天野くんのお芝居
宮元は冷や汗を流しながら車を操り、急いで柏田の自宅マンションへ向かった。
実のところ、天野が取り押さえるストーカー役、その場面を写真に撮って記事にするマスコミの人間、全て手配してスタンバイしているのだ。
まさかそこまで天野があっさり読んでしまうとは、川口も宮元も想定していなかった。
「いやぁ、僕はまきりんが推しメンなんだよ。ヨロシクね」
車内で上機嫌なのは涼太だけ。
柏田は天野の殺気に怯えながらも、涼太に頭を下げた。
「そうなんですか。ありがとうございます……」
「握手をお願いしてもいいかな」
「は、はい……」
「ついでにサインも貰ってもいいかな」
「構いませんけど……」
「いやぁ、今日は人生最高の日だよ。天才クソ野郎の相棒で良かったねぇ」
この柏田麻紀という娘は、前島が所属するアイドルグループの人気ナンバーツーだ。
前島がグループを卒業するため、今後は彼女がセンターを務めることになる。
愛称は『まきりん』。
売りは黒髪で清楚なルックス。キレのあるダンスパフォーマンス。
そしてグラビアイドルにも引けをとらない抜群のプロポーションが人気だ。
しばらくして、車が柏田のマンションに到着した。
天野は宮元と打ち合わせに入った。
「それで、具体的にはどうすればいいんだ?」
「柏田の住居にストーカーを演じる男が現れます。それを撃退していただきたいのです」
マンションの見取り図を広げながら説明を続ける。
「茂みの中にカメラマンが隠れております。マンションのエントランス前の中央、ここでストーカー役を取り押さえてください」
マンションの前には少し開けたスペースがある。
その中央に柏田が立った時、ストーカー役が現れて襲いかかるのだ。
「取り押さえる方法はどうする? 投げて組み伏せればいいのか?」
「それが理想ですね。相手を取り押さえた後、しばらく動かずにそのままの体勢でお願いいたします」
「そこで写真を撮るのか。涼太はどうするんだ?」
少し思案すると、宮元は車内からスタッフジャンパーを取り出した。
「このジャンパーを着て、ストーカー役の足元に立っていただけますか?」
背中にアイケープロの名前がある。
あえて背中を撮影させ、事務所の関係者であることを証明するのだ。
「男を取り押さえた後、顔はしばらく上げたままでお願いします」
「俺様の顔を確実に撮影するためか……。やれやれ、また俺の顔が全国誌に載るのか」
途中から会話を眺めていた涼太が、残念そうに声を出した。
「これじゃ、僕の華麗な足技の出番はなさそうだね」
「そうだな。俺が払い腰で投げて脇を固める」
「僕は背中が映るだけか。いいなぁ、勇二は美味しい役で」
「どこか美味しいんだよ。ふざけた芝居だぜ」
車がマンションのエントランスに停車すると、天野と涼太はアイケープロのジャンパーを着こんでスタンバイした。
川口はカメラマンらしき男と携帯電話で打ち合わせしている。
「……では、今から始めます。麻紀ちゃん、お願いね。こんなことを頼んで本当にごめんね」
「大丈夫です。悠子ちゃんのためですから」
柏田は無垢に微笑んだ。
これはそもそも、前島のスキャンダルを返上するための芝居だ。
柏田にとって、前島はグループの仲間であり、友人でもある。この程度の芝居は安いものだった。
前島は嬉しそうに友人の手を握った。
「まきりん、ありがとう。今度なにかご馳走するね」
「気にしないで。私のスキャンダルの時はよろしくね」
そこに涼太が割り込む。
「僕はまきりんのためなら、本当にボディガードを務めても構わないよ」
「調子のいいことを言うな。行くぞ」
柏田がゆっくりバンから降り、マンションに向かって歩き出した。
その数メートル後方から天野と涼太が追いかける。
「いやぁ、まきりんは後姿も綺麗だね。もう僕ちゃんの理想そのものなんだよねぇ」
「お前の好みなんてどうでもいい。あれか、敵が来たぞ」
前方からストーカー役の男が現れた。
柏田は指定のポイントで立ち止まる。
「まきりん! 待ってたよ!」
ストーカー役が奇声をあげながら動いた瞬間、天野が駆け出した。
「おらぁ!」
柏田の横を走って通り過ぎると、その勢いで顔面に飛び膝蹴りを叩きこむ。
着地と同時に左の掌底。
右手で奥襟を掴み、払い腰で豪快に地面に叩きつけた。
そのまま脇固めで男を捕獲して正面を睨みつける。
視界の右側から数回フラッシュがたかれた。
その間、涼太は男の足元に立ってカメラに背を向けていたが、異変に気づいて叫んだ。
「あれっ!? 勇二! もう1人来たけど!?」
「なんだと?」
後方の物陰から刃物を持った覆面姿の男が現れた。
ちょうど涼太の真正面だ。
「よくわからんが……ぶちのめせ!」
「オッケー!」
覆面男が柏田に近づく前に、涼太は自慢の足技を繰り出した。
鋭い三日月蹴りが男の持っていた刃物を高く弾き飛ばす。
そのまま流れるように左顔面へハイキックを叩きこんだ。
「ぎゃっ」
流れるように中段への回し蹴り、膝への関節蹴り、太腿への前蹴り、顔面への足刀蹴りを打ち込む。
どれも鋭く威力のある蹴り技だ。
生半可な威力ではない。
「ひぃっ!」
覆面男は呆気なく戦意を喪失した。
悲鳴を上げて逃げ去る姿を、涼太は構えながら見送った。
