天野くんとお姫様
※この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません。
とある日の午後。
天野は次の実習に出るため、キャンパスをのんびり歩いていた。
「……うん?」
視界の隅に大げさな集団が入った。
20人ほどの集団だ。
先頭にはビデオカメラを持ったマスコミらしき人間と、何人かの見知った教授と学生。
中央には黒髪で褐色の少女がいる。
東南アジア系と日系人のハーフだろうか。眉目の整った美少女だ。日本ではあまり見ることのない民族衣装を身にまとっている。
背後にはSPらしき黒服が立っていた。
(アイツら、何をしているんだ?)
天野は何となく集団を眺めた。
どうやら教授や学生は褐色の美少女に、大学の様子を説明しているようだ。褐色の美少女は興味深そうにキャンパスを眺めている。
(マスコミや教授を引き連れてキャンパス見学とは、随分とお偉い身分だな)
何気なく近づくと、英文科の金子瞳の姿を見つけた。
金子とはとある縁で顔見知りだ。(詳しくは『彼を上手に殺す方法』を参照)
「金子よ、久しぶりだな」
「あら? 天野くんじゃない」
天野は集団を顎でさした。
「なんだあの連中は?」
「天野くん知らないの? 東南アジアのサリス国のお姫様よ」
「お姫様、だと?」
「そうよ。来日中だってニュースで観なかった?」
天野は頭をかきながら言った。
「知らなかったな。そのお姫様がうちの大学に何のようなんだ」
「お姫様は18歳、日本の大学に留学するかもしれないの。それで来日のついでにキャンパス見学に来たわけ」
「なるほどね。わざわざ日本に留学しなくとも、アメリカにでも行けばいいのにな」
金子はため息を吐きながら言った。
「天野くん、サリス国はかなりの親日派なのよ。小さな島国だけど、お姫様には日系人の血も流れてるの。日本の大学を選んでいただくなんて光栄なことじゃない」
天野は「ふぅん」と軽く呟くと、金子に尋ねた。
「しかしなぜ金子が一緒なんだ? あれ、国際経済学部の連中だろう?」
金子は苦笑した。
「通訳のためにヘルプで呼ばれたんだけど、お姫様日本語ペラペラなの。出番なくてまいっちゃった」
「大したものだな。日本語が話せるとは」
「だから、超親日派なのよ」
天野は集団を眺めると、中に1人のよく知った顔を見つけた。
医学部の同級生、梶谷だ。
天野はさりげなく近づいて梶谷を捕まえた。
「おい梶谷。お前なんでこの集団に紛れている」
「げっ、天野か……」
梶谷は顔中に「マズイ」という文字を貼りつかせた。
「あ、あ、天野……。今日は僕が呼ばれたんだ。天野には関係ないよ」
天野は「ほう……」と呟くと、ニタニタと悪い笑みを浮かべた。
「医学部であるお前が指名され、お姫様と同行し、俺様がいるとよろしくない……。つまりお姫様に医学部を案内するんだな。面白そうだ。代われ」
梶谷は慌てて天野にしがみついた。
「天野! 教授から失礼のないように言われてるんだ! 頼むからここは僕にやらせてくれ!」
天野は「チッチッ」と指先を振りながら呟き、
「しょうがねぇな。じゃあ付き添ってやろう。首席の俺様がいれば何かと安心だろ」
と、偉そうに言い放った。
梶谷は深くため息を吐き、天野の姿を見つけた国際経済学部の学生たちも「やばい」という表情を浮かべている。
「国際問題になりかねないんだから、失礼のないようにしてくれよ」
「あっはっは。俺は日本がどこの国とドンパチやろうが興味ないね」
「あ、天野! 頼むって!」
「わかったよ。梶谷、そんな泣きそうな顔をするな。ただでさえブサイクな顔がもっとブサイクになるぞ」
天野は梶谷の後ろについて集団に混ざった。
