天野くんの後日談
入学式から幾日か過ぎた日。
トップアイドル前島悠子はキャンパスライフを謳歌していた。
いくら国民的アイドルグループに所属している芸能人とはいえ、入学してしまえばただの女子大生と変わりない。世間やメディアも前島のキャンパスライフを追いかけ回すほど暇ではないのだ。
前島は学科の中で気の合う友人を見つけ、当たり前のように大学生活を楽しんでいた。
時刻は昼時。
珍しく前島は学生食堂で昼食を取ることにした。
好物である『うどん』をお盆に載せている。
「席、空いてないねぇ」
学生食堂は混んでいた。
女子グループが座れるスペースはない。
「ねぇねぇ、今日は晴れてるし、あっちはどう?」
前島は学生食堂の2階を指さした。
「オープンテラスがあるんでしょ? 行ってみたいなぁ」
友人の一人が「テラス」という単語を耳にして、慌てて首を横に振った。
「ダメだよ。テラスはまずいって。先輩に行くなって注意された」
「あ、それあたしも聞いた。あれでしょ。変な人がいるんだよね」
「そうそう。なんかキモくて怖い人がいるって」
前島はのんびり小首を傾げた。
「別に誰がいてもいいんじゃない? 無視すればいいよ」
友人たちは涙目で首を振った。
「嫌だよ! 声かけられたらどーすんの?」
「うちらには悠子ちゃんがいるからさ、絶対声かけてくるよ。悠子ちゃん狙いの男はしつこくてキモいのばっかりだもん」
「あはは、そんなことないって。気にしすぎだよ。私のこと知らない人多いもん」
前島は友人たちの手前、謙虚な言葉を吐いた。
「悠子ちゃんはわかってないよ。結構多いんだよ。悠子ちゃんの連絡先教えろって近寄る男が」
「言えてる。誰がてめーに教えるか、鏡見てから出直してこいってんだよ」
友人たちは楽しそうに笑った。実に頼もしいグループだ。
同級生とはいえ、トップアイドルと一般人。どうしても格差が生じてしまう。それでも表面上は友人として付き合ってくれている。その微妙な距離感がありがたかった。
「テラス行ってみたいなぁ。私、オープンテラス好きなのに」
前島はしょんぼり肩を落とした。そのいじけた顔すら可愛らしい。
友人たちは「ちくしょうどんな顔でも可愛いなぁ」と、素直に羨ましく思った。
「悠子ちゃん、テラスはダメだよ。絶対に行かないほうがいい」
友人の1人が神妙な顔つきで言った。
周囲を気にしながら言葉を続ける。
「この間、先輩に詳しく教えてもらったの。なんでテラスに誰も行かないか。なんかね、天野っていう野蛮な男がいるんだって」
「天野、さん……。先輩なの?」
「そうみたい。医学部の首席で天才児らしいんだけど、何度も暴力沙汰を起こしてるんだって。先輩は『白衣を着た悪魔』だとか、『天才クソ野郎』だとか、変なあだ名で呼んでた」
前島は可笑しそうに笑った。
「なにそれ? ヘンテコな名前だね。クソ野郎なのに天才なんだ。会ってみたいなぁ」
「笑い事じゃないって。白衣を着た長身のイケメンを見たら逃げろ、って言われたよ」
友人の一人が魅力的なフレーズに飛びついた。
「えっ、医学部で長身のイケメン? それマジ? 絶対知り合いたい! 紹介して!」
きゃあきゃあと歓声をあげている。
「だから! そんなのじゃないんだって。先輩は本当に気をつけろ、って言ってた。格闘技もやってるらしくて、骨を折られた先輩が何人もいるんだって。噂じゃヤクザと関わりがあって、人を殺したこともあるんじゃないか、って」
さすがに女子たちは大人しくなった。
そこまでの噂は怖い。
長身のイケメンでもチンピラとの付き合いはお断りだ。
「……私、もしかしたら、その人、会ったことあるかも」
前島の呟きを聴き、友人たちは色めき立った。
「ほんとに!? 怖いことされなかった!?」
「うん。その人にはされなかった」
「実際どうだったの? その人イケメンだった!?」
「うーん。まぁ、イケメンだったと思うよ。あんまり顔見てないけど。白衣を着てて背が高かったなぁ」
「どうして見なかったの? そういうのチェックしないと!」
前島は困ったように苦笑した。
「入学式の時だったんだもん。急いで移動しなくちゃいけなかったし、ちょっとその時、色々なことがあったから……」
前島は言葉を濁した。入学式の時のことは覚えている。
