第2話 自治区(2)
ニウ・ナドル運輸局の現存商用艦船識別台帳によると、ナドーラは特殊輸送船に分類されている。
しかし、識別コードは軍用の制圧艦を示す“LCA”のままだったり、名称に特殊という単語が付加されていたりするこの船は、その経歴や装備が少し特異だ。
運輸業に船を用いる場合、通常の都市間輸送や、一応安全地域とされている国土の東側を仕事場とすれば、積荷量に対しての適正な機材を用意するだけで事は足りる。
しかし、数年前にCW社が参入しようとしていたのは、敵国勢力の攻撃や不審武装集団からの襲撃の恐れもある西側エリアも含む、重要埋蔵資源の輸送業務だった。
輸送船とその荷を守るため、国や同業他社も様々な対策を講じていた。
旧来からの輸送船を護衛艦で守る船団方式を採ったり、輸送船自体に防衛力を持たせるのである。
船団方式は、中古市場や他社の余剰船などを漁れば比較的簡単に適当な船が用意できるが、単艦に比べ人件費や燃料代の増大を招く。
当時のCW社の台所事情は余計な経費の支出を許さず、単艦輸送が可能な優速かつ自艦防衛能力を有する船を求めていた。
もちろん、船団の燃料代を危惧するような企業にそんな優良な船を新造する財政的な余裕などある訳がなく、これらを全て中古船か軍からの払い下げ艦で賄うこととなる。
紆余曲折を経て、半ば裏取引の様な経緯で入手した軍払い下げ艦の内訳は、強行輸送船と呼ばれる、敵地付近での物資輸送に就いていた高性能な船が一隻、それと型は古いが充分な武装を持った旧型駆逐艦、そして強襲制圧艦の三隻。
駆逐艦は輸送には向かない小型艦だが、船団護衛艦を探していた同業大手の大型輸送船とトレード話がまとまっており、そのために入手したものだ。
ほとんどそのままで使えた強行輸送船が、発足したばかりの運輸部第一運輸課として業務を開始、続いてトレードで他社からやってきた武装付き大型輸送船が第三運輸課として動き出す。
しかし、第二運輸課だけは始動が遅れていた。
第二運輸課所属になる予定の強襲制圧艦は、改装の為入渠したドックで重大な問題に直面してしまう。
輸送船としては致命的な、物資積載能力の不足。
そのまま積荷倉庫として使用する予定だったヘリコプター整備格納庫の床と、荷役に用いるクレーンを設置する天井の大部分の強度が不足していたのである。
明らかに焦って船を求めた結果の事前調査ミスだ。
しかし、船の規模や程度を考えれば他言できない程の格安だったとはいえ、CW社にとっては決して安くはない買い物だったこの船。
更に、軍需製品の名門と謳われた“銀狼”ブランドが、この様な手痛い失敗をしたことは社会的信用に関わる、と見栄を張る上層部。
かくして、改装は続けられることになった。
資材費を浮かすため、新造船入札競争に敗れデッドストックになっていた大量の資材を流用、これが攻撃型軽空母に使われる予定の代物だった為に、この船はとんでもない方向に変化していく。
流用されたのは、軍の第五世代艦にも採用されている新素材装甲。これの加工には専用の治具を必要とし、その費用も馬鹿にならない規模になる。
やむなくそのまま流用することになったのだが、少々物が大きすぎた。
強度不足だったヘリコプター用甲板の撤去跡に載せられた幅20mを超える大型装甲板は、すでに艦橋などの上部構造物があった右舷を避け、船体左へ全幅を大きく超えて飛び出すしか逃げ道がなかった。
結果、大型正規空母の様な斜め甲板となり、左舷への航空甲板突き出し量は15mにも及んだ。この甲板は倉庫天井も兼ねているので、積荷を増やす為に元の最上甲板高さより嵩上げされている。
流用前に甲板と一体に加工されていた、航空機射出機もそのまま装備された。
これらの改装の結果、重心が左舷に大きくずれてしまったので、主煙突と機械室を船体右側へ寄せる大工事も追加で施工。
また、重量の増加に対応して、機関の出力向上工事も行われることとなる。
この甲板改装は船全長の四分の三にあたる120mにも達し、要求を遥かに超える強度と積載能力を得ることに成功、更に上部構造物のほとんどを右へ移したことで飛行甲板の有効面積が拡大され、改装前はヘリコプターのみ搭載だったものが、垂直離着陸戦闘機の運用まで可能になったのである。
この様な大規模な改装工事を実施したにも関わらず、船首側の約四分の一の部分はほとんど元の船型を保っていた。
結果、前と後ろの艦容が全く違う、お世辞にもスマートとは言えないシルエットができあがってしまう。
そして、主な運用エリアである砂漠に合わせ、上部構造物を除く船体全長に渡って施された、濃淡三色の茶と黄系色迷彩塗装が決め手となった。
ナドーラと命名されたこの“輸送船”は、竣工記念式典で招待客たちの度肝を抜いてしまった程に、稀に見る無骨な姿で第二運輸課へ引き渡されのである。
これだけの大改装を受けた船である。
船内は、部位によって甲板の階層数すら違うという迷路ぶりを極める。
第二倉庫は、その艦尾側の第一積荷倉庫との間を防弾シャッターで区切られており、ヘリコプターなどの艦載機が格納されている。数人の整備担当者が忙しなく動き回っていた。。
