13 次の日の朝の二人
「う……ん」
まぶしい光に自然と目が開く。
ぼんやりと見上げれば、豪奢な金細工の花が散る天蓋が目に飛びこんできた。
「…………!?」
わたしはすぐに起き上がった。
大きなベッドの上に座っている自分に気付いた瞬間、昨夜のことが脳裏をよぎって青くなったり赤くなったりする。
「わたし、あのまま寝ちゃったんだわ」
夫婦の寝室で夜伽をせずに一人で寝てしまったなんて。
「ど、どうしよう! わたし、なんていうことを」
イザベラお母様の言う通りにできなかったばかりか一人で寝てしまっていたとは、とんだ失態だ。
辺境伯様はきっと怒っていらっしゃる。
追い出されたら困るという気持ちと、うまく言えないけれど「申しわけない」という気持ちでいっぱいで、いても立ってもいられない。
「あやまらなくちゃ」
ベッドから飛び出て、辺境伯様のお部屋へ続く扉を開けようかどうしようかと迷い、金色のドアノブに手をかけた――そのとき。
「きゃあ!?」
強い力で扉が引かれ、どん、と何かにぶつかって身体がよろけて――だけどすぐに大きな腕がそれを支えてくれた。
「辺境伯様!」
辺境伯様はわたしを抱きかかえたまま目を見開いた。
「何をしている?」
「あ……」
そのときわたしは、自分が夜着のままだということに気付いた。
辺境伯様はすっかり身支度を整えていらっしゃるということも。
簡易な鎧装備に、剣を佩いている。それが輝く銀色の髪によく似合っていて思わず見惚れようとして――自分のだらしない格好に思い至ってあわてて視線を逸らした。
そうだ、あやまらなくちゃ!
恥ずかしくて早くここから立ち去りたいけれど、扉を開けようとした目的を思い出してなんとか足を踏んばり、頭を下げた。
「申しわけございません!」
「…………は?」
冷たい返答に胸が痛くなって逃げたいけれど、わたしはがんばって言った。
「あの! 一人でその……広いベッドで寝てしまいまして! わたしが部屋へもどれはよかったのに、その」
「俺の部屋のベッドは大差ない大きさだ。問題はない」
辺境伯様は軽い咳払いをする。
「俺は出かける。悪いが、貴女にかまっている時間はない」
「は、はい、まったく、ぜんぜん、わたしのことなど気になさらずに!」
「昨夜言ったことは、覚えているな?」
わたしは思わず、顔を上げる。
紫色の鋭い双眸がわたしに注がれていた。
領民の前では夫婦としてふるまうこと、領主の妻としての務めを果たすこと。
そして、西の森へは絶対に行かないこと。
「はい、覚えています」
「ならばいい。好きにしていろ」
行きかけた辺境伯様が足を止めた。
「あと、必ず食事をきちんと摂るように。朝も昼も必ずだ。いいな?」
「? はい、わかりました」
辺境伯様は今度こそ行ってしまった。
「……食事???」
どうして食事のことをおっしゃったのだろう。
よくわからないけれど、食事をたくさん摂ることで辺境伯様のお怒りが解けるなら、一生懸命食べよう。
「ああっ、そういえば! 『おはようございます』も『いってらっしゃいませ』も言っていなかったわ!」
自分の新たな失敗を思い出し、わたしは頭を抱えた。
♢
「有り得ない」
玄関へ向かいながら思わず呟く。
俺は自分が言った言葉をこれほど消し去りたいと思ったことはない。
「なんで俺があの娘の食事を心配しているんだ!」
きちんと食事を摂るように、なんて言うつもりは毛頭なかった。
だいたい、なぜあの娘はあの扉をあのタイミングで開けようとしていたんだ!
俺の動きを計っていたのか?
いや、違うだろう。
あれは完全に寝起き、素の状態だった。
寝ぐせはひどく、夜着の乱れも直していなかったではないか。
その華奢な姿を思い出して顔が熱くなる自分にまた苛立つ。
「お、来たなクラウド」
玄関ホールで鍛錬用の棒を振るっていたルイスがニヤッと笑った。
「元気そうだな。初夜の後だからいろいろと忙しくてさぞお疲れかと思ったが」
「くだらないことを言うな」
「おお? 顔が赤いじゃねえか」
「うるさい! 馬の用意はできているのか!」
「はい、もう外で待機しております。行きましょうか、クラウド様」
長椅子で資料に目を通していたアベルが立ち上がり、俺と並んで歩く。
「ルイスの言うことはともかく、花嫁が病弱というのは本当でしたか?」
アベルには引き続きリヴィエール公爵家の動向とエステル嬢について調査するように言ってある。だからアベルも気になっているのだろう。
「きのうのあの食べっぷりでは、そのようには見えませんでしたが」
「まだよくわからない。素なのか思惑があるのか判断しかねる。健康的な身体とは言えないのは確かだが」
「やっぱりいろいろと忙しかったんじゃねえか」
後ろからルイスがニヤニヤと追いついてきたので素早く肘を繰り出すが、ルイスはそれをさらりと避ける。
「まったくおまえは……ただの身体検査だ。何もしてない。第一、あんな折れそうに細い女はお断りだ。抱いたら死んだ、などという事態になったらシャレにならん」
「なんか心配の方向が違うようにも思うが……そんなに痩せてんのか」
「ああ。《《公爵家の娘とは思えないほど》》にな」
馬寄せ場が見えてきた。アベルの馬がないのを見て、俺はアベルを振り返る。
「では頼んだぞ、アベル」
「はい。もう一度、花嫁について調べます。公爵家がついている嘘についても」
「嘘をついた理由もはっきりさせろ。もしあのエステルという娘が公爵家の令嬢ではない、などということが後になってわかったら取り返しがつかん。この婚姻が正しく成立してこそ、この領地領民を守れるのだから」
「相変わらず領地領民思いの領主サマだねえ、うちの主は」
ルイスがからかうように口笛を吹いて、馬に飛び乗った。
「じゃ、昨日の続きといきますか。新婚の主に魔物退治をさせるのも気が引けるが」
「うるさい。くだらないことを言ったことを今日の魔物狩りで後悔させてやるからな」
「おおこわ」
ルイスは肩をすくめて、馬を進めていった。
「アベル、リヴィエール家への調査と並行で、花嫁を見張ってくれ。よく言い含めたから大丈夫だとは思うが、もしおかしな真似をしたらすぐに捕らえろ」
「かしこまりました」
俺は愛馬に飛び乗り、手綱を操ってルイスを追いかけた。