24 ざわつくポニーテール
玄関ホールに鋭く宙を斬る音が響く。
気迫とともに繰り出される一閃は、たとえ木の棒であっても当たれば命とりになりかねない。
だからアベルは、ルイスが剣のトレーニングをしているときは、玄関ホールの離れたベンチで書物、もしくはその日の領内視察に必要な資料を読んでいる。
今日は前者だ。
「二人とも、待たせたな」
クラウドが階段から下りてくると、二人は手を止める。
「今日はガレアの東に点在する村に行くんだったな」
「はい。三つありますが、東の地域は竜退治を歓迎していたので、今日の視察は穏やかかと」
「そうか。忙しいところさっそくで悪いが、エステルと西の森へ行く者を決めなくてはならない」
「へえ、見た目によらず、けっこう活動的だな」
ルイスが汗をふきながらやってきた。
「きのうの今日でもう西の森へ行くって? 大した度胸だぜ。ワーウルフに一飲みにされそうな細身だってのに」
「ああ見えて芯が強いらしい。助力を求めてくるかと思ったが、探しているものは危険でないこと、探すのに魔法が使えることが必須であることを言ってきただけだ」
「では、記憶の花という名も、エステル様からは」
「ああ。何も聞いてないな。本人が話すまで待つしかないだろう――ああ、エステル、来たか」
乗馬服に荷物を背負い、髪をポニーテールにしたエステルが階段の上からあわてて頭を下げた。
「お待たせして申しわけございません!」
不安そうな顔で降りてくるエステルを待ち構えて、ルイスが片膝をついて両手を広げた。
「昨日は御挨拶もできずに失礼いたしました! オレはクラウド様が最も信頼している騎士、ルイスと申します!」
「あ、あの、エステル・リヴィエールです。どうぞ、よろしくお願いします」
小さくお辞儀をするエステルをじっと観察していたルイスは、目を細めてうんうんと頷く。
「いやあ、いいねえ。可憐な花のような御方だ。よかったじゃねえか、クラウド!」
「うるさい」
「エステル様、こいつは不愛想で気の利かない男ですが、容姿と剣の腕はこの国一番ですから。まあちょっと性格がアレなところもありますけど、仲良くしてやってください!」
「黙れ。おまえに頼まれなくても大丈夫だ」
「えっ、それってすでにもう仲良しってこと? うわっ、新婚のノロケか!」
「……殺すぞ」
鋭い目で睨むクラウドと、まったくそれを意に介さないルイス。二人の間でエステルがおろおろしていると、そこにアベルが入ってきた。
「ルイス、クラウド様をからかうな。すみませんエステル様。この者はこんな奴ですが、戦闘能力は確かです。西の森へお供するには心強いかと」
「あ、ありがとうございます」
「どうしますか、クラウド様。先ほども申し上げたとおり、東の地域は我々に友好的です。クラウド様が西の森へ行かれても大丈夫ですが」
クラウドはエステルを横目で見て、すぐに視線を逸らした。
「ルイスに行ってもらう。二人は必要ないだろう。俺は領内視察へ行く。アベルは俺と来い」
「よろしいのですか?」
「東の地域は友好的だが、最初が肝心だからな。領主が行ったほうが心象がいい」
「はあ、まあそうですが……ルイス、いいか?」
「おう! オレはもちろんいいぜ! 地域の枯れた長老たちより可憐な貴婦人を眺めていたほうが潤うからな!」
「ルイス、まさかとは思うがおかしなことをするなよ? エステル様、ルイスは俗な言い方をすると『チャラい男』でして。お気を悪くされないでください」
「気を悪くなんて、そ、そんなことないです。わたしこそ、お忙しいのにご迷惑かけてすみません」
「いーえいえ、まったく気にしないでくださいね! じゃ、お宝探しにさっそく行きましょうか!」
エステルを促してルイスは行ってしまった。
「まったく、相変わらずやかましい男だな……クラウド様? どうかされましたか?」
「……いや、なんでもない。我々も行くぞ」
踵を返したクラウドの背中に、アベルの躊躇うような声が追ってくる。
「あの、クラウド様」
「なんだ」
「馬寄せはこちらかと」