その倉庫の最前部にある大きな回転取手付きの分厚いドアから、他の区画よりやや幅のある船内通路に移動したコナウィンは、携帯無線の通話相手の船室を目指していた。
倉庫前の第三甲板から一階層下の第四甲板へ続く角度の急な鉄階段を降り切ると、視線のやや先が突き当たりになっていた。
170cmをやや超えるコナウィンの身長だと、手を伸ばせば掌が全部天井に付くくらいの頭上空間しかない、高さの低い天井の隅に二本の配管が吊るされていて、ただでさえ狭いのになおさら圧迫感を受ける。
頭が天井に当たりそうな錯覚を起こすのでゆっくり歩いていると、頭上近くでドンドンと、叩く様な、何かが振動しているかの様な音が、不定期なリズムで響いてくる。
この上は船内食堂。ちょうど朝食の混雑時間帯だ。
「そういえば腹減ったなぁ。」
朝一で予定が入っていたヘリコプターの機体点検が終ったら、朝食を摂るつもりだったのを思い出す。
腹の辺りを押えながら、軽く恨み言を言うコナウィン。
「ったく、朝飯なくなったら奢らせてやるからな。」
食堂では、ちゃんと総船員数分の食事を用意しているから、そんなことはないのだが。
ちなみに、民間船であるナドーラは、軍艦の様に階級によって使用施設に差があったりはしない。
食事にしても、船長や副長など一部の上役は自室配膳されるが、他は全員この食堂で済ませている。
船長のフィアは食堂に来ることが多いが、配属になったばかりのオドルフ副長は自室で食している様だ。
また、隣接して簡易購買もあるので、そちらで軽食を求めるものも多い。ただしこの購買、アルコール飲料は常に売り切れか品薄である。
突き当たりまで来ると艦内通路は左右に分岐する。
両方向に上り階段があり、ここまでの通路とこの先の両側で天井の高さも違う。
コナウィンは、この迷路に迷わず左の階段を昇っていく。
「あ……朝ゴハン、食べに行かない?」
左舷第三甲板、船内通路。
こめかみに冷汗が流れるのを感じつつ、必死に話題転換に努めるのはフィア船長。
「時間、なくなっちゃうよ」
「そんなことはどーでもいい」
「ですよね……」
「クフィの代わりにアンタが手伝いなさいよっ」
クフィンへ対するフィアの有給休暇許可裏取引疑惑は、最早完全に論点がすり替わっていた。
勢いに乗ったナースを止めるには、倉庫の鍵つきロッカーに入っている自動小銃あたりを装備するしかない。
「なんで私がぁ」
「買収されたくせに」
不条理だ。
うぅ、と力なく肩を落とすフィア。
二人の年の頃は同じだが、思ったことはすぐ口に出して行動する元気一杯猪突猛進型のナースが相手では、気性のおとなしいフィアが不利に見える。
こりゃエンドレスモードに入ったなぁ、そもそもなんでこんなに怒られてるんだ私、と、頭上から降ってくるナースの攻撃を退けながら脳内で対応策を巡らせていたフィア。
そこに、「毎度のことだけど、いちお聞いとく」
第三者の声が飛び込んできた。
二人が声の方を振り向くと、携帯無線機の角で後頭部を掻きながらあきれ顔の、コナウィンが立っていた。
「今日の原因は、何」
「おはよコナウィン」
「なによコナウィン」
背景に桃色の花びらが舞っているかの様な爽やかな笑顔のフィアと、どこでその般若面売ってるんだと突っ込みたくなる様なナースの表情が並んだ。
「クフィが荷役日なのに全休で、ナースがスイーツ食べたいから怒ってるんだって」
「いや、違うから。てか説明になってないし」
「なるほど」
「わかるんかいっ」
「まぁ、あれだ」
コナウィンは全く口調を変えず、唇を突き出してすっきりした頬のラインを更に細く見せるナースに、言った。
「管理係の連中、もう倉庫に集まってたけど」
「げ」
「いってらっしゃい、管理係長」
フィアは首を傾け、これ以上はない最上級の笑顔をナースに送った。
左手首につけた、男物のミリタリーウォッチに目を走らせたナースは、慌てて船後方に向け走り出す。
「や、やば、点呼!」
「ナース!」
不意に呼び止められて、足踏みしたまま振り返ったナースに、フィアが笑顔のまま言い放つ。
「荷役、頑張ってね?」
フィア船長、会心の反撃。
目は笑っているのだが、細い眉毛が片方だけひくひくしているナース。
「……ありがと」
「あ、でもホントに怪我とかしないようにね。今日は荷の量多いし」
「ん。じゃいくね」
「あとで差し入れ持ってくからねー」
左手を肩の上に上げ返答しながら、通路を駆けていく。
その後ろ姿を見送っていたフィアとコナウィンは、目を見合わせて、苦笑した。
7:32AM。
静かになった艦内通路と扉を隔てた船室内。重厚なイビキの音が室内を満たしている。
いつの間にか、ちゃんとソファに腰掛ける姿になっているアモーガ・コンノの、だらしなく伸ばし切った足が時折びくっと何かに反応し、床の空き缶を蹴り、そのたびに一瞬だけイビキが止まり、代わりに缶が転がる乾いた音が響き渡る。
彫りの深い、鼻梁が広くいかにも男っぽい雰囲気の顔立ちが、だらしなく半口を開けたまま、気持ちよさそうな寝顔を見せていた。