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22 二日目の夜、二人は。


 エステルは、ぼんやりとベッドに腰かけていた。

 今夜も月が美しい。月光は部屋を仄白く照らすほど明るく、灯りはサイドテーブルの小さな燭台でじゅうぶんだ。

 王都で見るより大きく美しい月に、しかしエステルは背を向けて座っていた。


(わたしは、考えが足りなかったわ……)


 記憶の花をさがす。そのために魔法使いになる。

 ずっとそう思い詰めて、あの屋敷の中で魔法が使えることを必死で隠して。

 そうやって生きてきたからか、結婚ということを重大なことと受け止められていなかった。


 単純に浮ついていた。魔力を湛える土地へ行けば、記憶の花を探せるのだと。


 結婚した相手やその家、周囲の人たちへ迷惑をかけることになると、もっと想像するべきだった。

 それができてれば、嫁いで早々こんな騒ぎを起こさなくて済んだだろうに。


 クラウドは言動こそ厳しかったが、結局、エステルをあれ以上問い詰めることはしなかった。

(あの場で殺されても、おかしくなかったのに)


 冷酷辺境伯、という言葉が脳裏をよぎる。


(ちっとも冷酷なんかじゃないわ)

 アベルやもう一人の騎士らしき男性も、主であるクラウドを敬愛しているのがあの場だけでも伝わってきた。

(皆さん、辺境伯様を良い主だと思っているんだわ。アグネスさんだって)


 サイドテーブルには、燭台と一緒に大き目のカップが置いてある。カップからは、優しいハーブの香りが立ち昇っている。

 よく眠れるようにと、アグネスが用意してくれたものだ。


(あんなことがあったのに、アグネスさんはとても優しかった……)

 昨日と変わらず、てきぱきとエステルの世話を焼いてくれ、髪を梳き、笑顔で他愛ない話をしてくれた。グスタフも変わらない穏やかな笑顔で、暖炉に火を入れたり湯殿の準備をしてくれるかたわら、この辺りの地理について語ってくれた。


 ここの人々の優しさに救われると同時に罪悪感が襲う。


(ほんとうにわたしは、悪女だわ)


 エステルが何度目かわからない溜息をついたとき、廊下側の扉を叩く音がした。


「は、はいっ」


 急に上げた声と同時に、扉が静かに開いて長身の人影が入ってくる。


(辺境伯様!?)

 まさか来るとは思っていなかったので、夜着姿のクラウドにエステルは動揺する。

 自分もすでに支度を終え、夜着だった。昨夜のことが思い出されて、恥ずかしさと恐怖で身がすくむ。


「そちらへ行ってもよいか」

「へ!? はは、はいっ」

 気遣うような声に、エステルはさらに動揺して勢いよく立ち上がった。


 その拍子にサイドテーブルにぶつかった。


「!」

 息を呑んだのは、クラウドの素早い動きと身体が触れ合うほどの距離のせい。

 エステルにぶつかって揺らいだサイドテーブルを、クラウドが押さえてくれていた。


「す、すみません!」

「問題ない。――座れ」


 言われて、エステルはベッドに腰掛ける。


 クラウドは傍らにあった二つのサイドチェアに手をかけていて、ベッドにちょこんと座ったエステルを見てやや困惑の色を見せたが、仕方なくエステルの前に立った。


「貴女の処遇について、少し話してもいいか」

「は、い」

「貴女にはしばらく、許可が出た時以外は城から出ないでほしい」

「はい」

「ただし、城の内側からなら、西の森に自由に行ってもいい」

「え……」


 にわかには信じられず、エステルは目を瞠った。


「い、いいんですか?」

「条件がある。俺か、アベルかルイス。いずれか一人以上を同行すれば、西の森へ行くことは自由だ。無論、探したい物があれば探すがいい」

「…………」

「不服か?」

「い、いえっ、不服なんてそんな」

「それとも貴女の探し物は、我らに見られてはまずい物なのか?」

「…………」


 記憶の花を一緒に探してください。

 そう言えたら、どんなにいいだろう。


 しかし、嫁いで来た身で、しかもどうやら辺境伯にしてみれば、エステルの父や王家の思惑がちらつくこの結婚は決して快いものではないのに、この上エステルの身勝手な願いをどうして押しつけることができるだろう。


「あの、私の探し物は、けっして危険なものではありません!」

 これが今のエステルに言える、精一杯の誠意の言葉だった。

「探すことを許してくださって、ありがとうございます」


 立ち上がって深々と頭を下げたエステルに、静かな声が降ってきた。


「聞いてもいいか」

「?」


 顔を上げれば、クラウドの紫色の瞳がじっとエステルに向けられている。しかし、それはいつもの鋭さや険しさのない、穏やかなものだった。


「なぜ魔法が使えることを隠していた?」

「それは……」


(ここで話さなくては、こんなに寛大な処置をしてくださった辺境伯様に申しわけないわ)


