天野くんのプレイボール
翌日の夜。
天野は夜間照明の灯る野球場に、澤崎と内藤を呼び出した。
相棒である涼太と前島の姿もある。
「君が内藤くんか。医学部の天野だ」
内藤は訝しげな表情を浮かべた。
澤崎に呼ばれて野球場まで来たのに、白衣姿に白い手袋をつけた天野。私服姿の涼太とアイドルの前島。異色の組み合わせが揃っている。
「澤崎から依頼を受けてな。君を説得するために参上したのさ」
「説得? 何のことですか?」
「もちろん『メジャーへの挑戦』のことだよ」
「……!」
内藤は澤崎を睨みつけた。
澤崎は恥ずかしそうに顔を伏せていたが、覚悟を決めて口を開いた。
「……内藤、僕は日本球界に進むよ。どうか、あの動画を消してくれないか」
内藤は苦笑いを浮かべた。
「なんだよ。部外者に俺たちの関係を喋ったのか?」
「天野さんにはお世話になったんだ。秘密は守ってくれるよ」
「お前と俺だけの秘密だと、思っていたのにな」
呆れたように語りかける。
「何度も話したじゃないか。いつかメジャーのマウンドに立つと。そこが俺たちの目指す場所のはずだ」
「その気持ちは変わらない。僕だってアメリカに行きたいさ」
澤崎は悲しそうに肩を落とした。
「でも僕には『王子』という肩書がある。大学へ進学するのだって、色々な人に迷惑をかけたんだ。これ以上、自分のエゴで関係者に迷惑をかけたくない」
内藤は呆れたように両手を広げた。
「それなら決まりだな。お前との関係を暴露する。お前は死ぬまで『男色』という肩書を背負って投げるんだ」
「な、内藤! それは! それだけはやめてくれよ!」
澤崎が青ざめる。
それを見て天野が口を開いた。
「……おい内藤よ。お前、本当にメジャーとやらで通用するのか?」
2人から離れ、落ちていた金属バットを拾う。
「お前と他の選手では何が違うのか……。俺にはさっぱりわからないんだがな」
内藤は鼻で笑った。
「あなた素人でしょ。素人にはわかりませんよ」
「いいや、わかるね」
天野は金属バットを担ぎ、指先を気障ったらしく振り回した。
「本当はお前、メジャーへの挑戦なんか望んでないんだろう? 望んでいるのはアメリカで澤崎とオスの性行為に励むこと……。それだけだろう?」
内藤は顔を真っ赤にして詰め寄った。
「違う! あなたみたいな素人に何がわかるんですか?」
「だってそうじゃないか。お前は澤崎という恋人を連れて行くことにこだわっている。なぜ1人でメジャーに挑戦しない?」
「俺は澤崎のために言ってるんです。こいつは今すぐメジャーへ進むべきなんですよ」
「違うな」
金属バットを片手で軽く振り回し、言葉を続ける。
「少し話が変わるが、先日1人の女と出会った。彼女は澤崎に憧れ、長い年月をかけて近づいた。その結果、見事にホームラン。彼女は澤崎の子供を身篭った」
「な、なんだって……? 本当なのか?」
内藤は怒りに震えながら澤崎を睨みつけた。
澤崎もじっと内藤を見つめている。
片方は謝罪の眼差し。もう片方には嫉妬の眼差しが含まれている。
「しかし、彼女は澤崎の将来のために中絶を選択した。そして澤崎の前から姿を消した」
バットを地面に向け、偉そうに言葉を続ける。
「お前にその女の気持ちがわかるか? ……いや、わかるワケがないのさ。澤崎の置かれている環境。スターという看板。将来を自由に決められない不甲斐なさ。そんなものを理解せずに、自らの『エゴ』に巻き込もうとした。彼女はそのことに気づいたからこそ、自分から身を引いたよ」
内藤は真正面から天野を睨みつけた。
「俺とその女は違う。俺だって澤崎と同じスターの看板を背負っている」
「お前が澤崎と同じ? 笑わせてくれるぜ。俺は澤崎から紹介されるまで、お前の名前なんて聞いたこともなかったよ」
「それは……。これからだ。これから、俺の名も世間に知れ渡る」
「大事なのは今だ。今のお前は王子じゃない。将来、スターになれる保証もない。それを理解している。だからこそ恐れているんだ」
指先を振り回し、内藤の鼻先に突きつける。
「お前は自分が『メジャーで通用しない可能性』を恐れている。だからこそ、澤崎を手放すことができない。1人でメジャーに挑戦することができない臆病者……。それがお前の正体だ」
内藤は思わず天野の胸倉を掴んだ。
怒りに震えながら叫ぶ。
「俺はメジャーでも通用する! あなたに何がわかるんだ!」
胸倉を掴まれたまま、天野はヘラヘラと笑った。
「だから言っただろう? お前はそこらの草野球にいるピッチャーと何も変わらないよ。素人の俺でも打てそうだ」