お姫様に校舎や図書館、グラウンドなどを案内している。
やがて集団は校舎の中に入った。
「おい、梶谷、あれって……」
国際経済学部の学生が梶谷に声をかけた。
どこまでもついて来る天野を忌み嫌うように睨んでいる。
「大丈夫、天才クソ野郎を抑えてみせる」
梶谷は冷や汗をかきながら、天野を睨みつけた。
集団の迷惑げな視線なんて、天才クソ野郎はそよ風程度にしか感じていないようだ。
口笛を吹きながらお姫様を眺めている。
やがて、お姫様は医学部のテリトリーに入った。
天野は背後についていた黒服のSPに近づき、さりげなく声をかけた。
「おい、背後にいる紺のジャケットを着た男。うちの人間じゃない。さっきから尾行している。ちょっと声をかけたほうがいい」
SPが驚いて背後を振り返る。
紺のジャケットの男はさりげなく物陰に隠れた。
「了解です」
SPは2人いる。
1人のSPが紺のジャケットに近づくと、男は踵を返して去った。
「なんだ、お姫様は誰かに狙われているのか?」
天野はもう1人のSPに声をかけた。
SPは何も答えない。
「俺様はアイケープロダクションのSP、天野というものだ。柏田麻紀の命を救ったということで、業界では有名じゃないのか?」
男は訝しげに天野を見つめた。
「……残念ながら存じ上げません」
「そうか。まぁ、誰でも知っているもんでもないか」
天野はSPから離れ、また集団に混ざった。
間もなく医学部の紹介があるはずだ。
梶谷がさり気なくお姫様に近づいた。
「こちらは医学部の実習室です。最初の年では主に物理、化学、生物学の実験を行います」
お姫様は興味深そうに実習室を覗いている。
天野がすっと梶谷の隣に並んだ。
「お姫様、宜しければカエルの解剖実験でもご覧になりますか?」
お姫様は驚き、琥珀色の瞳を丸くさせた。
「まぁ……。見せていただけるのデスカ?」
「そりゃ、もちろん喜ん……」
梶谷が必死に天野を引っ張った。
「天野!!! お姫様は時間がないんだ! ……すみません。お時間の都合があるので、生物学実験はご紹介できないんです」
梶谷はお姫様に謝ると天野に詰め寄った。
国際経済学部の学生たちも天野を睨みつけている。
「天野、頼むよ! 余計な口を挟まないでくれって!」
天野は肩をすくめ、しれっと言い放った。
「親切のつもりだったのに。仕方ない。梶谷にまかせるよ」
そう言うと、天野は国際経済学部の学生たちを睨み返した。
「それで……。お前らはいつまで俺様を睨んでるんだ? さては俺様に生物学実験をして欲しいのか? 丁寧にオペしてやるぜ。最初に解剖されたいのはどいつだ?」
国際経済学部の学生たちは慌てて天野から目を逸らし、深くため息を吐いた。
よりにもよってこんな時に来なくていいのに、というのが、その場の人間の総意だった。
*************
やがて全ての紹介が終わり、集団はキャンパスの中庭に戻った。
マスコミも撮影を終え撤収。
お姫様はロールスロイスでご帰宅だ。
「皆様。本日はご親切にありがとうございマシタ。日本の大学の様子を知ることができ、ユウイギな時間を過ごせマシタ」
国際経済学部の教授が揉み手をしながらお姫様に言った。
「是非とも、日本でも一流の我が大学をお選びいただければ光栄です」
「はい。参考にさせていただきマス」
天野は大したものだとお姫様を見つめた。
流暢に日本語を話している。
綺麗な黒髪、琥珀色の瞳、褐色の肌に魅惑な雰囲気をまとう彼女が入学すれば、たちまち人気者になるだろう。
「それでは本日はこれで失礼いたしマス」
お姫様が正門に向かった時、先ほど天野がSPに注意した紺のジャケットの男が物陰にいるのが見えた。
