第2話 自治区(6)
ニウ・ナドル南部地域、モルドネ自治区。
周囲5キロ程度の区域内に8千人の戦争難民がひしめき合う、難民キャンプだ。
この難民は、シア帝国南部地域に点在する街の中で、一番国境線に近い位置にあったモルドネ市の住民が大半である。
前紛争時、人口5万人のこの街にはシア国境守備軍が常駐し、更にニウ・ナドルへ南部から侵攻する部隊の最前線基地として、市民を動員して街全体の要塞化が進められていた。
航空偵察によりこの事実を知ったニウ・ナドル共和国軍は、すぐさまこの基地の制圧を重要作戦に位置付ける。
陸上部隊と拠点打撃艦隊の連携による強襲作戦が幾度となく実施され、多大な損害を出しつつも、建設途中の要塞設備を含めたモルドネ市全域の占領に成功。その際、非武装市民への被害を抑えるべく、最初の突入部隊が放送とビラによる攻撃声明と避難勧告を行っており、これが功を奏し市民への被害は比較的少なかった様に見えた。
しかし、モルドネ陥落を受けたシア軍は、ここをニウ・ナドルのシア侵攻の橋頭堡にされるのをよしとせず、あろうことか市民の残るこの街へ長距離、中距離の各種ミサイルによる無差別攻撃を行ったのだ。
占領直後、自国民が大量に残るモルドネへのシア軍の反撃を甘く考えていたニウ・ナドル軍は、ほうぼうの体で撤退、モルドネ市街は全域が壊滅状態となる。取り残されたシア残留軍と市民の被害の全容はは、停戦から数年立った現在でも明らかになっていない。その後、辛うじて生き残った者はニウ・ナドルへ亡命を希望して国境を超え、小さなオアシスを中心に避難生活を始めた。
やがて停戦を迎え、自国民の強制送還を求めるシアと、人道的配慮を建前に、本来捕虜となるべき元シア軍兵士も多数含まれるこの難民の帰国を拒否するニウ・ナドルの間で、取り扱いを巡る話し合いは紛糾する。
最終的に、この地域の国境を挟んだ幅数Kmの範囲を両軍の非武装帯に設定、非武装帯ニウ・ナドル側地域の難民キャンプへ残留させ、自治を認めることで落ち着く。ただし、これらの難民は政治的背景により未だシア国籍のままであり、キャンプ外への出入りは厳しく規制される。
また、非武装帯での軍事行動は協定により禁じられているが、難民監視の為、監視軍には制限付きで武装が認められた。
これが後に別の問題に発展していく。
「海上迷彩色のガンシップだと?」
お世辞にも明るい雰囲気とは言えない、人ごみで溢れるモルドネ自治区中央部の埃っぽい路上。
上下OD色の軍服を着込んだ中年男性が、自分から数ブロック離れた位置へ降下してくる紺色のヘリコプターを見上げて、色黒の顔の眉をひそめる。
肩から自動小銃を吊るしている。自治区監視軍兵士だろう。
彼の目には、この砂漠地帯では珍しい海上用の青色系迷彩塗装、しかも機体各部に武装が見えるヘリコプターが不審に映った様だ。それにしても、用途を違えた迷彩塗装は逆にこんなに目立つのか、というくらいに降下中の機体は目立っている。
「あれはどこの機だ?」
ヘリコプターからは目を放さないまま、後ろからついてきていた彼と同じ服装の男達に尋ねる。
その中のメガネ男が、上空を眺めたままぼそっと呟いた。
「あれは……ハウンドスリングのパッケージ4以降の型ですね。ずいぶん改造されていますが」
あれは12mmガトリングも制式品じゃないな、とマニアックな独り言を語りだしたメガネ。
その脇から、別の男が割り込んだ。こちらはずいぶん恰幅がいい。あごと首の区別がつかない。ビア樽かダルマの様だ。
「朝のミーティングで話のあった、荷役中の物資搬入船の機体では?」
「内陸部の中央からくる船が、海上迷彩色のヘリなんて艦載していると思うか?しかもあれはガンシップだ。」
「それはそうですが……民間機でしたら、相互融通の可能性もあります」
「あんな機体を相互融通する民間企業か。兵長、どう思う」
はっ、と返事をするのは先ほどのメガネだ。
「あの機体は、我が軍のガンシップと殆ど変わらない戦闘力を持つと思われます」
なにより、エンジン後部の排気ノズルの形状が高速向けに改造されていて云々と、また自分の世界に突入するメガネ兵長を放置し、肩章によると軍曹らしい一番階級が上の色黒の男は、もう一人の男に振り向いて言う。軍曹が見上げるほどの長身でかなり痩せているので、ネギとしておく。
「そんなガンシップが、こんな難民キャンプの真ん中に何の用だ?」
「それは、分かりかねます」
「まあ、機体などどうでもいい。今日の市街地飛行プランに、あの様な機体の申請があったか?」
「いえ、朝の段階では本日は区域内で飛行予定はないはずです」
「そうなると……」
軍曹は、もう一度ヘリに目を移す。
「あれは、不審機ってことだな」
「こんな白昼堂々に、ですか?」
ダルマが、まさかとヘリを見上げた。ネギもうんうんと頷く。
「識別マークも記入してない重武装のガンシップが、飛行プランも出さずに飛んでいるのだ。十分不審ではないか」
実はシリアルも所属もきちんと記入されているのだが、機体塗装と同系色で迷彩されており、この距離の肉眼では確認しにくい。
「……確かに」
「臨検(立ち入り検査)だ。いくぞ」
部下3名を引き連れた軍曹は、ヘリコプターの降下地点へ向かった。
9:27AM。
ナドーラ第4甲板、男性浴室。
シャワー栓を閉じる音がして、腰にタオルを巻いたアモーガ・コンノが大量の湯気と共に脱衣所へ出てきた。
ようやく目が覚めたらしく、腰のタオルの上に両手を当て、備え付けの扇風機を独り占めして涼を取っている。最も、浴室にいるのは彼一人だが。
しばらく扇風機と見つめ合っていたアモーガは、ふと、脱衣カゴの中に自分の着替えがないことに気付く。
脱衣所の中を見廻すと、浴室入り口の曇りガラス前の床に散乱した水色のスウェットウェアを発見。寝ぼけてそこら中に脱ぎ散らかしたのだろう。
拾い上げてみると、びしょびしょに濡れていてとても着られたものではない。マットだと思って踏んでいたのを思い出した。
思案にくれるアモーガ。ここから彼の船室までは階段一つ昇ってすぐであることが、答えを導き出した。
アモーガは、茶色の髪も濡らしたまま、両腕に濡れた着替えを抱え早足で船内通路に躍り出る。
目の前に、制服姿の女性が立っていた。
突然飛び出してきた、小脇に水色の何かを抱えた濡れ髪を額に貼り付けたままのタオル一枚男の出現に、一瞬硬直する彼女。
若い女性の甲高い悲鳴が、前部第4甲板周辺に響き渡った。