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14 アベルさん


「こ、これを全部食べてもいいんですか……?」


 夫婦の居間に用意された朝食を見て、わたしは思わず声を上げた。


「もちろんです。おかわりもありますよ!」

 とアグネスさん。

「でも……」

「エステル様が食べてくださらないと、あたしがクラウド様に叱られてしまいますから。さあさあ、お座りになってください」

 アグネスさんはわたしを大きな椅子に座らせ、湯気の立つスープを前に置いてくれた。


 そういえば、辺境伯様も食事をきちんと摂るようにっておっしゃっていたわ。

 よくわからないけれど、食べることは大事だし、こんなに美味しそうなご飯を残したりしたら神様に叱られてしまうわね。


 野菜と肉の旨味がぎゅっと濃縮されたスープに、焼きたてのふんわりとしたロールパン。

 それだけでも残飯を食べて生きてきたわたしにとってはじゅうぶんに御馳走なのに、ぱりっとしたレタスや青々とした青菜が和えられたサラダ、いろんな種類のハム、こんがりと焼いたソーセージ、中からとろりとしたチーズがとろけるオムレツに、カゴに盛られた果物などなど……

 わたしは許されればたくさん食べてしまうけれど、この御馳走はとても全部は食べきれない。


「もうお腹いっぱいです」


 わたしがお腹をさすると、アグネスさんは豪快に笑った。


「うん、けっこう召し上がっていただけましたね。よかったよかった。お次はお召替えですよ」


 そう言ってアグネスさんはわたしの部屋へ行くと、奥の小さな小部屋に入っていった。


「わあ……すごい!」


 そこは衣裳部屋で、たくさんの衣装が掛けられていた。ドレスはないけれど、さまざまな丈や色のワンピース、ブラウスやスカート、それらに合ったアクセサリーや靴など、マリアンヌの衣裳部屋にあったような物がたくさんある。

 わたしには手が届かないとあきらめていた物ばかりだ。



 朝食といい、衣装といい、昨日までの暮らしを思えば夢のようで。

 辺境伯様はいろいろな噂がある方だというし、昨日の夜のことを思い出すと身がすくんでしまうけれど……悪い人ではない、ように思える。


 たしかに、冷たくて鋭くて怖い空気をまとった人だと思う。

 でも、ここへ来る前に聞かされた、人でも魔物でも容赦なく斬り捨てる、というような冷酷な人ではないような気がする。

 わたしのような、政略結婚でやってきた美しくもないみそぼらしい娘に、食事や衣装のことをこんなに気遣ってくださるんですもの。



「これは臨時に用意した物なんですよ」

「ええ!? こんなにたくさんあるのに!?」

「クラウド様に言われて、あたしが王都の衣装屋に注文したんです。あたしはこれでも一応、さる伯爵家でメイド頭をしていたことがあるんでねえ」


 どうりで、と私は納得した。あまり人がいないのにお城の中がきちんと回っているのは、アグネスさんの手腕なんだ。


「花嫁がくるから、ってクラウド様に突然言われて差配を任されたのは光栄でしたけど、たいへんでしたよ。クラウド様からは花嫁は公爵令嬢で16歳、としか言われなかったんですから」


 アグネスさんはわたしを見て、大きく頷いた。


「でも、エステル様ならきっとどれを着てもお似合いになりますよ。さ、お好きな衣裳を選んでくださいな」


 わたしはさんざん迷って、シンプルな白いブラウスに濃い茶色のフレアスカート、そしてブーツを選んだ。


 お城の中を探索するには、動きやすい服装でなくてはね。





 わたしが洗濯やお掃除を手伝うと言うと「お気持ちだけでじゅうぶん嬉しいですから!」とアグネスさんに断られてしまった。

 お昼まではまだまだ時間がある。


 だから、午後から始めようと思っていたお城の探索に出かけることにした。



 お城は左右対称に作られているようで、玄関ホールから左右に回廊が伸びている。

 

 一階には昨日の食堂と厨房、パーティー用の大広間に談話室、応接室。それからいくつか湯殿に客間もかなりの数があった。

 王都のリヴィエール家の屋敷を一回り大きくしたような作りになっているから、広くても意外と迷うことはなかった。


 全体的に、やっぱり装飾品や調度品が少ない。

 ほとんどの部屋は、お掃除はされているけれどがらんとしていた。


 すべての部屋を見ていたら一日ではとても足りなさそうなので、一通りの構造だけを確認して、わたしは目指す場所を探す。


 それは図書室。


 お母様が遺してくれた魔導書は古語で書かれていて、わたしが魔法の鍛錬に必要だった箇所は解読できているけれど、まだ手付かずの章もあった。


 その中に、わたしにとっていちばん重要なことが記された章がある。

 記憶の花と死者と話ができる儀式に関する章だ。


 実家の図書室で、お父様やイザベラお母様がお出かけされているときに少しずつ調べていたけれど、まだ解読できていない頁が残っている。


 このお城に図書室があるなら、ぜひ古語の辞書を見つけて調べたい。


「図書室は、ええっと――」

「図書室なら、こちらですよ」


 いきなり後ろからささやかれて、わたしは飛び上がりそうになった。


 そこには、鳶色の髪と瞳で、背の高い青年が立っていた。

 乗馬用の服を着ていていかにも軍人風だけれど、鎖で吊るされた片眼鏡モノクルが知的な印象を与えた。


「はじめまして。私はクラウド様の側近の一人でアベルと申します」

 彼は手を胸にあてて、柔和に笑んだ。

 にこやかな人だけれど、じっと観察されているような気がして、気後れしてしまう。

 きっと、あんなに綺麗な辺境伯様には不釣り合いだと思ったのだろう。


「は、はじめまして。エステル・リヴィエールです」

「はは、そう警戒なさらず。私は今日は城の留守番を仰せつかっているんです。エステル様がお困りのようならお助けするようにもね」

「はあ……」

「さ、図書室に興味がおありなのでしょう? ご一緒にまいりましょう」


 アベルさんは先にたって歩き出す。

 悪い人ではなさそうだけど、どうしてわたしが図書室に行きたいってわかったのかしら。

 わたしは不思議に思いながらも、アベルさんについていった。


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