第2話 自治区(5)
ナドーラ最上甲板、航空機用エレベーター。
紺色と水色の濃淡二色迷彩色という珍しいカラーリングを纏ったヘリコプターが、数名の整備作業員に囲まれ、メインローター(回転翼)を低速回転させてエンジンの暖気運転を行っていた。
細くなっている機体尾部を開放式エレベーターから船外へ突き出した状態のまま、第三甲板の倉庫から上ってきたこのヘリコプターは、HLC-200型中型汎用ヘリコプター、通称“ハウンドスリング”。
ニウ・ナドル有数の航空機メーカーであるハロルド社製で、その汎用性と頑丈さで数多くのバリエーションを持つ、回転翼機のヒット作である。
ナドーラは、これを輸送連絡業務用と救難救助用の二機装備していて、コナウィンが機付長を務めるこの機は、機体左右のスライド式キャビンドア部に“ドアガン”が一基ずつ、機体下部には12mmガトリング砲が一門、更に外部搭載用キットを装着することで各種装備の追加もできる本格的な戦闘仕様機だ。
軍のガンシップ仕様と大差のない重武装タイプのこの機を輸送連絡業務用と言って良いのかはわからないが、とにかく社の資産名簿では連絡用なのである。
民間船がこんな装備も持つのも準戦時国の宿命、というか儲け話には危険度を省みず、すぐに喰らいつくCW社では必須装備なのかもしれない。
その機体の脇で整備員と二言三言会話を済ませたコナウィンは、大きく開いた左のキャビンドアから機内に滑り込んだ。
幅2m以上はあるだろうか、輸送定員12名という仕様書通り、結構広いスペースがある。
機内会話用のヘッドセットを手にしたクフィンが、カーゴ(荷室)最後部の簡易座席に座って待機していた。
頼むよ、といったニュアンスでコナウィンの肩を軽く叩いたクフィンは、赤い髪にヘッドフォン型の通信機を被る。
機体のすぐ上で回転するローターの風切音など様々な騒音で、機内は相当にうるさい。ドアを開け放ったままの機内では、通常の会話は相手に声が届かないのだ。黒Tシャツにワークパンツの、私服姿のままでキャビンに座る赤髪にヘッドセット姿のクフィンには、場違い的な違和感を覚えるが。
軽く頷いたコナウィンは、機内前方に向かい並列配置の操縦席の右に座った。左席では、コナウィンと同じ青いフライトスーツにヘルメット、偏光サングラス姿の男が、発進準備に追われている。
操縦者用ヘルメットをつけたコナウィンは、周囲のいくつかのスイッチを操作した後、口元の小さなマイクに話しかけた。
「待たせた?」
ヘルメットに内蔵の無線スピーカーからクフィンの声が返ってくる。
『ナースに見つかるから格納庫通らないで上ってきたら、早く着いちまった』
「ああ、荷役中だもんね」
『んだ。見つかったら拉致られるだろ』
軽く吹き出す。
「んじゃさっさと飛ぶよ」
『そうしてくれ。いつ現れるかと思うと、気が気じゃねぇ』
了解、了解、と一人笑うコナウィン。
ヘルメットの左側に手を当て、機内通話と通常交信を切り替える。
「ハウンドスリング一番機からナドーラ管制、どうぞ」
『ハウンドスリング一番機、こちらナドーラ管制です、メリット(無線感度)良好、どうぞ』
ザ、と一瞬雑音が入った後に返事が飛んできた。今日の管制官は女性の様だ。
「こちらもメリット良好。テストフライト予定時刻です。許可を」
『テストフライト了解。フライトリクエストに変更はありますか』
「搭乗員、機付長コナウィン・ラーズ、副操縦士アルベルト・ヒューゲン。コールサイン『ガンシップ1(ワン)』、変更ありません」
『了解。ラーズ係長、ヒューゲン主任。ガンシップ1の発艦を許可します』
コナウィンは、左席の副操縦士に指でGOサインを出し、前方を向く。
機体前方に立つ作業服姿が、両手に持った誘導ライトを頭上に上げている。
それに向かって右手の親指を立て、いつでもどうぞの合図。
作業員は周囲を二度三度見廻し安全確認した後、頭上に上げていた両手の誘導ライトを、しゃがみながら身体の両脇に振り下ろした。
コナウィンの左手がスロットルを開いていくと、エンジン音と風切音が一気に大きくなる。腹に響く轟音。
機体後部だけが持ち上がり前のめりになり、そのままの姿勢で斜め前方へ浮かび上がるハウンドスリング。ゆるく旋回しながら快晴の空目掛けて一気に高度を上げていく。
コナウィンの足元の強化ガラス越しに、ナドーラの姿が見えてくる。
船の前方だけ先細りに丸くなっていて、あとは広大な飛行甲板で埋め尽くされているのがわかる。
