散策も許していただき、楽しいお食事の時間もいただいて」

「……れでよければ」

「え?」

「俺でよければ、これからは食事を一緒に取るようにしよう。誰かと食べることが貴女の楽しみになるなら」


 クラウド様に言われた言葉を頭の中で繰り返すこと、しばし。


「あ、あ、あ、あの、わたし」

「嫌なら、無理には――」

「嫌なんてとんでもないですっ! あの、ぜひっ、わたしでよければお食事を御一緒に! お願いします!」


 もう何てお返事したかもわからない叫びが口から飛び出して。

 夢中すぎて、ついクラウド様のお顔を見上げて、食いつくように言ってしまった。


「――わかった。ではそのように。おやすみ」

 クラウド様は足早にご自分のお部屋へ行ってしまわれたけれど、わたしは嬉しすぎてその場に立ちつくしてしまう。


 わたしは、ハッと自分の両頬を押さえた。


「ど、どうしよう、わたしきっと、かなりニヤけていたわ……!」

 クラウド様にだらしない顔を見られてしまった。恥ずかしい……!





「――危なかった」

 俺は自分の部屋の扉を硬く閉めた。

 お食事を御一緒に、と花開くように笑ったエステルを、思わず抱きしめそうになった自分が信じられない。


 政略結婚で俺のような辺境伯に嫁いできたエステルにしてみたら、初夜の仕打ちでもう俺と男として見ることなどないだろう。

 そんな俺がいきなり抱きしめたりしたら、ただの変態ではないか。


 どうかしているぞ、俺は。

 相手は政略結婚の花嫁だ。礼儀をわきまえねばならないし、花嫁は手に入れた権威。そこで関係は終了している。


 これ以上深くは考えまい。


 領地経営の安定やら人手不足やら魔物退治やら、考えねばならないことは山ほどあるのだからな。




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