21 花嫁の処遇について
「聞いたか? ここに置いていただけないでしょうか、だってよ。健気だねえ」
クラウドの私室。ルイスはソファに無造作に腰かける。
猫科の肉食獣を思わせる飄々とした所作はいつも通りだが、その表情は硬い。
「あんなにおどおどしてんのも、痩せすぎなのも、虐待されてたっていうなら納得だ。これはオレの勘だが、花嫁は自分で言った通り魔石鉱泉のことなんか知らないんだろう。もしリヴィエール公爵に何か吹きこまれてたら、ここに来たときにもっと挙動不審だったと思うぜ。なんとかしなくちゃ、とか自分を追いこんでな」
「私もそう思います」
アベルは青鳥からの報告書にもう一度目を通して、テーブルに静かに置いた。
「この情報は、魔石鉱泉のことは知らないというエステル様の言葉を裏付けるに値するかと」
ルイスとアベルは、沈思するクラウドに視線を向ける。
クラウドは、昨日からのことをずっと考えていた。
(あの瞳は、虐待ゆえだったのか)
深い悲しみと恐怖を湛えた瞳。これまで、戦場で、辺境の地で、幾度と目にしてきたあの瞳。
理不尽な暴力と運命に翻弄され、疲れきった瞳だ。
クラウドの乱暴な扱いに抗わなかったのは、従順というより習慣。虐待が日常的だったのなら、暴力に対して受け身なのは頷ける。
(心無いことをしてしまったな)
花嫁を疑わなくてはいけなかったとしても、もう少し対話をすればよかったのかもしれない。
(知らないから疑心が生まれ、必要以上に相手を警戒し、行動が過激になる)
だから戦場では、敵や標的の魔物の情報を麾下の者たちにきちんと伝え、無用な殺傷を極力控えるように配慮してきた。できる限り、敵や戦場となる土地の者と対話するようにしてきた。
(少し対話を心掛けてみるか)
花嫁の扱いを戦場と同じく考えている自分の不器用さに、我ながら苦笑する。
「クラウド様? どうされましたか?」
「いや、なんでもない。話を進めよう。エステル・リヴィエールの処遇についてだが、やはりしばらくは城から出さない方がいいと思う」
「っつてもなあ、魔法使いがここにいない現状、オレたちには花嫁を縛れない。なんたってむこうは魔法使いサマだからな。魔法で攻撃されたら太刀打ちできない」
「――おそらくエステル様は西の森で『記憶の花』という魔草を探したいのだと思います」
聞きなれない単語にクラウドとルイスは首を傾げる。
「記憶の花ぁ? なんだよ、それ」
「死者や精霊と交信できるという、幻の魔草です」
「なぜエステル・リヴィエールがそれを探していると?」
「図書室に御一緒した際、エステル様は辞書の中で『記憶の花』に関する解読言語を調べていました」
「その魔草が西の森にあるのか?」
「おそらく。私も見たことはありませんが、図書室の文献によれば『記憶の花』は魔力を多く湛えた土地に群生するそうです」
「竜の棲み処だった西の森なら、有りうるということか」
「はい。エステル様は『記憶の花』を見つけたいという固い決心をお持ちです。それが見つかったら死んでもいいと言うほどに」
それまでの気弱な様子や華奢な外見からは想像もつかない強い態度で、彼女は「死にます」と言い切った。
それほどに『記憶の花』を探したいのだろう。
「確かにな」
「その決心でエステル様を拘束するのです。すなわち、エステル様には条件付きで西の森を自由に散策することを許可する」
「条件とは?」
「クラウド様かルイスか私、いずれか一人以上との同行です」
なるほど、とクラウドが呟き、ルイスが指を鳴らす。
「それいいな! オレたちは魔石鉱泉の視察と周辺整備のために西の森には行かなきゃならん。西の森は魔法使いだけじゃ太刀打ちできない状況も多い。護衛という名の見張りってことだな!」
「確かに、城にただ置いておくより、我々の業務への影響も心理的負担も少ないだろうな」
「ええ。エステル様が『記憶の花』を探す目的はわかりませんが、かの魔草が我々の利害と一致しないことはほぼ確かでしょう。これまで魔物の追討や村や町の事後処理に追われて、魔石鉱泉の視察が思うように進んできませんでした。これを良い機会と捉えて、いっそエステル様と西の森を調査しましょう。魔石鉱泉のことだけでなく、西の森にはまだ謎が多いですから」
アベルの言う通りだ。
どう考えても『記憶の花』という魔草が魔石鉱泉の権益に関わっているとは思えない。
なにかごく個人的な事情で、エステル・リヴィエールはその魔草を探しているのだろう。
「では、それで決まりだ」
実母の死後、虐げられて使用人同然の生活をしてきた娘。
おどおどとした態度、痩せすぎな身体、少ない荷物は、すべてそれらの情報を裏付けている。
一方で、食堂でパンをするりとたいらげていた幸せそうな微笑みや、溌溂とした様子が、クラウドの脳裏に焼き付いていた。
(あれが本来の姿なのだろうか?)
そう思った自分に驚き、動揺する。
今まで他人に、それも女性に対して、個人的興味など一切持ったことなどなかったのに。
「てことで、やっぱり御主人様の出番だよなー」
「なに?」
ニヤニヤするルイスに、困ったようなアベル。二人を交互に見てクラウドは嫌な予感がする。
「その、さっそく明日から決定事項を実行するとなると、エステル様に情報共有が必要になります」
「そうだな」
「私やルイスがエステル様の御部屋へうかがうには、もう夜も遅いのでちょっと……」
アベルの言わんとすることを察して、クラウドは一気に胸がざわついた。
今はもう、食事を摂り、入浴をする時間。クラウドたちもそうしなくては、明日の予定に差し障る。
つまり、エステルへ処遇を告げて情報共有を促すのはクラウドの役目ということになり、そうなると今夜も寝る前にエステルと対面しなくてはならない。
一瞬でも微かでも「本来の姿はどうなのだろうか」と興味を持ったことに動揺したばかりだ。二人きりで顔を合わせるのはなんとも気まずい。
しかしそんなクラウドにお構いなして、ルイスは軽やかにソファから立ち上がった。
「じゃ、そういうことで後はよろしくな、クラウド」
「申しわけありません、クラウド様」
「おまえら、あのな——」
無情にも、扉は閉まる。
部屋に一人残されたクラウドは、大きく息を吐いた。