甲板の右隅に追いやられて申し訳なさ気に立っているのは艦橋と煙突か。
飛行甲板の左側だけが大きく斜めに飛び出していて、実際より船の幅を広く見せている。何度見ても無骨なイメージしか沸かない船だ。
そのナドーラも、やがて地図の様に広がっていく地表の様子の中に溶け込んでいく。規定高度に達したハウンドスリングは水平飛行に移った。
機体の挙動が安定したのを確認したコナウィンは、無線スイッチを切り替えた。
「今朝は、クフィンのおかげでエライ目に遭ったよ」
食堂での一件のことだろう。
前席中央の天井最前部に設置されている、操縦士用後方確認ミラーに映るクフィンに向け話し掛けると、カーゴ席にシートベルトで身体を固定しているクフィンが、頭を掻きながら謝っているのが見えた。
『悪い悪い。フィアに言っていい“ネタ”じゃなかったよな』
「クフィンに悪気がないのはフィアも十分わかってると思うけどね」
『だといいけどな』
「なあ、クフィン」
手元の対地ナビゲーション画面へ目を落とし、現在地を確認するコナウィン。
「やっぱり、正規社員登用は受けるつもりないの?」
『今はな』
「フィア、いつでも上に掛け合うって息巻いてるよ」
『あはは。ありがたい話だ』
クフィンは、CW社の正式な社員ではない。
数年前、運輸部が危険エリアを含む資源輸送業務へ就くことになった際、各艦に自衛用の航空戦力も保有することが決まり、その中には汎用性と戦闘力の高さを買われた数機の垂直離着陸戦闘機も含まれていた。
しかし、民間企業であるCW社には、ヘリコプター操縦員はいたが戦闘機を飛ばせる人間がほとんどいなかったのである。
自社製作機のテストを行う開発部試験運用課に数名のテストパイロットがいたが、彼ら試験パイロットも実戦経験はなく、特殊な技能を要する垂直離着陸機の操縦員となれば、尚更人材が不足していた。
即戦力となる戦闘機パイロットを急ぎ必要としたCW社が募集、雇用した戦闘経験者の中に、クフィンがいた。アモーガと共に契約社員として採用されている。
口の悪い正社員から『雇われファイター(戦闘機乗り)』『軍人崩れ』などと揶揄されている彼らは、やはり全員が退役軍人だ。
10人程度雇われたパイロット達の中でも、群を抜いて若いクフィンとアモーガが、何故その若さで軍を辞めたのかは明言されていない。
まだ年功序列制度も残る企業の慣例で、若年者の方が安い人件費で済むことから、不祥事でも起こしていない限り経歴など二の次だったのだろう。
後に、大半のパイロットは正社員となっているが、この二人は契約社員のままである。
「そうか。余計なこと詮索して悪かったよ」
『いや。コナウィンならいいさ』
「ありがとう。……あ、そうそう」
コナウィンが後ろを振り向く。
「ディナーの件、俺も手伝うから財布の心配しなくていいよ」
『それサイコーだ』
ぐっ、と親指を突き立てるクフィンとコナウィン
「ラーズ機長、そろそろ自治区中心部に」
「お、了解」
副操縦士のアルベルト・ヒューゲンから、目標地点到達を告げられたコナウィンは、ゆっくり旋回しながら、着陸できそうな場所を探した。
バラックの様な、密集して立ち並ぶ小屋――とても家屋とは言い難い――の裏手に手頃な広さの空き地を見つけ、クフィンに向かって下を指差す。
ここでいいか、という確認だろう。
開け放ったままのキャビンドア脇の手すりを掴んで、空中に身を乗り出して地表を眺めていたクフィンは、右手の親指を突き立てコナウィンに向ける。
ハウンドスリングは、ホバリング(空中静止)状態から、その濃紺色の機体をゆっくり降下させていった。
8:35AM。
左舷第三甲板、船室内。
アモーガ・コンノは、寝ていたソファからずり落ちて、床一面の空き缶の海に飛び込んだ。
缶が崩れぶつかり合う連続した衝撃音の後に、呻き声が低く響く。そりゃ痛いだろう。
しばらくの間、缶と戯れるように落ちたままのうつ伏せで唸っていたが、やがてむくりと起き上がり、床に打ち付けたのか左肩を右手でさすりながら立ち上がった。
ベッドの枕元に置いてある目覚まし時計の、緑色に浮かぶデジタル表示の現在時刻を眺めてから、入り口扉のすぐ脇にある照明と換気ファンのスイッチを操作する。
照明光によって白日の下に晒された窓のない船室内の惨状、ここは廃棄物最終処分場か、あるいは破壊工作の後か。
面倒臭そうにそれを眺めていたアモーガは、壁に掛けてあったタオルを右手に握り、寝間着の水色スウェットウェアのまま部屋を出て行った。
施錠くらいして欲しいものである。