天野くんとサクラ
翌朝、天野と黒崎は渋谷に向かった。
場所は道玄坂。
ラブホテルの密集地だ。
天野はその中のひとつにサクラを泊まらせたのだ。
「こんなところに王女を泊めたのか……」
『ペガサス』というラブホテルの看板を見て、黒崎はため息を吐いた。
「一国の王女をこんなホテルに招待していたことが露呈すれば、国際問題になりかねないぞ」
天野は鼻で笑った。
「よく言うぜ。ライフルで蜂の巣にしようと企んでいたのはどこの組織だ? それにこうした場所の方が意外と安全なのさ。フロントとは顔を合わさず、部外者が侵入することは困難。少なくとも外務省よりは安全だな」
「なるほど。それも一理あるな」
天野と黒崎は最上階に上がった。
ひとつの扉をノックする。
しばらくして扉が開かれ、中からサクラが現れた。
「ようサクラ。よく眠れたかい?」
「ハイ。天野サン、おはようございマス。黒崎サンもご無事で何よりデス」
サクラは嬉しそうに琥珀色の瞳を輝かせた。
黒崎はその服装を驚いて見つめた。
水商売用の紫色のドレスを着ている。
「サクラ王女……。あなたの荷物を持って参りました。まずお着替えください」
「ありがとうございマス。あの、侍女たちは無事デショウカ……?」
「ええ。2人とも無事です。怪我もしておりません。ご安心ください」
「そうデスカ……。良かった……」
黒崎はひとつ咳払いをすると、辛そうに言った。
「ですが、それは侍女のどちらか……いや、2人とも内通者である可能性が高い、ということになります。国に戻られたら役職を変えたほうがいいでしょう」
サクラは悲しげに目を伏せた。
「……わかりマシタ。その通りにいたしマス……」
天野が明るく声をかけた。
「サクラよ。この後のスケジュールは空港に行き、飛行機で国へ帰るだけだ。もう敵は襲撃して来ないだろう。安心してくれ」
「ハイ……」
サクラは悲しげに顔を落としている。
天野はまた、明るい声で言った。
「俺様は最後まで君の旅の行方を確かめる。空港までは俺と黒崎で護衛しよう。まずは着替えておいで」
サクラは小さく頷くと、着替えるため部屋に入って行った。
着替えが終わるまで天野と黒崎は廊下で待機。
そこで天野は思い出したように言った。
「そうだ。黒崎よ、車を爆破させたな」
「ああ。襲撃犯が『自爆』した件だな」
「実はあれ、友人の車なんだ。弁償せねばならない。外務省の車を1台くれよ」
「なに……?」
黒崎は天野を驚いて見つめた。
「お、お前、友人の車をあっさり爆破したのか?」
「そりゃそうだろう? 俺様の愛車を粉々にするワケにはいかん。あのために、わざわざ友人から借りてきたんだ」
黒崎は呆れて苦笑した。
「フフフ……。なんてクソ野郎だ。いいだろう。新車のセンチュリーを1台手配しよう」
「すまんな」
そんな話をしていると、着替えを終えたサクラが部屋から出てきた。
天野はサクラに寄り添い、黒崎の運転する車で羽田へ向かった。
サクラは車窓の風景を黙って眺めている。
「サクラよ、色々あったが東京ともお別れだ。しっかり見ておくといい」
「ハイ……。あの、天野サン……」
サクラが天野に向き直った。
琥珀色の瞳が潤んでいる。
「昨日、私が天野サンにお願いしたこと、覚えていマスカ……?」
「ああ、もちろんさ」
「それなら……!」
サクラは真正面から天野を見つめた。
琥珀色の瞳には天野だけが映っている。
サクラは思いの丈を吐き出した。
「天野サンは、私の王子サマデス。天野サンと一緒なら、どんなに辛いことでも頑張れマス。どうか、私と一緒に、サリスまで来てくだサイ」
天野はじっと琥珀色の瞳を見つめた。
純粋な光が宿っている。
良い瞳だと、天野は思った。
「そうか……」
天野は軽く息を吐いた。
そしてサクラの肩を抱き、頬に軽く口づけした。
「アッ……」
肩を抱いたまま、天野は気障ったらしく微笑んだ。
「これくらいでちょうどいい。君はロイヤルファミリー。俺とは身分が違う。それに君はまだ若く、これから広い世界を知る必要がある。本当の王子様は、その過程で見つかるはずさ」
サクラは小さく首を横に振った。
「王子様は天野サンしか、考えられマセン……」
「俺はこの国でやるべきことがある。進むべき道は違うんだ。いつまでも君の隣に立ち、守り続けることはできない。君の王子様にはなれないのさ」
サクラは悲しそうに琥珀色の瞳を伏せた。
瞳が滲んでいく。
天野はその頭を撫でながら言った。
「いつかサリスへ遊びに行くよ。君が愛した美しい森や海を見るために。その時は歓迎して、立派に発展した君の国を紹介してくれよ」
サクラは涙をこぼしながら頷いた。
車が羽田空港に到着した。
天野と黒崎はサクラの隣に立ち、専用チャーター機の前までサクラを送った。
サクラはずっと俯いていたが、搭乗する前に振り返り、天野に向かって優雅に微笑んだ。
「天野サン……。ステキな思い出をありがとうございマシタ。あなたと過ごしたトウキョーの夜のこと、一生忘れマセン……」
天野は微笑んでサクラと握手を交わした。
「君の名に相応しい、素敵な笑顔だ。君のような王女がいて、国民はきっと幸せだろう。またいつの日か、どこかで会おう」
「ハイ……。どうかいつまでも、お元気で」
サクラは優雅な微笑みを浮かべ、飛行機に乗り込んだ。
最後は笑顔だった。
再会することが難しい恩人に残すものとして、サクラは笑顔を選んだ。
この後泣いてしまうだろう。
だからこそ、天野がいつか思い起こす表情は、笑顔であってほしいと願った。
飛行機が滑走路をゆっくり旋回する。
直線に入ると一気に加速。
空の彼方へ飛んで行った。
黒崎はそれを見送りながら、のんびり尋ねた。
「おい天野。車内の会話はなんだ」
ぽん、と天野の肩に拳を当てる。
「サクラ王女からの求婚じゃないか。お前ら、どんな熱い夜を過ごしたんだ?」
天野は何も答えない。
空の彼方をじっと見つめている。
「行かなくていいのか? 王様になるチャンスじゃないか」
天野は空を見上げながら笑った。
「残念ながら、医者は王様になれんのだ」
黒崎はその言葉に苦笑すると、天野に手を差し出した。
「お前には本当に世話になった。まだ感謝の言葉を伝えていなかったな。天野、ありがとう」
天野は黒崎の手を握り、ニヤニヤと悪い笑みを浮かべた。
「やっと幼稚園のお約束が守れたか。褒めてやるよ」
黒崎は嬉しそうに天野を見つめた。
「本当に口の減らないガキだ。医者の道に挫折したらうちに来い。お前ならきっといいエージェントになれる」
「残念ながら、医者はスパイになれないのさ」
天野は黒崎に笑いかけた。
2人の遙か上空に、一筋の飛行機雲が走っていた。