長い棒のような物を持っている。
(……嫌な予感がする)
天野はいち早く駆け抜け、お姫様を抱いて集団の中に押し込んだ。
「その中から出るな! いいな!」
天野は学生たちの混乱の声を無視して、紺のジャケットへ一直線に走った。
紺のジャケットは慌てて長い棒をしまい逃げようとしている。
SPも一歩遅れて天野の後を追いかけた。
「おらぁ!」
天野は逃げる男にタックルを決めて倒すと、持っていた長い棒を取り上げた。
思わず「ぎょっ」とした。
銃身の長いライフル銃だ。
「どうしました!?」
SPが天野に追いついた。
「あれを捕まえろ」
SPは天野が取り上げた銃を見て青ざめ、慌てて紺のジャケットの男を取り押さえた。
国際経済学部の学生たちも天野のもとへやって来る。
「あ、天野? いったい何が起きたんだ?」
天野は黙ってライフル銃を手渡した。
「ひ、ひいいいっ!」
ライフル銃を受け取った梶谷が悲鳴をあげる。
天野は気にせずゆっくりお姫様のもとに戻った。
「天野くん、何事だったのだね……?」
教授の声さえ無視して、天野はお姫様の前に立った。
お姫様は天野の顔を見て、少々怯えている。
「ライフル銃で狙撃されるところだったぞ。君は命でも狙われているのか?」
「あ、あなたは……?」
「俺様は医学部の天野だ。この学園では『天才クソ野郎』と呼ばれている」
「天才、クソヤロウ?」
お姫様は「天才」という意味は理解できたが、さすがに「クソ野郎」という単語は教わっていなかったようだ。
天野は気障ったらしく言った。
「性格の悪い最低の男、って意味ですよ。お姫さん」
お姫様はまた驚き、琥珀色の瞳を丸くさせた。
そして口元に手を当てて微笑んだ。
「天才と呼ばれながら、そのようにも呼ばれているんデスネ。ウフフ……。不思議な人デスネ」
国際経済学部の学生が、天野の肩を掴んで呼んだ。
「天野、状況を理解した。お姫様を車に戻そう」
「警察には連絡したか?」
「ああ、もう通報した。急ごう」
「よし、行こう」
天野はお姫様に寄り添い車まで護衛した。
「天野サン、ありがとうございマス。またお話したいものデスネ」
その言葉を聞くと、天野は懐から自らの名刺を取り出した。
実はこの男、学生のくせに名刺を携帯しているのだ。
「俺様の連絡先だ。何かあれば連絡するがいい。東京くらいは案内してやろう」
お姫様は名刺を受け取り、嬉しそうに笑った。
「ありがとうございマス。いただきマス」
丁寧に礼を告げると、お姫様はロールスロイスに乗って去った。
車が見えなくなると、天野は「ふう」とため息を吐いた。
「あ、あ、天野……。こ、これ……どうしよう……?」
ライフル銃を抱え、梶谷はもう涙目だ。
「お前、そんな持ち方すると暴発するぞ」
「ひいい!!!」
全員慌てて梶谷から離れる。
天野は梶谷からライフル銃を奪い取り、カチャカチャといじくり回した。
「お前……。ライフルなんて触ったことあるのか?」
「いや、俺様も初めて見る」
「だ、大丈夫なのか?」
「ちょっと黙ってろ。お、こうか」
ガチャン、と派手な音をさせて、ボルトをスライドさせる。
銃弾を取り出す天野を見て、一同大きく息を吐いた。
天野はライフルを持ったままSPに尋ねた。
「狙撃犯は日本人か?」
「ええ、金で雇われたチンピラのようですね」
「ふむ……」
やがてパトカーが到着して、狙撃犯は連行されて行った。
狙撃犯も依頼人が誰なのか、口を割るようなバカな真似はしないだろう。
どうせこの事件は報道されることもないだろう。
お姫様もこの大学に通うことはないだろう。
もうお姫様と会うこともないだろうなと、この時の天野は楽観的に考えていた。




