天野くんと混沌のカルテット
盛り上がる2次会の会場を出て、天野は喫煙所へ向かった。
喫煙所はロビーの奥に設置された狭いスペース。
天野はそこに立っていた1人の男に声をかけた。
「おいおい、こんなところで何をしてるんだ? お前はタバコを吸わないはずだろ」
「いいじゃないか。俺にも1本くれよ」
「ああ、いいぜ」
天野は男にタバコを渡し、火をつけてやった。
自らもタバコに火をつける。
しばらくお互い無言でタバコを吸っていたが、天野がぽつりと尋ねた。
「なぜ、毒を盛らなかった」
男は笑いながら答えた。
「はぁ? 毒? 何のことを言ってるんだ?」
天野は静かに男を見つめた。
「俺様が『天才クソ野郎』だと知っているだろう? 全てお見通しだよ」
男は苦笑しながら言った。
「お前、常に俺と料理をマークしてたじゃないか。あれじゃ盛りたくても盛れないさ。おまけに余興の瞬間ですら盾になりやがった。まったく優秀なSP様だよ」
天野はそれを聞き、静かに尋ねた。
「……なぁ、宮内。なんでお前、脅迫状なんか出したんだ」
宮内は黙ってタバコの煙を吐き出している。
「『混沌のカルテット』の結束は、固いと思っていたんだがな」
宮内はその名を聞くと、寂しげに目を伏せた。
「『混沌のカルテット』か。そうだな……。そう呼ばれていた時が、一番楽しかったよ」
宮内は天野に、そして自らに語りかけるように言った。
「俺はカルテットではアイツらを率いる指揮者だった。いつだってアイツらの先頭にいた。だが、成績でいえば最下位だった。卒業して研修医になって、改めて自分の実力のなさを嘆いたよ」
苦笑しながら言葉を続ける。
「コミュニケーション能力には自信があったつもりだったが、口下手なアイツらとつるんでいたからそう思えただけだ。大学を出ちまえば、俺は能力も才能もない平凡以下の研修医。己の無力さを痛感したよ」
宮内は天野に向かって、自嘲ぎみに笑いかけた。
「そんな時に、一番女と縁がなかった奥田が結婚するって言うんだぜ? 笑えよ天野。俺は嫉妬したんだ。俺が何ひとつうまくいってないのに、御曹司で恵まれた環境にあるアイツは上玉の女を捕まえて結婚だ。情けねぇ。俺は嫉妬に狂ったぜ」
宮内は小さく笑い、タバコの火を揉み消した。
「……もう1本吸うか?」
「ああ、悪いな」
2本目のタバコを吸いながら、宮内は天野に語りかけた。
「なぁ天野。お前も御曹司だ。俺みたいな凡人の気持ちなんてわからないだろ? お前は奥田に匹敵するほどの天才……いや、それ以上のポテンシャルを持っている。そんな天才に凡人の気持ちなんてわかる訳ないのさ。凡人の嫉妬なんてよ」
天野も2本目のタバコに火をつけた。
ゆっくりと煙を吐き出す。
紫煙を見つめながら、天野は静かに口を開いた。
「笑えだと? 宮内のことを俺が笑えるワケないさ。俺だって奥田の才能に嫉妬していた。それだけじゃない。俺は『混沌のカルテット』のことだって、羨ましいと感じていたぜ」
宮内は驚いたように目を見開いた。
眉をひそめて天野を見つめる。
「お前が、俺たちを……? な、なんでだよ?」
その反応を無視して、天野は言った。
「お前も、小谷野も、そして川島も祝辞で言っていた通り、奥田という天才に嫉妬していたのだろう。だが、お前たちは『カルテット』だった。『混沌のカルテット』と周囲から呼ばれるくらいの仲良し4人組だった。そこには確かにひとつの『絆』があった」
壁に寄りかかり、自嘲気味に笑う。
「俺には一生かけても手に入れられない、かけがえのない絆だ。苦しい時は励ましあい助けあうことができて、楽しい時はそれが何倍にもなる。お前たちのカルテットにはその絆があった」
宮内は苦笑しながら呟いた。
「……そうか……。絆か……。あはは、そうだな。絆があったよ」
天野は煙を吐き出し、宮内の顔を指さした。
「川島の祝辞を聞いた時、俺はお前の顔を見ていた。唇を噛みしめながら顔面蒼白となり固まった顔をな。あの時、お前は川島の器の大きさに感心していたんだろう?」