移動中にファンに声をかけられ、ファンらしき人が迫って来て、気づいたら白衣を着た男が組み敷いていた。あっという間の出来事のように感じた。
あの時、誰かが白衣を着た男の名前を言っていた。
確かに『天野』という名だったかもしれない。
「……入学式? 悠子ちゃん、何か入学式であったの?」
前島が顔をあげると、心配そうな友人たちの顔が見えた。
前島のトーンが暗くなり俯いてしまったので、友人たちは心配になったのだ。全員が不安気な表情を浮かべている。
「ううん。何でもないよ」
前島は純真無垢な笑顔を浮かべた。
「それより席探そうよ。お腹空いちゃった。あそこの席空きそうじゃない?」
「本当だ! すみませーん! そこいいですか!?」
友人たちと席に向かいながら、前島はちらりとテラスへ続く階段を見つめた。
(天野さんかぁ……)
考えてみればあの時、前島は天野という男に助けてもらったのだ。
突然のことで理解できていなかったが、あのまま立ち去ってしまったのは、とても失礼なことのように感じた。
あの後、彼らはどうなったのだろうか。
(いつかちゃんと御礼を言わなきゃ。それに皆が言うほど、怖い人じゃなかったような気がするなぁ)
男を組み敷いて鬼の形相を浮かべる天野の顔を思い出し、前島は小さく微笑んだ。
(どうしてあの人、あんなところで『お芝居』なんかしてたんだろう)
席を確保した友人たちが呼んでいる。
前島はお盆を抱え直し、急いで向かった。
*********
前島が友人たちとうどんをすすっている頃、テラスでは噂のクソ野郎と、その相棒である涼太がパンを頬張っていた。
この場所は学生ならば誰でも利用して構わない。しかし、今は天野と涼太が事実上占拠してしまっている。天野が好んで根城にしているので、一般生徒は近づかなくなってしまったのだ。
「どうやら、中尾くんは前島悠子ちゃんから推し変することにしたみたいよ」
涼太がスマホをいじりながら言った。
「『推し変』? なんだそれは?」
「前島悠子ちゃんじゃなくて、これからは別のアイドルを応援する、ってことだよ。次は若い娘にするみたい。噂じゃお相手は中学生だって」
「ほう、あのオタク野郎め。なかなか賢いじゃないか。確かに中学生ならば大学生になるのは遠い未来だ。どうやら『薬』が効いたみたいだな」
2人はニヤニヤと品のない笑みを浮かべていた。
「言えてる。勇二の特効薬が効いたんだよ。さすがに、大好きなアイドルを見殺しにしたなんて、寝覚めが悪すぎたんだろうね」
「情けないヤツだ。この程度で手を引くとはな」
「ホント勇二は酷いこと考えるよ。あんなの誰も対処できないって」
「そうか? 俺様は華麗に対処してやったじゃないか」
「そりゃ対処できるよ。自分で書いた台本なんだからさ」
天野はニヤリと悪い笑みを浮かべた。
「あの青シャツの男は良い演技をしていたな。隙を見せずに近づき、小娘に襲いかかった速度も悪くなかった。どこで見つけたんだ?」
「柔道部の友達だよ。新歓コンパに誘うから、って言ったら、例えクソ野郎が絡んでいても協力してくれるもんだね。気持ち悪いドルオタの演技も最高だったね」
「ああ、そこも良かった。影のMVPだな」
全ては天野の仕込みだった。
前島と中尾を接触させる場所を選び、そこに現れる不審者を用意し、天野がギリギリのところで取り押さえる。
全てが台本通りの『お芝居』だ。
「中尾くんがヒーローとして活躍できても、たぶん友達には勝てなかったね。柔道部の黒帯だもん。素人じゃ相手にならないよ」
「それが出来れば少しは見直してやったのに。残念だよ」
天野はタバコに火をつけると、失望したような表情を浮かべた。
その表情を涼太はじっと見つめた。本当に失望しているような顔つきだ。
涼太は少し気になっていたことを尋ねた。
「ちょっと聞きたかったんだけどさ、もしも、中尾くんが前島悠子ちゃんを守ったとしたら、勇二はどうするつもりだったの?」
「アイツはそれが出来る男じゃない。本当に小娘しか見えていなかった。視線を遮って不審者役を隠す必要もなかったよ」
「だけどさ、世の中どう転ぶかわかんないよ。例え勝てなかったとしても、盾になって死ぬことは出来るんだからさ。それだけでも立派なもんじゃない?」
