第2話 自治区(8)
「……ごめんなさい」
ようやく、腰に絡みつく両腕から開放されたフィアは、申し訳なさそうに何度も頭を下げている目の前の女――アーリア・シャレットに引きつった笑顔を向けていた。ややふっくらした頬から顎のライン、小さく柔らかそうな鼻頭が、ハイスクール現役と言っても通用しそうな若さを強調している。
フィアは、床に放り投げたポットを拾い上げ、耳を近づけて軽く振った。割れていなさそうな事を確認してからフタにお茶を注ぎ、自分より背の高い彼女の顔前に差し出した。ごめんなさいを連呼しながらも、しっかりとお茶を受け取るアーリア。
「……また今回は、派手にやらかしたわね」
苦笑しているのか怒っているのか微妙なフィアの表情の前に、両肩をすくめて更に小さくなる。明らかにフィアより背高なのに、威圧されているかの様な対比が面白い。
白に近いフィアのプラチナブロンドに比べるとやや茶色がかった、金髪のセミショートヘアがゆるいウェーブを描いていて、それが幼さの残る表情をスポイルしている。黙ってさえいれば、社の制服姿の彼女はフィアよりも大人びた雰囲気にも見えるかもしれない。
「……だってあの茶髪の濡れ男があぁ」
「だから、それ何?」
「浴室から飛び出して来たんですよ、あの変質者っ」
「裸で浴室から飛び出して来るような無神経は、クフィとアモーガくらいしか思いつかないけど……」
ある意味的確なフィアのコメントにも、だってだってだってと子供の駄々の様に続けるアーリア。
「そういえば、両脇に水色の何かを抱えてましたっ。きっと密輸品です!」
「水色? 服かしら」
「あー。それ、アモーガだわ」
不意に背中から飛んできた声にフィアが振り返ると、二人からやや離れた積荷倉庫との仕切り扉をくぐるナースの姿があった。緑色作業服姿のナースは、両手の軍手を外しながら歩み寄って来る。
「夕べ、水色のスウェットだったわよ、アモーガ」
「あ、そっか。茶髪だしね。」
うんうん、と納得するフィア。
「てかさぁ……」
ナースは、アーリアを向いてあきれた様な表情を見せた。
「全裸見た訳でもないんでしょ? そんな大騒ぎするようなことじゃないと思うんだけど」
むっとするアーリア。瞳を細めて、身体ごとナースに向き直る。
「さすがオネーサマは慣れていらっしゃるよーでっ。私、まだまだ“若い”ものでそーゆー耐性が足りなくて」
「なっ!?」
カチンと来たナースが、その眉毛をひくつかせながら両腕をあてた腰を折って、自分より少しだけ低い位置にあるアーリアの目の高さに自分の視線を合わせる。
「ほんっと口が減らないわね、このおじょー様は」
「それほどでもないですけどー。ナースさんこそ、いつもそんな怖い顔ばっかしてると、クフィさんに逃げられちゃいますよぉ?」
「か、カンケーないでしょクフィはっ」
「あら、照れてるんですかぁ? まあそうなったら、クフィさんは私が頂きますからご安心を~」
「こ、このお子様が……」「きゃー怖い。フィアさあん、助けて下さい~」
前髪ごと額に手を当てて目を閉じ、もう何回目になるのかわからない溜息をついていたフィアの背中に廻り込むアーリア。棒読みのセリフを放ちつつ、大袈裟に隠れるフリをする。
そのフィアの頭上越しに、アーリアを睨みつけるナース。眼が本気だ。
自分の頭の上で鳶色と深緑色の瞳が散らす火花の交錯に、たまらずフィアが声をあげた。
「いい加減にしなさい。いつもいつも良く飽きないわね」
あきれ切ったフィアの一言に、ナースの視線がフィアを向く。アーリアもフィアの背中から出てきて、様子を伺うかの様に船長様の顔を覗き込んだ。
「アーリアちゃん」
やや凄みを効かせたフィアの声。
「は、はい」
「さっきの無線の件。明日までに始末書、提出して下さいね?」
笑顔に見えるが、目は笑っていない。そのオリエンタルブルーの大きな瞳に射竦められたアーリアは、萎縮した。
「は、はーい……」
しゅんと落ち込むアーリアを見たナースが、小声でくっくっくと笑い出す。
「それとナース」
勝ち誇った目でアーリアを見下ろしていたナースが、ん? とフィアに反応する。
「そこのバスケット。食堂のおばさんに頼んで作って貰った差し入れなんだけど、大人気ない人にはあげません。反省しなさい」
「えー! ちょっとフィア、今回は挑発してきたのアーリアだよ!?」
「ナースの方が年上でしょ。いつもいつもアーリアちゃんに絡むんだから。両成敗です」
何か言いたげな表情のナースは、しかし口答えもできずにうな垂れた。フィアは二人より一回りは小さいのだが、さすが船長といったところか、威圧力は抜群である。
そんなアーリアとナースの表情をじーっと見比べていたフィアは、急に力を抜いた。
「反省した?」
「しましたぁ」「そうね、勤務中なんだし」
ねーっと目を合わせて見せる二人。差し入れ目当てなのは明白なのだが、仲がいいのか悪いのか。
そして、フィアもこのやりとりには慣れているのだろう。それを予想していたかの様なタイミングで、にこりと笑う。
「じゃ、みんなで倉庫行って休憩タイムしよ? ナース、先に行って管理係の人に声掛けといてくれる?」
「了解っ」
駆け出すナース。
床に落ちたバスケットの中身の無事を確認したフィアは、ずっと持ったままだったポットをアーリアに差し出した。
「アーリアちゃんは、このポット持ってくれるかしら?」
「はーい!」
(続く)