「決まったね! まきりん! 僕の足技、見た? イケてた?」
柏田は不思議そうに首を捻った。
「お、おかしいですね。ストーカー役は1人のはず、なんですけど……」
「えっ? そうなの?」
天野はそれを聞くと、組み敷いている男に尋ねた。
「おい、ストーカー役は何人いるんだ?」
「へぇ? 僕だけですけど?」
男がのんびり声を出した瞬間、天野の左脇にある茂みの中から、もう1人覆面を被った男が飛び出した。
その姿を見て、さすがの天野も血の気が引いた。
猟銃らしき散弾銃を持っている。
銃口の先にあるのは、柏田の姿だ。
「涼太! 後ろだ!!!」
天野は叫びながらストーカー役の手を放し、散弾銃を持った覆面男に飛びかかった。
涼太は振り返って銃口を確認すると、とっさに柏田を抱いて真横に飛んだ。
天野が銃口を僅かに逸らした瞬間、散弾銃が火を吹いた。
乾いた発砲音がマンションの前に響き渡る。
「くそっ!」
天野は銃を持つ男の指を掴み、即座に折り曲げてへし折った。
「ぎゃああっ!」
悲鳴をあげる覆面男から散弾銃を奪い、鼻柱に何度も銃底を叩きつける。
1発、2発、3発。
怯んだ隙に鳩尾への膝蹴り。
最後は前蹴りで吹き飛ばした。
「涼太! 大丈夫か!?」
涼太は柏田をかばい倒れこんでいた。
「いてて……。い、生きてるよぉ……」
肩に跳弾を受けて負傷していたが、それほど酷い怪我ではない。
散弾がスタッフジャンパーを切り裂き、微かに出血している程度だ。
「ど、どうなってんだ! 柏田! 怪我はないか!?」
「は、はい。私は大丈夫です……」
銃声を聴いて、バンから慌てて宮元と川口が飛び出して来る。
天野は堪らず叫んだ。
「おい! これもシナリオの内なのか!?」
宮元は青ざめて首を振った。
「ち、違います。こんなこと、予定には……」
「くそっ!」
天野は背後を振り返り、散弾銃を持っていた覆面男を睨んだ。
男はよろけながらも必死に逃げ出そうとしている。
「宮元! 柏田をマンションの中に入れろ! 川口はこれを持って警察と救急車を呼べ!」
散弾銃を川口に押し付け、天野は覆面男を追いかけた。
覆面男は敷地の出口に向かってよろけながら走っている。
「待て! 逃げられると思うな!」
追いかける天野を遮るように、1人の体格の良い長髪の男が立ちはだかった。
「なっ? 誰だ、お前は?」
長髪の男は質問に答えず、ボクシングの構えで天野を睨みつける。
殺気に満ちた鋭い瞳だ。
挑発的な笑みを浮かべている。
「お前は何者だ? 邪魔をしたいのか?」
かなり体格の良い男だ。
天野よりも頭ひとつ高い。190cmは超えているだろう。
おまけにはち切れそうなヘビー級の筋肉の持ち主。
それがボクシングの構えで立ちはだかっている。
(なんだこいつは。まずい相手じゃねぇか)
体格だけ見れば天野より上だ。
この男がボクシングを習得していれば、殴り合っても勝ち目はないだろう。
もし総合格闘技などを学んでいれば、組み合うことも避けたい。
「返事がないな。さては貴様、話すほどの知能が……」
言葉の代わりに高速の左ジャブが襲いかかった。
合気道を習得している天野は手首を掴み、捻り上げて投げることを得意としているが、この拳はあまりにも速すぎる。
避けるだけで精一杯だ。
後退する天野の左足に、長髪の男が鋭いローキックを放つ。
(チッ。こいつ、ボクシングだけじゃねぇ)
蹴りが重く鋭い。
この一撃だけで左足が麻痺するかのようだ。
相手は何かの格闘技に精通している。
長髪の男は間合いを詰めず、天野の動きを注視している。
無闇に攻め込んで来ない。
天野を倒すことが目的ではなく、ここに足止めして時間を稼ぐつもりなのだ。
散弾銃を持っていた覆面男の背中がどんどん小さくなっていく。
天野としてはタックルを仕掛け、得意の関節技で瞬殺したい。
だが、相手はその動きも読んでいる可能性が高い。
お互いが警戒しながら、じりじりと間合いを詰めていく。
(仕方ない。こちらから仕掛けるしかないのか)
天野は覚悟を決めた。
前のめりに倒れこみながら前進し、間合いを一気に詰める。
低い姿勢からの高速タックル。
長髪の男の両足を刈りにいく。
天野を迎撃するため、長髪の男は膝蹴りを放った。
しかし天野は即座に反転して避け、鳩尾に肘を打ち込んだ。
(チッ。外したか)
肘打ちは僅かに急所を外した。
筋肉の分厚い壁に阻まれる。
それでも鋭い肘の一撃だ。
素人であれば昏倒してもおかしくない威力に、長髪の男は驚きの表情を浮かべた。
(まるで手応えがない。なんて筋肉だ)
肘を滑らせながら反転。
左右からの掌底を脇腹へ打ち込む。
肝臓と肋骨を破壊する攻撃だが、長髪の男は怯まない。
天野は相手のガードが下がった隙を狙い、かち上げるような掌底を放った。
「ぐはっ!」
掌底は僅かに避けられた。
逆に男の左ストレートが天野の顔面に命中していた。
「クソが……。この俺様の顔を殴りやがったな……」
堪らず距離を取って離れる。
鋭く重い拳だ。
飛びそうな意識を必死に引き戻す。
「おまえ、ヤルな。若い。でも、イイ動きだ」
長髪の男が不敵に笑い、見たことのない構えをとった。
(この発音は日本人じゃねぇな。どこの人間だ? そして、その構えはなんだ?)