宮内はため息を吐いた。
「天才クソ野郎は何でもお見通しかよ。ああ、そうさ。川島の野郎、嫉妬の感情を乗り越えて感謝と祝福に変えやがった。川島に比べて、俺はなんてちっぽけなんだと愕然としてたよ」
宮内はタバコを投げ捨てた。
壁を軽く拳で殴る。
俯き、顔を両手で覆い、震える声を吐き出した。
「俺はダメな人間だ……。嫉妬にかられて脅迫文なんて書いた。そのくせ、毒なんて盛る勇気もなかった。何ひとつまともに出来やしない。何もかもダメな人間だ。俺には、何もないんだよ」
天野は軽く笑った。
そして背後に立つ人物に尋ねた。
「……だってよ。宮内はこう言っている。小谷野よ、お前はどう思う?」
宮内は驚いて顔を上げた。
いつの間にか喫煙所に、フランケンこと小谷野が立っていた。
「…………………」
「こ、小谷野、お前……!」
小谷野だけではなかった。
小谷野の巨体に隠れ、川島と、新郎である奥田の姿もあった。
『混沌のカルテット』の再会だ。
「川島に奥田……! お前ら、いつの間に……。今の話、聞いてたのか……」
俯く宮内に向かって、小谷野が3人を代表するように重い口を開いた。
「そんなことない。宮内、お前がいたから、俺は楽しかった。お前は俺にとって大切で必要な存在だ」
川島も頷いた。
「……ククク……その通りさ……。キミは自分の才能に気づいてないよ……フフフ……」
奥田が宮内の手を握る。
涙目になりながら宮内を見つめた。
「宮内、それは違うよ。嫉妬していたのはボクのほうだよ。ボクは宮内の明るさやリーダーシップにいつも嫉妬してた」
「奥田……。違うんだ……。俺はずっと……」
宮内の声を打ち消すように、奥田は震える言葉を重ねた。
「宮内はボクが持っていないものを、全て持っていたじゃないか。それなのに、キミはいつだってボクの友達だった。宮内がいなかったら、ボクはどん底の大学生活を送ってたよ。ボクがブタ野郎ってバカにされるたびに、そうじゃないって、お前は天才じゃんって、明るく励ましてくれたのは、いつも宮内だったじゃないか」
宮内の顔が歪んだ。
瞳から涙が溢れる。
「俺は、そんなんじゃない。俺はサイテーだよ。嫉妬にかられてお前を苦しめたんだ。俺のこと、恨んでくれていいんだぜ」
奥田はブンブンと首を横に振った。
「宮内のことを恨むはずなんかないお! ごめんよ。苦しめて。宮内、君はボクのかけがえのない友だよ」
川島がそっと近寄り、奥田と宮内の手に自らの手を重ねた。
「……ククク……宮内クン、キミがいなかったら、きっと僕は大学を辞めてたよ……。キミがいたから、苦しい日々を乗り越えられた……。僕がどれだけキミに感謝していると思うんだい……フフフ……」
小谷野が3人の手を覆い隠すように、自分の手を置いた。
「俺たちはカルテットだ。誰1人欠けることなんてできない仲間だ。これは宮内、口下手で誰とも関われなかった俺に、お前が言ってくれた言葉だ。俺はあの言葉があるから、今がある」
宮内は嗚咽を漏らしながら3人の仲間を見上げた。
「お、お前ら……。お、お、俺はぁ……」
それぞれの瞳にも涙が浮かんでいた。
「俺は……なんてバカなことを……! ごめん、奥田……。みんな、ごめんよ……!」
「いいよ。もういいんだよ、宮内。ボクこそ、何も気づけなくてごめんよ……」
「……ククク……また飲みに行こうよ……。宮内クンがいないと、楽しくないんだよね……フフフ……」
「俺もまた………宮内と……飲みたい………悩み…と…か………色々………話……そう………」
宮内は両手を広げて3人を抱きしめた。
「みんな……! ありがとう……。ごめん……!」
宮内は泣きながら3人に詫びた。
『混沌のカルテット』は強く抱きしめあい、そのかけがえのない友情と絆を確かめた。
「ふん、羨ましい光景だ」
天野はタバコを吸いながら、優しげに『混沌のカルテット』を見つめていた。