食堂へ行きかけていたクラウドはぴたりと止まり、そのまま無言で方向を変えると外の馬寄せへ向かってずんずん行ってしまった。ものすごいスピードで。
「お、お待ちください! クラウド様!」
アベルはあわてて後を追った。
馬寄せで待っていた愛馬に近付き、その首筋を撫でてやりながらふとその尻尾を見る。
(ポニーテールというのだったか)
婦女子が長い髪を高い位置で一つにまとめる髪型。馬の尻尾に似ているからその呼び名があるそうで、町でも田舎でもよく見かける髪型だ。
それなのに、エステルがあの髪型をしていたことに心臓が大きく高鳴った。
「どうということはない。エステルのことが気になるのは当たり前だ。数日前まではいなかった闖入者なのだからな。特別な意味はない。うんそうだ。特別な意味などあるはずがない――」
「クラウド様?」
急にアベルが背後から言ったので、クラウドはぎょっとした。
「な、なんだ! いるならいると言え!」
「はあ、先ほどから声をかけておりましたが……」
気まずい沈黙。
「そ、そうか。ごほっ、すまない」
「いえ……あの、大丈夫ですか、クラウド様?」
「まっったく問題ない。行くぞ!」
シュヴァルツの手綱を握って先行する主に、アベルは苦笑した。
「やっぱり、西の森にはクラウド様に行っていただいた方がよかったかな……」
♢
ルイスが馬上で振り向いた。
「だいじょうぶです? もっとゆっくり進みましょうか?」
「いえ、これくらいで大丈夫です! 」
エステルも馬に乗っていた。ルイスに馬の乗り方を教えてほしいと頼むと、厩で小さめの馬を勧めてくれた。
城内の敷地内なら安心だからと、ルイスは自身も馬に乗ってエステルに乗り方を教えてくれていた。
「お、エステル様は筋がいい。馬にも慣れてるし、すぐに乗れるようになりそうだ!」
上機嫌で馬を進めていたルイスが手綱を引いて止まった。
「ま、どのみち西の森へは馬じゃ進めませんからね。ほら、西門が見えてきました」
城の敷地の最西端、昨日エステルが魔法で解錠した門にたどり着く。
「あ、開いたままなんでどうぞ」
馬を繋ぎ、門をくぐる。大きな錠がごろん、と転がったままになっているのを見て、エステルは身を縮めた。
「あ、あの……すみませんでした」
「いーえいえ。気にしないでください。オレたちも貴女に隠し事をしないで済んだからよかったのかもしれないし。特にオレは苦手なんでね、隠し事。すぐ顔に出るタチなんで」
「は、はあ……」
「今はトレンメル領になったこの地域は、昔から竜の被害がひどかった地域なんすよ」
西の森へ入り、昨日エステルが通った道とは反対の道を行きながら、ルイスのおしゃべりは止まらない。
「竜はこの西の森に棲んでいた。西の森には昔から不思議なことがたくさんあるそうでね。不思議な魔草、魔獣の類も多い。ガレアの町や周辺の村の民は竜におびえつつも、その恩恵にあずかって生きてきた。だから西の森を怖れると同時に神聖な場所として崇めている。つまり、西の森をきちんと管理できる者がこの地をうまく統治できると言っても過言ではないっちゅうことです」
淡々と話すルイスからは、どんな感情も読み取れない。エステルは話に耳を傾けつつ、周囲の繁みや岩場を観察する。
(清い泉が湧き出ているところに、記憶の花はあるのだから)
周囲に何気なく咲いている花や植物は、よく見れば魔草が多い。この地の魔力の高さを示している。
「てことで、クラウドは領地経営の目標の一つに、この西の森を完全掌握することを掲げているんですよ。そうすることで、すべての民へ平等に森からの恩恵をいきわたらせるってね」
「恩恵……薬草などの魔草をですか?」
「それもありますけど、――ああ、見えてきた。あれです」
ルイスが指し示す先を見て、エステルは息を呑んだ。
「きれい……!」
そこは、鬱蒼と茂る木々が開けている場所だった。
すり鉢状に陥没した地面の底はガラスのように透明な岩になっていて、まるで星屑でも散りばめたように輝いている。
「魔石鉱泉です」
ルイスがにやりと笑った。




