17 西の森へ
「……やっぱりそうよね」
大きな錠のかかった門の前でわたしは思わず溜息をついた。
予想はしていた。けれど硬く閉じられた門を前にすると、ここまで迷子になりながらかなりの距離を歩いてきた苦労が思われる。
「ここがお城の西門で間違いないとは思うけど」
アグネスさんが教えてくれた通り、この辺り一帯は野菜がたくさん植えられている。それが目印だった。聞いておいてよかった。
「でも、この門を開けられなくてはここまで来た意味がないわ」
重そうな錠を手に取ってみる。
実際に重い錠をひっくり返すと、裏に小さい紙片が貼り付けてある。
そこには見慣れた紋章が刻まれていて、わたしはハッとした。
「魔法符による封印だわ!」
普通の鍵なら力業で壊さねばならず、それはわたしには不可能だろう。でも、魔法なら。未熟だけどなんとかなるかもしれない。
「これは火の紋章……火魔法の封印ね。ならば水魔法で対処だわ」
錠を握って意識を集中する。
刹那、青い光が手に現れ、錠がかちり、と音を立てた。
「うまくいった……!」
初めて外の世界で魔法を使った。
実家では魔法が使えることを隠さなくてはならなかったため、魔法を使った実習は小屋の中か、小屋の外のごく狭い範囲に限られていた。
だから、自分の魔法がきちんと作用するかとても不安だったのだ。
魔法符は王都の道具屋では普通に売られている物だ。きっと、多く流通しているさほど魔力の高くない魔法符だったのだろう。
それでもホッとした。
今まで、秘かに一人で魔法の訓練に励んできた日々が報われる思いだ。
門の外側へ一歩踏み出すと、そこにはもう木立の茂りがある。わたしは思わず足を止めた。
「う、わあ……」
まるで緑の海のようだ。
高台に建つトレンメル城に隣接するこの辺りから、眼下に見える町や村までなだらかな傾斜。それに沿って、森もなだらかに広がっている。
進めば進むほど森は深いのだろう。深い緑の景色が奥まで、そして彼方まで広がる風景に思わず目を細めた。
「広い森ね」
竜が棲んでいたというのも頷ける。
その森の上を風が吹き渡っていく。波のように大きくなったり小さくなったり、奇妙な音がする。
この高台から吹き下ろす風の音だとわかっていても、それはどこか魔物の鳴声を思わせた。
わたしは震えそうな肩を両手で抱いた。
「やっとここまで来たんだもの。怖くなんかないわ」
少し震える足を叱咤して前へ進む。
「今さらなにを怖がるの。わたしは……皆さんを、辺境伯様を騙している悪女じゃないの」
そう。わたしは自分の目的のために人を騙す、悪い女だ。
おびえて中途半端で投げ出したら、悪女の自分に騙されている辺境伯様たちに申しわけない。
「それに、わたしの魔法、ちょっとは通用するってわかったもの。だいじょうぶ。きっと森を歩ける」
強く自分に言い聞かせるといつの間にか震えは止まっていた。
わたしは、どんどん木立の奥へと進んでいく。
♢
俺は愛馬に鞭を入れ続けた。
これ以上はないくらい愛馬シュヴァルツは疾駆していた。ただでさえ速い馬だ。この城外からガレアの中へ戻るのにそう時間はかからないはず。
「頼む、間に合ってくれ」
ワーウルフの群れを追い立てる際、数頭が群れから離れてガレアの城壁内へ入ったのが見えた。ルイスも気付いたようだが、閉じかけた城門内にゴブリンを入れまいと必死でとても手が回らない。グスタフたちも同様だった。
「まったく俺としたことが……どうかしている」
いつもなら町の中に魔物を入れてしまうなどという失態はやらかさない。
きっと、昨夜ほとんど眠れなかったせいだ。
寝る前にあんなものを見たからだろう。
月明かりの薄闇の中、白い頬を伝っていた涙。
あれは嘘泣きではない。初夜がどうこうという乙女じみた涙でもない。
あれは、これまでの討伐生活の中でたくさん見てきた顔と同じ。
とてつもない深い悲しみと、ぬぐうことのできない恐怖を湛えた瞳。
だからこそ、胸を突かれた。
「――いや、騙されるな。公爵令嬢は魔石鉱泉を乗っ取るつもりで来ているのかもしれないのだから」
竜の脅威に脅かされてきたこのアストラス山麓一帯の地に、やっと安寧が訪れようとしてる。
この土地を守るのだと、俺は《《あのとき》》神父様に誓ったのだ。
竜に脅かされない地にするのだと。そうでなくては、俺をかばって天に召された神父様は、死んでいった無辜の民は浮かばれない。
俺はこの領地をこの国で最も住みやすい地に変える。そのためにこの身を、命をかけてきたし、これからもそのように生きる。
冷酷と言われようと竜退治に反対する山の部族とも戦ったし、必要ならば魔物も根こそぎ駆逐した。
すべてはこの土地の安寧のため。民の幸せのために。
だから今、ガレアの中で怪我人を出すわけにはいかない。
自分の社交性の無さ、不愛想さを自覚している。
また、冷酷辺境伯とか血みどろ伯爵とささやかれ、恐れられていることも。
だから、態度で示すしかないと思っている。
民を守ろうという領主としての覚悟を、ぜったいに魔物に領民を襲わせないという行動で示してきた。
おかげで、少しずつ協力的な村が出始め、ガレアの有力者たちも俺の、俺たちの話に耳を傾けてくれるようになっている。
急がなくては。もう城門はすぐそこだ。
「大丈夫か! ルイス!」
城壁にこびりつくゴブリンを引きはがしていたルイスが、にやりと笑う。
「ちょっとひやりとしたがな。ま、もう平気だろ」
「ガレアの中は。ワーウルフが数頭、中に入っただろう」
「あの状況でそれが見えていたとはさすがだねえ」
ルイスはゴブリンを遠い場所に放り投げる。そこに待機していたヨン、トム、ロニーがゴブリンと格闘していた。初級騎士にとって、ゴブリンは良い練習材料だ。
「門が閉まったあと、アベルに青鳥を飛ばした。今頃来てんじゃねえかな」
「アベルが来たなら大丈夫だと思うが……俺は一応、中を見てくる。ここを頼む」
「おう、後片付けは任せろ」
グスタフが城門を開閉してくれた。
町の中はしん、としていた。皆、教会へ避難したのだろう。
狭い路地をも確認しシュヴァルツを歩かせていると、向こうからアベルが馬を繰ってきた。
「すまない、アベル」
「いえ、とんでもございません。クラウド様こそ城外から戻ってきたのですか?」
アベルは驚きに目を瞠る。
「ワーウルフ四頭を仕留めました。おそらく入ったのはそれで全部です。念のため見回りますが、あとはお任せください」
「だが」
「そのかわりと言っては何ですが、クラウド様には城のことをお願いしたいのです」
「城? 何かあったのか」
「それが……私の予想が正しければ、今頃、公爵令嬢は城の敷地内から西の森を目指していると思われます」
「なんだと!?」
「詳細はあとで。西門は魔法符の錠が掛かっているので大丈夫とは思いますが、なぜ西の森へ行こうとしていたのかを問いたださねばなりません」
「……そうだな。わかった。俺は城へ戻る」
あれほど、西の森へは行くなと言ったのに。
「やはりあの娘、リヴィエール公爵と王からの回し者なのか」
ふくらむ疑念と苛立ちを抑え込み、俺はもう一度シュヴァルツを走らせた。