12 グスタフとアグネスの会話
城内の見回りを終えたグスタフは、厨房へ向かっていた。
式は挙げていないものの、今夜は主が花嫁と初めて過ごす夜。
多忙な主とはいえ、今夜ばかりは執務卓には向かわないだろう。
灯かりや夜食の用意もしなくていいのに厨房へ向かったのには、理由があった。
「おやグスタフ、どうしたんだい。みんなもう休んだよ。あんたも今夜はもう休んで大丈夫だろうに」
アグネスは一人で皿を拭いていた。他のことはヨン・トム・ロニーに手伝わせるが、皿は割られたらかなわないと言って、いつもアグネスは最後に一人で皿を拭いている。
「アグネス。エステル様のことなのだが」
アグネスは一瞬、皿を拭く手を止めて、再び手を忙しく動かす。
「晩餐が進まなかったのはグスタフのせいじゃないさ。気にしなさんな」
「いや、そのことではなく……」
「何か問題でもあるのかい?」
皿を拭く手は止めないが、アグネスがちゃんと話に耳を傾けてくれていることは長年の付き合いでわかっていたので、グスタフは思い切って言った。
「うむ。到着されたときも、御者はエステル様の荷物を投げるようにして行ってしまったのだ。公爵令嬢が付き人も侍女も連れず、御者だけで送られてきたことにも驚いたのだが……」
「うんうん。それで?」
「こんなことを言ってはなんだが、身に付けていらっしゃる衣装も公爵家令嬢にしてはとても質素だ。あんなにお美しいのにひどく痩せていらっしゃるし、時折、とても何かに怯えるような御様子だ。晩餐のときも、クラウド様のお顔色をそれはそれは気にしている御様子でな」
片付け終わった食器を戸棚にしまい、アグネスは厨房を一回り見てからダイニングの椅子に座って大きく伸びをした。
「痛たた……ふう、今日も一日終わったわ。それで? グスタフのもやもやの種は一体なんだい? あたしには包み隠さず言えばいいじゃないか。一緒に修羅場を切り抜けてきた仲だろ?」
「うむ……」
慎重なグスタフらしく、口にしていいものかどうか、まだためらいが捨てきれない。
「エステル様には不自然なところがおありになるし、なにかを隠していらっしゃる御様子だと。それで、アグネスの意見も聞いてみたいと思ってな」
「そうさねえ、確かにエステル様は不自然さね。あたしたちのまかない飯をあんなに喜んで食べてくださるところも、髪を梳かすのに、ちょっと引っかかっただけで震えていたところも。ああいう反応をする子どもがどういう扱いを受けて育ってきたのかはだいたい想像がつくけどね」
「では……アグネスも虐待を疑っているのか」
「まあね。ただ、それを口にするのは公爵家への不敬にあたるし、だいたいエステル様がお可哀そうさ」
「たしかにそうだな」
グスタフはエステル・リヴィエールという少女に好印象を抱いていた。
身なりや痩せすぎな外見をのぞけば、あの立ち居振る舞いは本物の貴婦人に劣らない。素直で誠実そうな態度も好ましく思っている。
「あんたもわかるだろ。エステル様のお育ちがどうであれ、あの御方は純粋無垢な御心の持ち主だよ。人を思いやる優しさもおありだ。だからあたしは、ここでエステル様がお幸せになってくれればいいと思っているけどね」
「そうだな。確かに、クラウド様のような真面目で純粋な方に寄り添うには、ぴったりな御方だと私も思うよ」
竜を退治するという偉業を成し遂げたクラウドは、まだ先を見続けている。
領内へ出かけるときも、執務卓に向かっているときも。為したいことは終わっていない、とクラウドの背中は言っている。
竜を倒すまでも苦難の道だったが、その後もクラウドは何かに向かって邁進し続けていた。
そんなクラウドだからこそ、討伐隊にいた者たちのほとんどがクラウドに従った。王都で準備が終わったら、皆このトレンメル領へやってくることになっている。
その者たちが来れば、魔物狩りも今のようにクラウド自ら行かなくてもよくなるだろう。あと少しの辛抱だ。
「働きすぎだからな、我らの主は」
「そうさね。不器用なほどに真面目だからね。クラウド様は」
アグネスは笑った。
「あたしはさ、エステル様がクラウド様を変えてくれるんじゃないかって、そう期待してるんだよ」
グスタフも同じことを思っていた。
政略結婚であっても、忙しすぎるクラウドにとって、少しでもエステルとの生活が癒しになればいいのだが、と。