11 クラウドの思考
自室に戻ると灯かりはなかった。
グスタフもアグネスも、今夜は俺があちらの寝室で過ごすと思っていたのだから仕方ない。
燭台に火を灯そうして手を止めた。
月が明るい。
窓を見上げるとほぼ満ちている月が天高くあって、室内は月明かりを仄白く映している。じゅうぶん視界がきく。
ふと、さっきの白い華奢な肢体を思い出した。
「泣かれるとはな」
後味が悪い。
あれは噓泣きではない。理由はわからないが、彼女は本当に泣いていた。
政略結婚の初夜など義務だ。だから抱いてもいいと思ってはいたが、まるで俺が犯そうとしているような状況に思わず身を引いた。
それに、目的はだいたい終えたから良しとした。
今宵の目的は、身体検査だった。
気のゆるみやすいベッドの中で、 寝首をかかれるのも、口付けされて薬を仕込まれるのもごめんだった。
だから事前に身体を調べようとした。仕込み武器、毒、その他暗器になりそうなものがないか、じっくり観察したつもりだ。
が、それらしい物は見当たらなかった。
「時間をかけて籠絡、という手を考えているのか?」
リヴィエール公爵の目的が魔石鉱泉の利益にあるのだとしたら、俺を籠絡しろと娘に言い含めていそうなものだ。
初めから色仕掛けだと見破られると思ったのだろうか。
ずいぶんと従順で初々しい反応だった。
「というより、怯えているというのが近いか」
食事中もずっと俺の様子をおどおどと窺っているようだった。夕方に食堂で見たような溌溂とした様子はなく、食事もあまり進んでいなかった。
「それとも、やはり具合が悪かったのか?」
ベッドの上で、病弱というのが本当なのかどうかも確かめておきたかったのだが。
「自分でも病弱だとは言っていたが、病弱というよりあれは――」
16歳ということだったが、身体の発育が年齢に追いついていない。
あばらや背骨も浮き出ていたし、鎖骨も出過ぎていた。もちろん、胸もささやかすぎるほどで。
「――そう、貧弱だ」
魔物討伐の遠征中、国境付近や辺境の地で嫌と言うほどたくさん見てきた栄養失調の者の身体。充分に食べていない人間の身体。
エステル・リヴィエールの身体は、それだった。
「美しいだけに、痩せているのが憐れだな」
容姿は驚くほど良い。
顔の造形も、七色の輝きを放つ黒髪も、痩せすぎの肢体さえバランスが取れていたし、肌は雪花石膏のようで思わず触れたくなる。
俺が今まで見たことのある女性の中で――先日の王都凱旋の際に謁見した王の后や王女たちですら――あれほどの美貌の持ち主はいなかった。
「……まあ、彼女の容姿などどうでもいいが」
エステル・リヴィエールとの結婚は形であり契約だ。領主の妻として、公爵家の権威で民を引きつけてくれればそれでいい。
「それにしても奇妙な娘だ」
『期待しないでくれ、貴方たちが思っているような人間ではない』
彼女はそう言った。
あれはどういう意味なのか。
政略結婚だということは彼女もわかっているはずなのに、期待しないでくれとはどういうことか。
俺たちが彼女をどう思っていようが、彼女には関係ないのではないか。
「あちらが何を隠しているのかはすぐにわかりそうにもないな」
思ったより公爵家の思惑を知るのに手間取りそうなことにうんざりしつつも、まあいいかと思う。そのうちボロが出るだろう。
民の信頼を得て、魔石鉱泉が順調に稼働し、魔物を駆逐すれば、領地経営は安定するだろう。そうなれば、公爵家の権威がなくともやっていける。
これは、こちらの方が優位な婚姻関係だ。よけいな心配はしなくていいだろう。
明日はまた、魔石鉱泉の視察と魔物の駆逐に行かなくてはならない。やらなくてはいけないこと、考えるべきことは他に山ほどあるのだから。