天野くんと王子様
翌日の昼。
テラスには天野と、相棒である涼太の姿。
そしてトップアイドルである前島悠子の姿があった。
「ねぇ師匠、本当に『王子様』が来るんですか?」
「来るさ。来なければスキャンダルがばら撒かれる。それは絶対に避けたいはずだ」
涼太が肩をすくめながら口を挟む。
「昨日リサーチしてみたけど、他に王子様の浮いた噂は出てこなかったよ。他に泣いてる女の子はいないと思うね」
「上出来だ。それが心配だったんだ。何人も孕ませて逃げるようなクズは許しちゃおかねぇ」
天野の顔は怒りに満ちている。
かなり苛立っているようだ。
前島がとりなすように言った。
「で、でも『てへぺろ王子』に会えるなんて楽しみですよね。サインもらっちゃおっと」
『てへぺろ王子』とは、澤崎の『あだ名』だ。
澤崎は元々、甲子園を春夏連覇したエースピッチャーだった。
端正な顔立ちの男前。
実力と人気を兼ね備えたスター。
ピンチの時に唇を舐める癖があり、その仕草が可愛いと『てへぺろ王子』という愛称がつけられたのだ。
高校卒業後はプロに進むと期待されたが、本人は大学進学を希望した。
澤崎の入学時は、甲子園のスターがやって来たということで、大変な騒ぎになったものだ。
だがそれも昔の話。
澤崎も大学4年生。今年の『ドラフト』の目玉だ。
いったい何球団が澤崎を指名するのか、世間はそんな話で持ちきりだ。
「ほら、来た」
テラスに1人の男がやって来た。
「澤崎よ、昨日は練習中にすまなかったな」
澤崎は軽く首を振ると、黙ってサングラスを外した。
テラスに『てへぺろ王子』が降臨する。
「わぁ! 本物のてへぺろ王子だ! サインください!」
澤崎は驚いて前島を見つめた。
おずおずと前島の手帳にサインを記入する。
「写真もお願いします!」
「は、はい……」
トップアイドルと甲子園のスター。
貴重なツーショットだ。
天野はそんな風景を眺めながら言った。
「もう10週目だ。覚えはあるな?」
澤崎は肩を落とした。
「はい……。あります……」
「相手は君の子供を産み、結婚すると主張している。だが、君にはその気がないんだろう?」
「はい……。ただの、遊びのつもりでした……。結婚とか、妊娠とか、まるで考えてなかったんです……」
「どうせ『安全日だからナマで構わない』とでも言われたんだろう?」
澤崎は黙って頷いた。
「それが見事にホームラン、というワケだ。相手は徹底抗戦の構えだぞ。結婚できなくとも子供を産むつもりだ。もう無視はできない。事実と真正面から向き合う必要がある」
ニタリと悪い笑みを浮かべる。
「だが、君のようなスターには、こんなスキャンダル許されまい。特に今年はドラフトだ。結婚、中絶、隠し子……。どの道を辿っても君の印象は最悪。スターとしての人生が終焉を迎える。人気者の転落は愉快だからな。世間はかつてのスターに全力で石を投げつけるぜ」
澤崎は泣きそうな顔で訴えた。
「そんな……! それは困ります! どうにかなりませんか!?」
天野はあっさり言い放った。
「金を積むんだな。金で口を閉ざすのが最適解だろう。中絶させるのか、産ませてほとぼりが冷めた頃に結婚するのか……。どちらにしても金を積むしかない。だが何よりも重要なのは、君自身の誠意だ。誠意のない男は全てを失うぜ」
天野がそこまで言うと、もう1人、テラスに女の子が上がって来た。
「たかくん……」
昨日、天野に依頼を持ちかけた娘。
立花美奈だ。
「涼太よ、妊婦だ。席を譲ってやれ」
「オッケー。美奈さん、ここどうぞ」
美奈が椅子に腰掛けると、天野は改めて尋ねた。
「どうだ? 考えは変わったか? 昨日も言ったが、中絶なんて女なら一度は経験するようなものだぜ」
美奈は静かに首を横に振った。
「……変わりません。絶対に、産みます……」
瞳には涙が滲んでいる。
澤崎が遊びだったとしても、美奈は本気の恋だ。
「高校生の時から、私はたかくんの大ファンでした……。たかくんを応援するために、いつかたかくんの一番になるために、この大学を受けたんです。でも、たかくんと仲良くなる機会は、なかなか訪れませんでした……」
澤崎が辛そうに美奈を見つめる。
美奈は涙を流しながら言葉を続けた。
「長い時間でした……。4年かけて、たかくんにやっと近づけて、やっとたかくんと仲良くなれて、やっと結ばれたんです……。中絶なんて絶対に嫌です……」
澤崎は堪らず口を開いた。