「……実は、わたしの母も魔法が使えました」

「ほう?」

「でも、母はずっとそのことを隠していました。母はわたしにも才能があると言い、魔導書を遺してくれました。勉強して、魔法使いになるように、と」


 エステルはぎゅっと手を握りしめる。


「それともう一つ……西の森で探したい物のためでもあります」

「魔法が使えないと探せない物なのか」

「魔力を湛えた土地にしか無い物なので、探すには魔法が使えることが必須なのだそうです」


 てっきり「何を探している?」と聞かれると思ったが、クラウドは「そうか」と言っただけで、それ以上追及してこなかった。

 だからだろうか。エステルは、さらに言葉を続けていた。


「実は、わたしが魔法を使えることは父も知らないのです」

「なんだと?」

「わたしは、その……父たちとは離れて暮らしていました。だから、隠れて魔導書を解読し、魔法の訓練をしました」

「そうだったのか……」

「父は、母が魔法使いだったことも知らなかったかもしれません。ですから、わたしが魔法を使えることは、どうか父には内緒にしてほしいのです。勝手なお願いだというのはわかっています。でも、どうか、探し物が見つかるまでは……お願いします」


 クラウドの寛大さに甘えていると思った。

(ああ、やっぱりわたしは悪女だわ……)

 そう思っても、エステルは懸命に頭を下げずにはいられなかった。





 この感情をなんと呼べばいいのだろう。


 目の前で頭を垂れる姿に、きゅうと胸がしめつけられる。


 報告書で読んだ彼女の境遇は、悲惨なものだった。

 残飯を食べ、使用人同然に扱われ家事をこなす日々。とても公爵令嬢といえる生活ではない。

 おまけに、継母から日常的に身体的虐待を受けていた可能性がある。

 病弱が理由で社交界に出ていなかったのも、おそらくリヴィエール公爵の嘘だろう。


 そんな生活の中で、彼女は亡き母の遺言を守り、魔法の訓練をしていた。


『記憶の花』が一体何なのかも気になるが、それよりも彼女の必死な思いに心が打たれた。


 こちらに深く頭を下げる肩は震えていた。

 月光に照らされた黒髪に、真珠のような七色の光が揺れる。


—―美しい。


 思わず髪に手を伸ばしたとき、その手に気付いたエステルが息を呑んで身を引いた。


「も、もう、申しわけ、ありませんっ……」


 見開かれた瞳には深い悲しみと恐怖が映っている。


 ああそうか、と昨夜の事とつながる。

 急に触れられることは、彼女にとってはきっと、継母からの虐待を思い出させることなのだ。


 それなのに、俺はなんということをしてしまったのか。

 悔やんでも悔やみきれない。


「謝るのは、俺のほうだ」

「え……?」

「昨日はすまなかった。事情を知らなかったとはいえ、ひどいことをしてしまったな」


 俺は床に膝を付け、大きな目をさらに大きく見開いている彼女を見上げた。


「でも、安心してほしい。俺は、貴女を傷付けたりしない」

「辺境伯様……」


 彼女の胸の前で所在なく開いたり閉じたりしている手のひらを、そっと手に取る。


「政略結婚であっても、仮にも夫婦だ。クラウドでいい」


 手に取った小さな手は、白くて華奢で、しかし令嬢には有り得ないほど荒れてあかぎれている。


 その痛々しさに、思わずそっとその手を握りしめた。

 その傷と共に、彼女の心の傷も治ることを願って。


「はい、あの、ク、クラ、クラウド様……」

 小さく呟いた彼女の頬は、月明かりの中でもわかるほど赤く染まっている。

 しかし、さっきまで彼女の身体にあった震えは、完全に止まっていた。

 




 何が起こったのか、すぐには理解できなかった。

 辺境伯様が謝られて、床に膝をついている。


 月明かりに照らされた銀色の髪はいっそう輝きを増して、わたしを見上げる紫色の瞳は吸いこまれそうなくらい綺麗で。


「でも、安心してほしい。俺は、貴女を傷付けたりしない」


 わたしは、崩れ落ちそうになるのを必死で耐えた。

 こんなに安心したことは、今までない。


 メアリやベンはわたしをいつも慰めて、励ましてくれた。そのおかげでわたしはどんなに救われたことだろう。

 でも、それとはまた違う、圧倒的な包みこまれるような安心感に、わたしは身体の力が抜けて、今にも座りこんでしまいそうになる。


 けれど、辺境伯様がわたしの手をそっと取ったので、身体に緊張が走ってしゃきっとした。

 それはイザベラお母様にぶたれる前のような嫌な緊張ではなく、温かく身体をめぐる甘い痺れにも似た感覚。


 クラウドでいい、と言った辺境伯様は、わたしの手を労わるように優しく握ってくれる。くすぐったいような、うれしいような、言いようのないふわふわとした気分になる反面、こんなに荒れた手を見られていることが恥ずかしい。


 それなのに、うれしさのあまり、思わず本当に辺境伯様の名を呟いてしまった!



 顔が沸騰しそうなほど熱い。きっと、わたしはひどい顔をしているだろう。

 ど、どうしよう、もういろんな意味で辺境伯様のお顔をまともに見れないわ……!

 

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