第2話 自治区(7)
『二時間くらいしたら迎えに来てくれるか』
自治区中央部付近の広い空地に着陸したハウンドスリングのカーゴドアから飛び降りたクフィンは、手にした携帯無線機に向かって、轟音に掻き消されない様に声を張り上げた。
地面を叩く回転翼からの風圧に髪を巻き上げながら、機内からダンボール箱を引っ張り出す。そして操縦席のコナウィンが窓から右腕を出してOKサインを出してくるのを確認してから、ワークパンツのサイドポケットに無線機を放り込んで機体から離れた。
辺りを騒音と気流で引っ掻き回しながら上昇していくヘリコプター。空き地が元の静けさを取り戻すまでそれを見送っていたクフィンは、ポケットの中でくしゃくしゃになった煙草を取り出た。
しばらく煙をくゆらせながら辺りを見廻す。やがて何かが目に付いたのか、煙草を踏み消し、地面に置いたダンボール箱を両手に抱える。
それから、バラック小屋の立ち並ぶ住居区域へ足を向けた。
ナドーラ右舷第三甲板、船内通路。
両手にランチバスケットとポットを下げたフィアは、後方から妙な悲鳴が聞こえた気がして、振り返った。
そのまま数秒間様子を窺う。しかし、何も起こらない。
「……気のせいかしら」
念のため腰に付けた携帯用小型無線端末のスイッチに触れた。緊急コールをいつでも受けられる状態になっていることを確認して、再び前に向き直り鼻唄混じりに歩き出す。
すると、今度こそはっきり、悲鳴とも絶叫ともつかない大声が耳に飛び込んできた。
「な、何?」
もう一度振り向いたフィアの視線の先、細長い通路の奥から、ダークブロンドの髪を振り乱した騒音源が、金切り声を上げながら疾走してくる。
何が起こっているのか理解できずに硬直したフィアに向かって、まっすぐ。
「ふぃ、フィアさんフィアさんフィアさあああん!」
直撃寸前で両腕を高く上げ、バスケットとポットを頭上に退避させたフィアの胸めがけて減速もせずに突っ込んできた彼女は、そのまま腰砕けにフィアに抱きつき、喚きまくる。
「で、出たんですよ、チカン! 変質者!」
「お、落ち着いて、アーリアちゃん」
「茶髪の濡れ濡れのタオル男がっ!」
自分の胸に顔を押し付けて喚くダークブロンド頭を引き剥がしたいのだが、頭上の両手は塞がっていて身動きが取れない。
「これは事件です、警報です、緊急配備ですっ!」
そう言い終らないうちに、フィアの腰にぶら下がっていた携帯型無線機を奪い取り、脇のスイッチを押して絶叫するアーリアちゃん。
「第一級緊急配備! 第四甲板男性浴室付近に不審者あり! 当直警備はただちに拘束にむか――」
「ちょ、ちょっとソレだめっ」
さすがにバスケットを床に放り投げて、無線機を奪い返すフィア。
「落ち着いて、とにかく落ち着いて。ね?」
引きつった笑顔でなだめるフィアの無線機から、通常より大きな返答音が返ってきた。
『無線個体識別、フィア・ハズィ運輸課長と確認。命令を受理します』
『第一級配備発令。戦闘配備につき、各部署責任者は装備の展開を急げ』
『了解! 当直警備班、直ちに前部第四甲板に展開します』
数種類ある船内配備のうち、第一級は緊急及び大規模な事象に対する最上級の戦闘配備である。
一瞬間を置いて、非常警報のけたたましい大音量サイレンが船内に響き渡った。
戦争でも起こったかの様に次々と飛び交う無線音声を耳にして、唖然としたまま固まっていたフィアは、すぐに我を取り戻した。無線機のマイクを口に押し付けて叫ぶ。
「こちらハズィ、只今の発令は誤報、繰り返す、只今の一級配備は誤報です!」
騒ぎ立てていたスピーカーが、一瞬にして静まり返る。
ややあって、無線機から男性の声が返ってきた。
『運輸課長、大丈夫ですか?』
副長の声に、その大男が非常配備で艦橋に駆けつけていることに気付いて、歯切れが悪くなるフィア。
「あ……オドルフさんですか。え、えと……ちょっとした手違いです。申し訳ありませんが配備の解除と、展開した装備の安全確認をお願いします」
『手違いですか。ご無事なのですね?』
「え、ええ私はご無事です、あはは……」
『何ですか?』
訝しげな声に、赤くなって答えた。
「何でもありませんっ」
『……了解。配備解除と安全装置の再ロックを指示します』
「お願いします」
マイクを持った右手をだらんと落として、溜息をつく。
そして、いまだ自分の胸に抱きついたまま見上げてくる深緑色の瞳を眺めて、もう一度、深い溜息をついた。