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第2話 自治区(4)

 ところが、クフィンはあははと声を上げて笑い出す。むっとするフィア。

「なによ」

 クフィンは、コーヒーカップを持った腕を軽く上に持ちあげ、何気ない調子で言った。

「雇われの戦闘機乗りなんて、いくら金なんか残したって、逝くときゃ一瞬だからな」

 手元の許可証の折り目に沿って走っていたフィアの白い指が、ぴたりと止まる。

 テーブルに向いていた彼女の小柄な顔が、ゆっくり持ち上がって正面を向く。

「お、おいクフィン、それは──」

 真っ先にフィアの様子に気付いたコナウィンが、慌てて制止した。しかしクフィンは、両腕で大げさにゼスチャーまでして見せて、それから目前の異変に気付き、あ、と小さく発声したまま動けなくなった。しまったという表情。

 フィアの蒼い瞳が、凍りついている。

 柔らかい曲線を描く頬が、口元が、青ざめているのがわかる。

 これから起こるであろう事態を予想してか、コナウィンが眼を閉じた。

「あ。いや、違う、じゃなくて……」

クフィンの言葉はそこで止まる。

フィアの頬のラインに沿って、涙が流れ落ちたから。

 しかも、視線はまっすぐにクフィンを向いたままだ。

「……許さないから」

 静かに、しかし強い口調で発されたフィアの言葉が、慌てふためいていたクフィンを静まらせる。

「本当に許さないから。雇われ? ふっざけんな!」

「は、はいっ」

 思い掛けないフィアの強烈な口調に、クフィンは思わず、イスを倒しながら立ち上がり直立不動の姿勢を取った。

「契約社員も戦闘機もカンケーあるかっ! クフィもコナウィンもみんな私の大事な仲間なんだからっ」

 激昂したフィアは更に叫ぶ。

「私の船からそんな人出したくない、勝手にそんなことさせない、船長命令で絶対許さない!」

 どんっ、とテーブルを殴る振動とテーブル上の食器がガチャガチャとぶつかり合う甲高い騒音に、食堂中が硬直する。

 握った両手をテーブルに叩きつけたままの姿勢で、顔を伏せたフィアが肩を震わせる。

 両側から顔に回りこんだブロンズの髪が表情を隠してはいるが、どう解釈しても嗚咽している様にしか見えない。

 座ったままのコナウィンと目を合わせたクフィンが、左手を顔の前に立て、ごめんの合図を送った。

 コナウィンは、握った右手の突き立てた親指で隣のフィアを指しながら、声を出さずに口を動かし、何かを訴える。

 俺じゃなくてフィアに言え、という意味だろう。

 うなずいてから、思い切り息を吸ってしゃんとしたクフィンが、赤い前髪を掻き上げながら申し訳なさそうに言葉を発した。

「あ、あのな、フィア」

「……」

「フィア、あの、そういうつもりで言ったんじゃないんだ、ホント」

「じゃあどういうつもりよ」

 鼻声のフィアの問いに返答できない。クフィンは黙り込んだ。

 コナウィンが、しかめた自分の顔の前で左手をぶんぶん振って、方針転換を訴える。

 小刻みにうなずいたクフィン。

 食堂にいた10人近い船員達が息を呑む。厨房のおばちゃんも、おたまを両手で握り締めながらはらはらとした様子で見守っている。

「あのな、ほら、アストリアだっけ? スイーツの店」

「エストリア本店」

 下を向いたままのフィアからの冷ややかな返答に、思わずクフィンは身震いする。

「そう、それだ。その本店の件、ディナーのフルコースに変更しよう」

「……」

「も、もちろんワインもつけるぞ。例の今年の新作ってヤツな」

 フィアの隣のコナウィンが、こりゃだめだという風に、両手で自分の黒髪を掻きむしる様な仕草を見せる。

 それを横目に、更に焦る、必死な形相のクフィン。

「スイーツのバイキングも好きだよな?」

 目を見開き口を堅く閉じ、息を止めてフィアの推移を見守る。

 ややおいて、フィアが、ぼそっとつぶやいた。

「コナウィンもつけて」

「へ?」

「コナウィンも、ナースも、もちろんアモーガも!」

 急に顔を上げたフィアが、クフィンを睨みつけて攻勢に躍り出た。

 その幼い顔つきを涙と鼻水でぐしゃぐしゃにして、濡れた頬に金色の髪を絡ませ紅潮し、しかし眼光は年相応の深みを持ち、凄まじい迫力だ。

「え? あ、いやいくらなんでも俺の給料じゃ……」

 ばんっ、と再びフィアがテーブルを殴りつける音が響き渡り、食堂内にいた全員がびくっと反応する。

 いつの間にか、食堂入り口にも人だかりができていた。

「みんなで無事に帰ってゴハンするんだからねっ!」

「はいっ」

「いつ!」

「か、カウルリッジに帰投したらすぐにっ」

 テーブルに身を乗り出して両腕をつき、クフィンを壁に追い詰める姿勢だったフィアは、数秒の後静かにイスに戻った。

「……許す」

 ひとまず安心して力が抜けたらしく、壁に沿って崩れ落ち座り込むクフィン。破産の予感に打ちひしがれているのかもしれないが。

 その向かいでコナウィンが、目を閉じて安堵の息を吐く。手元に転がっていた未使用のおしぼりをフィアに手渡す。

 ぐすぐすと眼やら鼻やらを拭き始めたフィアを見て、冷や汗交じりのクフィンが、向かいのコナウィンに引きつった笑顔を送った。

 コナウィンも、それに応じて無言でうんうんと頷いて見せる。

 それも束の間。

 フィアが顔におしぼりタオルを当てたまま、強い口調で言い放った。

「ただし」

「はいっ」

 再び直立不動。何故かコナウィンまで起立する。

 立ち上がった二人を、テーブルに着いたまま下から上目遣いで交互に睨み、いや見つめ、釘を刺すフィア。

「二度と言ったら許さないからね」

 二人が固まった。

「わかったなら返事はっ!?」

 駄目押しされ、こくこくこくと無言で何度も頷くクフィンとコナウィン。

 後に社内で“モルドネの乱”と呼ばれ畏怖される事となる、社内最年少課長の新たな武勇伝が生まれた瞬間でもあった。






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