天野は神妙な顔つきで紫煙を見つめた。
ぽつりと呟く。
「……もし、中尾が盾になれたなら、認識を改めても良いと考えていた」
タバコの煙を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
「お前も知っている通り、俺は女に執着しない。したこともない。アイツが抱いていた感情の『本質』が、俺様には理解できないんだ。愛だの恋だの、そんなもの俺にはさっぱり理解できない」
涼太は少し悲しげに天野を見つめた。
「中尾くんにもね、本物と呼べる感情はあったと思うよ。その方向性が間違っていただけでさ」
「そうか? 俺にはそう思えんな。本物と呼べる感情があるならば、前島悠子に謝罪するなり、俺様に泣きつくなり、推し変とやらをする前にすべきことがあるさ。アイツはそれをしなかった。そうだろう?」
「まぁ、そうなんだよねぇ……」
中尾は結局、前島悠子に関わることを止めてしまった。
涼太も中尾と会い、「もう前島悠子ちゃんにはアタックしないの?」と尋ねてみたのだが、
「悠子ちゃんは、もういいんです……。僕は彼女を守れませんでしたし、彼女の前に立つ資格もありませんよ……。僕はもう、彼女のことを考えたくないんです……」
そんな言葉を返し、涼太の前から去ってしまった。
前島悠子はおろか、天野や涼太たちとも関わりたくない、といった表情を浮かべていた。
それ以来、中尾は前島悠子への接触を試みていない。
「結局、中尾は『情けない自分』から逃げる道を選んだ。前島悠子のことを考える度に、守ることができなかった後悔や、屈辱や、恐怖が襲いかかる。中尾はそれから目を逸らした。あの時の後悔から逃げ出し、やがて、前島悠子を想うことからも逃げ出した……。全て、俺様の読み通りであり、描いていたシナリオの通りだ。これで、イカれたアイドルファンのつまらねぇ幻想をぶっ壊すことができた、というワケさ」
天野はタバコを携帯灰皿に押し込むと、のんびりと青空を眺めた。
「どれだけアイドルを好んでいても、一番可愛いの自分自身さ。それも人間の『本質』であり真理だろう。あいつは、『まがい物のファン』だった。いや、きっとその感情こそが『まがい物』なんだ。俺は改めてそう感じたよ」
眩しげに青空を見つめる。
天気は晴れ。気温も上々。テラスには柔らかい木漏れ日がこぼれている。
天野は気分を変えるように言った。
「そんなことより涼太。ひとつ面白そうな依頼が入っている」
涼太は大きく目を見開いた。
「またぁ? また勇二に依頼した人がいるの?」
「ああ、いつものことで悪いが協力してもらうぞ」
「別にいいんだけどさぁ、僕は勇二の噂がどんどん悪くなるんじゃないかと心配だよ。ただでさえ勇二は目立つってのにさ」
「よく言うぜ。お前も嫌いじゃないくせによ」
「うぷぷ……。よく知ってるねぇ。僕もね、事件屋稼業にハマり始めてんだよね。どんな依頼なのさ?」
天野はニタニタと悪い笑みを浮かべた。
「何でも長いこと交際していた女と別れたいんだとよ。綺麗さっぱり手を切って捨てたいらしい。円滑な別れ話をプロデュースしてくれと頼まれた」
「うわぁ、なにそのドロドロしてそうな依頼。たまんないじゃん」
「これが実に厄介な女なんだ。どうだ、お前好みの依頼だろう?」
「うんうん。だけど女の子を捨てるのは大変だよ? 下手すれば刺されちゃうんだから。恋も愛も知らないクソ野郎が女心なんてわかるの? ちゃんと解決できる?」
「ふん、愚問だな」
天野は大げさなジェスチャーを振り回した。
「どんな依頼だろうと、この天才クソ野郎にかかれば、全てうまくいくのさ」
テラス席にこぼれた木漏れ日が、天野の 気障ったらしい笑みを照らした。
天才クソ野郎はテラスにいる。
もしもあなたが警察や弁護士に相談できない悩み事を抱えているならば、昼時にでも訪ねてみるといいだろう。
大した金額は必要ない。天野の空腹を満たすことが出来ればそれでいい。
きっと天野は気障ったらしい言動を振り回し、あなたの依頼を小馬鹿にしつつも引き受けてくれる……かもしれない。
(おしまい)
ご愛読いただきありがとうございます。
何かひとつでも心に残るものがあれば幸いです。




