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23 御一緒に朝食を


「おはようございます、エステル様!」

「お、おは、おはようございます……」


 アグネスさんの元気な挨拶に、わたしはしどろもどろで応じる。


「どうした。座ったらどうだ」

「は、はい……」


 辺境伯様――クラウド様は、ごく自然にわたしに声をかけてくださった。

 でも、でも!

 わたしとしては心の準備が!!


 テーブルには昨日と同様、あふれるように美味しそうなお料理が並んでいる。

 昨日とちがうのは、しっかりと二人分のカトラリーとお皿がセッティングされていること。


 こ、これは、朝食を御一緒に、ということよね?

 まさか、クラウド様が朝食の席にいらっしゃるとは思わなかった……。


 昨日は私より先に召し上がっていらっしゃった。そもそも昨日はわたしが起きるのが遅かったのだけれど、クラウド様はお忙しそうだし、初夜のことを思えば、きっとこの先もわたしと食事を御一緒にはしないだろうと、勝手に思っていたから。


 心臓の音がうるさくて、クラウド様に聞こえたらどうしようと思うとさらにバクバクが止まらない。


 だって! こんなに綺麗な方と御一緒に食事なんて、わたしには無理だわ!


 向かい合ったクラウド様は、何かの書類に目を通しながらティーカップに口を付けている。

 その動作は落ち着いていてとても上品で。

 書類を追う紫色の切れ長の瞳、朝陽を浴びて輝く銀色の髪、幾多の戦闘をきりぬけてきたとは思えない白皙の肌。長い指でティーカップや書類を手に取る姿は、わたしが数えるほどしか見たことのない貴公子の方々よりもずっと素敵で。


 向かい合って座った人にこんなに目を奪われていては食事どころではない。


「どうした?」

 気が付けば、クラウド様はわたしを怪訝そうに見ている。

「気分が優れないのか?」

「い、いいえ! 元気です! すごく!」

 わたしの勢いに長い睫毛がしばたかれ、形のいい唇がわずかに笑んだ。

「そうか。ならばいいが。その格好は、今日も西の森へ行くつもりなんだろうからな」


 その通りだ。

 今日は衣裳部屋から、乗馬用のズボンとシャツをお借りしてみた。

 わたしは乗馬なんてやったことはないけれど、昨日の一件で、トレンメル領で暮らすなら馬に慣れた方がいいと思ったからだ。


「はい。それと……あの、もし時間があれば、馬の乗り方も教わりたいのですが……」

「ほう。馬に興味があるのか」

「は、はい。動物は好き、です。馬のお世話も……馬は、優しくて賢くて、可愛い動物です」


 普通なら、公爵令嬢が馬のお世話なんて、有り得ない。

 でも、きのうのお話では、どうやらわたしがリヴィエール家で受けていた扱いについて、クラウド様はすべて知ってしまったようだった。

 だからもう取り繕わず『公爵令嬢にふさわしくないわたし』をありのままお見せしようと思う。

 それでもし、クラウド様に嫌われることがあっても……仕方ない。

 自分をありのままお見せすることが、何も持たないわたしがクラウド様に示せる、せいいっぱいの誠意だから。


「そうか。世話ができるなら、すぐにでも貴女用の馬を準備しよう」

 クラウド様はふわりと微笑んだ。

 そのままの端麗な顔でわたしを柔らかく見つめてくださるので、わたしは目のやり場に困って視線をさまよわせる。

 こんなに身体じゅうが熱いのだから、きっと顔も赤くなっているにちがいない。恥かしい……。


「さあさあ、お話のお続きはお食事をしながらどうですか? スープの準備もできましたから、冷めないうちに召し上がってくださいな」

 元気なアグネスさんの言葉にハッとして、クラウド様は準備された食卓に向かって神への祈りを捧げる。わたしもそれに倣った。


 わたしは心の中で、神だけでなくクラウド様にも感謝を呟いた。

 悪女でニセモノの公爵令嬢であるわたしに、昨日の夜も今も、こんなに優しく接してくださることに感謝せずにはいられない。


 そうしてお祈りをすると、さっきまでの驚きと緊張はどこかへいってしまって、目の前の美味しそうなお料理の数々にわたしは心を躍らせた。





 対話をするには、食事を共にするのがいい。

 そう思って、今朝はエステルが来るのを待っていた。


 エステルはなぜか顔を真っ赤にして立ちつくしていたが、具合が悪いのではないという。俺と一緒に食事をするのが嫌……というわけでもなさそうだ。


 アグネスが準備してくれた衣装は痩せすぎのエステルには少し大きく感じるが、たくさん食べて太ればちょうどよくなるだろう。


 俺が考えていることが通じたのか、祈りの後、エステルは目を輝かせて食べ始めた。


 あの日見た幸せそうな表情。カトラリーを溌溂と扱うエステルに、俺まで胸が温かくなった。


 何を食べても「美味しい」と本当に美味しそうに呟くエステルにアグネスも嬉しそうだ。

 しかも、流れるような所作で小鳥のように食べているのに、あっという間に皿がきれいになっていくのだから、給仕しがいがあるというものだろう。

 見ているこちらも、とても気持ちがいい。


「クラウド様!」


 気が付くと、アグネスがニコニコと笑って俺を見ている。

「食後は、紅茶とコーヒーと、どちらになさいますか?」

「そうだな……コーヒーを頼む」

「かしこまりました」


 行きかけたアグネスが、そっと俺に耳うちする。

「クラウド様、今朝はいつになくお顔が緩んでいらっしゃいますねえ。エステル様に見惚れてしまうお気持ちもわかりますけど、ちゃんと召し上がってくださいよ」

「なっ……」


 俺は思わず自分の頬に手をやった。緩んでいる? まさか。そんなはずはない。


「どうされたのですか?」

 エステルが心配そうに手を止める。

「――問題ない。食事を続けよう」


 俺はつとめて冷静に言うと、パンを皿に取る。

 少し考えて、エステルの皿にも同じパンを置いた。


「あ、ありがとうございます! そ、その……そのパン、食べてみたかったのです」

 干した果物がたくさん入ったパンの籠は、俺の前に置いてあった。きっと遠慮したのだろう。

「そうか。この辺り特有のパンだから、王都のパンとは味がちがうだろう。どうだ?」


 ゆっくりと口の中でパンをかみしめていたエステルの顔が、ふわ、と花開くように笑んだ。


「とっても美味しいです。干した果物の甘味がパンにほどよく染みていて」

「そ、そうか」


 その微笑みに思わず目をそらしてしまったが、即座に俺はパンの籠を手に取る。


「遠慮せずにたくさん食べるといい。ほら、もう一つどうだ?」

「は、はい、あの、ありがとうございます」


 エステルはきょとんとしつつも、うれしそうにパンを手に取った。その動作から一瞬も目が離せない。


…………何をやっているんだ、俺は。



 あの微笑みがもう一度見たい、と思っている自分に気付いて、とたんに顔が熱くなった。

 






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