そう天野が思った瞬間だった。
長髪の男が跳躍した。
右足を垂直に振り上げている。
間合いを一気に跳躍して詰め、踵落としで叩き潰すつもりだ。
「うおおっ!」
ガードする余裕なんてなかった。
紙一重で避け、転がるように逃げ回る。
そこにも鋭い回し蹴りが飛んでくる。
竜巻のような蹴りのラッシュだ。
あらゆる角度から飛んでくる。
空手の有段者である天野が見たこともないような蹴り技だ。
転がるように逃げ回る体を、長髪の男のソバットが撃ち抜いた。
「ごほっ」
天野の体が軽く吹き飛ばされた。
恐ろしいほどの威力だ。
肋骨が折れて肺に突き刺さったんじゃないか、と錯覚するほどの威力だった。
「な、なんて蹴りだ……」
苦しげに息を吐く天野を見て、満足気に長髪の男は蹴りのラッシュを止める。
天野はすかさず前方に転がると、体を捻って地面を這うような蹴りを放った。
「グッ」
長髪の男が小さく呻いて後退した。
苦し紛れの水面蹴り。
しかし天野は靴に鉄板を仕込んでいる。
スネにでも当たればダメージは大きい。
「得意技は『テコンドー』か……。お前、素人じゃないな」
そう言いながら立ち上がって呼吸を整え、素早くローキックを放った。
長髪の男は靴に何か仕込まれていると察し、ガードせずに後退して避ける。
(くそっ、ラチがあかねぇぞ……。こいつは間違いなく殺人者だ。拳でも蹴りでも勝ち目はない。関節を取れる隙はない。どうすればいい……)
互いが少しずつ間合いを詰めた時、長髪の男の後方に白いワンボックスが猛スピードでやって来た。
急停止し、けたたましくクラクションを鳴らす。
もう散弾銃を持っていた覆面男の姿は消えていた。
長髪の男は後方を確認すると、天野に向かって微笑んだ。
「命拾い、シタな。また、会おウ」
「お前と二度も顔を合わせる気はない。ここで潰してやる」
「モウ、時間だ」
長髪の男は天野に背を向けると、白いワンボックス目掛けて走り出した。
「待て!」
必死に後を追うが、長髪の男は逃げ足まで機敏だった。
追いつくことも出来ない。
長髪の男が白いワンボックスに飛び込むと、車は急発進して去っていく。
ナンバーを確認するが隠されており、車両を特定することはできなかった。
「くそっ!」
遠くからパトカーと救急車のサイレンが近づいてくる。
天野が急いでマンションの入り口に戻ると、壁に寄りかかり肩を押さえる涼太、怯えて腰を抜かしている川口、涙目で震えているストーカー役の姿があった。
「川口よ、柏田はどうした」
「へ、へ、へ、部屋に戻しました……。宮元と、一緒です……」
川口は銃を握ったまま震えている。
「前島はどこにいる!? 前島はどうした!」
「く、車の中です」
天野は急いでバンに駆け寄った。
「前島、無事か!」
「師匠!」
泣きながら前島が飛びついた。
小さな体が恐怖で震えている。
「ふぅ……。お前は無事か」
「はい……。車からずっと見てました。何もできなくてごめんなさい……。お怪我はありませんか?」
殴られた頬、蹴られた足と腹が痛む。
だが、骨に損傷がある程ではない。
「大したことはないさ。相手は本気じゃなかった。それでも勝てる気がしなかった……。一体どうなってやがる……」
前島の肩を抱きながら、天野はこれ以上ないほどの屈辱に包まれていた。