「あなたでも打てるって? あなたなんか、俺の球にかすりもしませんよ」
「おいおい。あまり大口を叩かないことだ。軽くホームランにできるさ」
「な、なんだと!」
内藤は『大学一の左腕』と呼ばれている男だ。
屈辱に震えながら叫んだ。
「あなたに3球投げても、俺より後ろには飛ばさせない。賭けたっていい!」
天野は高笑いをあげた。
「あっはっは! 今『かすりもしない』と言ったのに、『後ろに飛ばさせない』という条件に変わったぞ? やはりお前は自信がないのさ。だから澤崎を連れて行きたいんだろう? アメリカで惨めな夜を過ごしても、澤崎がベッドの中で優しく慰めてくれるもんなぁ?」
2人は額を突き合わせた。
一触即発の状態だ。
涼太たちは止めるべきか迷っている。
「……そこまで言うなら、打ってみてくださいよ」
内藤はマイクロカードを取り出した。
「この中に『動画』が入ってる。あなたが3球の中で、1球でも俺より後ろに飛ばせたなら、これを渡してもいい」
「おいおい。それはフェアじゃないな」
天野は冷静に首を横に振った。
「お前が持つ全ての記録媒体の破壊。お前と澤崎が無関係と証明する動画の撮影。これらの条件が必要だな」
「それでも構いませんよ。ただし、俺が勝ったなら、澤崎はメジャーに挑戦してもらいましょうか」
天野はしばし腕組みをして思案した。
澤崎が不安げにその姿を見つめる。
「……もう1つ、条件がある」
静かに口を開いた。
「ストライクゾーン以外の投球はノーカウントだ。それで構わないな?」
「ああ、いいでしょう」
「ならばやろう」
賭けが成立した。
澤崎と涼太が慌てて駆け寄る。
「天野さん! 無理ですよ! 内藤の球を打てるはずがありません! それに僕の将来を勝手に賭けないでください!」
「お前は俺様に依頼した。もう全ての決定権は俺にある」
「無茶だよ勇二! 硬球なんか触ったこともないでしょ! 相手は150kmを叩き出す大学一の左腕だよ!」
天野は軽く無視すると、前島に向かって顎でベンチをさした。
ヘルメットが置かれている。
前島は慌ててそれを取り、天野に手渡した。
「師匠、ちょっとやばい賭けだと思いますよ」
「なんだお前ら。俺は内藤の後ろに飛ばすだけだ。こんな簡単な賭けはないだろ?」
「無理だっての! 勇二は内藤くんを甘く見すぎ! プロ級の逸材なんだよ! 勇二みたいなド素人が打てるはずないってば!」
内藤はグラブとボールを3つ取った。
「澤崎、お前がキャッチャーだ」
マウンドへ向かって歩き出す。
天野もバッターボックスへ向かった。
「そんな……。無理に決まってる……」
「澤崎! お前が頼んだ相手だろ! もう諦めろ!」
内藤はマウンドに上がり、軽く肩を振った。
天野はバッターボックスに立ち、バットを軽く肩に乗せた。
澤崎は涙目になりながらキャッチャーボックスに座った。
「いくぞ澤崎! これでお前もメジャーだ!」
内藤が大きく振りかぶった。
左腕から豪速球が放たれる。
天野は黙ってその球を見送った。
「どうしたんですか? ど真ん中ですよ」
勝ち誇った笑みを浮かべ、2球目を手にする。
天野が驚いたように呟いた。
「なるほど。これは速い」
「天野さん、今からでも遅くありません。違う方法を考えましょう」
「残念だが、もう手遅れだ」
また内藤が大きく振りかぶった。
左腕から放たれる豪速球。
今度は天野もしっかりバットを構えた。
そして、鋭く振り回した。
カキーーーン!
グラウンドに快音が響いた。
内藤と澤崎は思わず打球を見失った。
バットに当たった。上に飛んだ。
そこまでは理解できたが、どこにも球が見当たらない。
打球の軌道が見えたのは、打った天野本人と、離れて見ていた涼太と前島だけだった。
「あ、あ、あ……」
涼太が声にならない叫び声をあげた。
やがて「ガン!」と乾いた音が彼方から響いた。
内藤と澤崎が驚いて振り返る。
白球がバックスクリーンに直撃し、地面に落ちようとしていた。
「ほう……。見事なホームランだ」
内藤がゆっくり膝から崩れ落ちた。
「そんな、馬鹿な……」
マウンドの上で震えている内藤に、天野がゆっくりと近づく。
「だから言っただろう? お前はメジャーで通用しないとな。大人しくカードを出せ。俺様との約束を反故にしたら、その左指を再起不能にしてやるぜ」
内藤が力なくうなだれる。
白球はバックスクリーン下に転がり落ち、ようやく静かにその動きを止めた。