「美奈……。君の気持ちは、すごく嬉しい。そんなに想ってくれたなんて、本当に嬉しいよ……」
それでも残酷な事実を告げた。
「でも、今年はドラフトなんだ。僕の将来が決まる。この話が明らかになったら、指名を見送られるかもしれない。隠し子になっても同じだ。頼むよ。どうか、諦めて、ほしいんだ……」
その言葉に噛みつくように前島が口を挟んだ。
「それは酷いですよ。自分の将来のために諦めろって……。何様のつもりですか。あなたは自分のことしか考えてないんですか? そもそもあなたが気をつけるべきだったのに……」
「前島さん。ちょっと待って」
涼太が割り込んだ。
「済んだことを言っても結果は変わらないよ。この手の問題は第三者が口を挟むべきじゃない。決めるのは美奈さんだ。2人で少し話してみたらどうかな」
涼太の言葉に天野が頷く。
「そうしてくれ。俺たちは席を離れる。お前らがどんな決断を選んでも、俺が最適な環境を用意してやる。よく話し合うんだな」
天野たちは椅子に澤崎と美奈を残し、テラスの端から見守ることにした。
泣き続ける美奈。懇願する澤崎。
2人の話し合いは長く続いた。
「師匠……! 酷いじゃないですか!」
前島はとてもご立腹だ。
「あんな男、最低のクズ野郎です。ボコボコにぶん殴ってくださいよ! 責任とって結婚するよう説教してください!」
天野は呆れたように答えた。
「くだらんな。それはお前の『エゴ』だ」
「エゴって……。だって美奈さんはあんなに産みたがってるのに!」
「産みたいから産む。子供ってのはそんな単純な話じゃない」
「でも妊娠したのは、てへぺろ王子のせいじゃないですか! あんな理由で堕ろせなんて……。身勝手すぎますよ!」
「言いたいことはわかる。だがな、医者のボンボンに言わせれば……」
天野は呆れたように吐き捨てた。
「こんな風景……。見慣れたもんだよ」
しばらくして、澤崎が静かに立ち上がった。
軽く天野に頭を下げる。
どうやら結論が出たようだ。
天野はゆっくり美奈に近づいた。
「天野さん……」
美奈は大粒の涙を流しながら言った。
「堕ろします……。それが、たかくんのためだって、思うから……」
天野は静かに頷いた。
涼太にアイコンタクトを送る。
涼太は黙って頷き、美奈に声をかけた。
「病院は手配してある。勇二のお父さんのところは本当に良いクリニックなんだ。お腹の状態を考えると急いだほうがいい。今から行こう」
美奈を立ち上がらせる。
美奈は顔を歪めながら、澤崎の顔を見つめた。
「たかくん……。ずっと好きだったよ……。ずっと応援してるから……。私のこと、忘れないでね……」
涼太は美奈を連れてクリニックへ向かった。
美奈の決心が変わらない内に全てを済ませるつもりだ。
残酷な話だが、それが最善策だった。
「美奈さん、可哀想……」
前島がぽつりと呟く。
天野は澤崎に向き直った。
「いいか澤崎よ。俺は中絶する女には、誰でも一度は経験することだ、そう軽く言い聞かせるようにしている。だが、男には違う言葉を与えている」
殺気を放ちながら言葉を続ける。
「お前は愚かな私欲のために、ひとつの命を潰した殺人者だ。遊びだったとしてもな、命ってのは簡単に産まれるんだよ。しかも傷つくのは女だけ……。お前は人殺しのクズだ。その十字架を死ぬまで背負って生きろ。男にはそう告げている。そして、美奈には可能な限り金を積んでやれ。美奈が決断しなければ手に入らなかった金になる。わかったな」
澤崎は真っ赤な顔で頷いた。
「はい……。本当に、すみませんでした……」
「まったく……。胸糞の悪い話だ」
タバコの火をつける。
苛立ちを煙に変えて吐き出す。
「……ん?」
天野はこのまま澤崎がテラスを去ると思っていた。
しかし、澤崎はテラスに残ったままだ。
「どうした。まだ何かあるのか」
澤崎は静かに口を開いた。
「……天野さん。あなたの噂は色々と聞いてます。僕の『依頼』を、聞いていただけませんか……?」
恥ずかしそうに前島をチラチラ見ている。
どうも前島がいると、切り出すのが難しい話のようだ。
「前島は俺様の弟子だ。遠慮せずに話せ」
「は、はい……」
澤崎は覚悟を決めて口を開いた。
「実はもうひとつ、トラブルを抱えてるんです……。解決できるように、ご協力をお願いできませんでしょうか……?」
「……なに? まだ他に孕ました女がいるのか?」
「いえ……」
澤崎は顔を真っ赤にして言った。
「相手は『男性』なんです……」




