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天才クソ野郎の事件簿  作者: つばこ
彼女に上手にさよならを告げる方法
43/91

天野くんと最後のデート




 天野と涼太は綾瀬の家を出ると、黙って駅までの道を歩いた。


 鎌倉の坂道には夏の強い陽射しが照りつけ、生温く湿った風が吹いている。

 海が近いせいだろうか。天野の鼻を潮の香りがくすぐる。

 聴こえてくるのはセミのけたたましい鳴き声。

 ありふれた夏の全てが、不思議と恨めしかった。


 ふと、天野は空を見上げた。

 雲ひとつない晴天が広がっている。

 この青空も、綾瀬にとっては毒の光でしかない。

 季節がどれだけ巡っても変わらない現実。

 残酷な話だと、天野はため息を吐いた。


「なぁ、涼太」


 天野は何気なく声をかけた。

 涼太は振り返りもせず、黙って歩き続けている。


「世の中には『男は泣くもんじゃない』とか、大した意味もなく抜かす馬鹿がいる。確かに、時には涙を堪えることも必要なのかもしれない」


 天野は涼太の背中に語りかけた。


「だが、俺様に言わせれば『くだらねぇ』の一言だ。悲しい時には、感情を吐き出すべきだと思うぜ」


 涼太の足が止まった。

 静かに振り返ると、涼太は力なく天野を見つめた。


「……吐き出しても、いいのかな?」


 天野は至極当然だというように頷いた。

 それを見て、涼太の瞳から涙が溢れ出した。


「うあああああああ!」


 涼太は叫びながら泣き出した。


「なんでだ!? なんで彼女があんな目にあう!? 彼女が何をしたって言うんだ! 神がこの世にいるなら僕はぶん殴ってやりたい! ささやかな幸せを彼女から奪いやがって! ちくしょう! ちくしょう! くそったれ!!!」


 涼太はやり場のない悲しみをぶちまけた。

 天野は黙ってその姿を見つめた。

 涼太が泣き止むまで、天野はタバコを吸いながら、ずっと待っていた。


「……すまない。勇二、行こう……」


 涼太は涙を流したまま、鎌倉の坂道を下って駅を目指した。

 天野は黙ってその背中を追いかけた。


**************


 鎌倉の駅に到着する頃には、涼太も泣き止んでいた。

 東京へ向かう電車の時間を確かめていると、涼太の携帯が鳴った。

 見知らぬ番号からの着信だ。


「はい佐伯です。もしもし……え?」


 電話に出た涼太の顔が一気に青ざめた。


「ほ、本当ですか!? どこに? どこに行ったんですか!?」


 天野は驚いて涼太を見つめた。


「とりあえず、すぐ行きます!」


 涼太は電話を切るとタクシーを停めた。

 そのままタクシーに飛び込み、運転手に綾瀬の自宅の住所を告げている。

 天野も慌てて乗り込んだ。


「どうした? 綾瀬の容態が急変したのか?」


 涼太が首を横に振った。


「綾瀬さんのお母さんからだったんだけど、綾瀬さんが家を出たらしい。防護服を着ないで、家を飛び出したって言うんだ!」

「なんだと!?」


 天野は空を見上げた。

 今この空の下に防護服を着ないで出るなんて、自殺行為に等しい。


「おい! 何のろのろ走ってんだ! 飛ばせ!」


 天野は運転手を怒鳴りつけた。

 タクシーは猛スピードで走り、綾瀬の自宅に到着した。


「釣りはいらん! 少しここで待ってくれ!」


 勘定を叩きつけて綾瀬の自宅へ走る。

 白い家の前には、真っ青な顔をした綾瀬の母親が立っていた。


「娘さんはどこだ!?」

「わ、私もどこに行ったのか、見当がつかなくて……」

「部屋は!? 書き置きはなかったのか!?」


 母親は震えながら首を横に振った。


「ま、まだ見てません」

「部屋だ!」


 天野と涼太は飛び込むように綾瀬の自宅に入った。

 暗い家の中に飛び込み、2階への階段を駆け上がる。

 天野はノックもせず、綾瀬の部屋の扉を開けた。

 綾瀬の姿はベッドから消えていた。


「涼太! お前はベッドを探せ!」


 天野は部屋中を見回した。


「くそっ! 暗すぎる!」


 部屋にあった蝋燭ろうそくの火は消えていた。

 あまりに暗く、部屋の様子がよく見えない。

 照明のスイッチを叩いても反応がない。

 照明自体が取り外されている。

 天野は窓のカーテンを開け放った。

 しかし、全ての窓は板で打ち止めされていた。


「これでは何も見えんぞ!」


 明かりを求める天野の視界にテレビが入った。

 飛びつくようにテレビの電源ボタンを押す。

 だが、テレビは真っ暗な画面を映すだけだ。

 どのチャンネルに切り替えても画面は変わらない。

 見るとテレビにはアンテナ線が繋がっておらず、DVDプレイヤーだけにケーブルが繋がっていた。


「なんだこれは」


 天野はDVDを再生した。

 画面が静かに明るくなる。

 そこに流れる映像を見て天野は驚愕きょうがくした。

 そして、やり場のない悲しみと、怒りが沸き上がった。


「ゆ、勇二……」


 涼太が震える声で天野を呼んだ。

 手に「ウサギのぬいぐるみ」を持っている。

 ウサギは1枚のメモを握らされていた。

 天野はそのメモを奪い取った。



『最後のデートにいってきます』



「くっそおおお!」


 天野は叫んだ。

 怒りで全身が震えていた。


「ね、ねぇ勇二……」


 涼太は泣きそうになりながら、天野に訴えた。


「綾瀬さん、もしかして、もしかしてさ……」


 天野は言葉の先を続けた。


「死ぬ気だ」


 さらに天野は言葉を続けた。


「涼太、お前が看取みとるんだ」


 涼太はがたがた震えている。


「彼女はお前の腕の中で死ぬことを望んでいる。それが彼女の最後の願いだ。この部屋を見ろ!」


 天野は両手を広げて、綾瀬の部屋を示した。


「明かりはない! 装飾品もない! 窓は板で止められて、あるのはベッドとテレビだけだ! そんなものに包まれて死ぬんじゃなく、お前の腕の中で死ぬことを望んでいる!」


 涼太はあまりの恐怖に頭を抱えた。


「勇二、い、嫌だ……。ぼ、僕は怖いよ」


 天野はテレビを指差し、涼太に呼びかけた。


「これを見ろ。涼太、見るんだ」


 テレビは海の風景を映し出していた。

 湘南の海だ。

 穏やかな波。恋人同士が歩く砂浜。きらめく夏の陽射し。遥か彼方まで続く水平線。

 外に出ればすぐ手に入るものが、テレビに映し出されていた。


「海だ、海に彼女はいる」


 天野は涼太の顔を真正面から睨みつけ、両手を翻しながら叫んだ。


「この殺風景で、棺桶みたいな部屋で、希望も夢も何もない彼女が、ただひとつ見ていたものがこの映像だ! わかるか、涼太!? お前にはわかるはずだ! 彼女に寄り添い、彼女の苦しみを理解したお前ならわかるはずだ! この部屋で、すぐ側にある海の映像を見ながら、自分に味わえなかったささやかな幸せを空想する! ただそれだけの人生が!」


 天野は涼太に近づき言った。


「行くぞ。綾瀬を見送りに行くんだ」


 涼太は青ざめながら叫んだ。


「ま、待ってよ! 勇二! 僕は、どうすればいいのさ!? 綾瀬さんにどうしてあげればいい!?」


 涼太は天野の足にしがみついた。


「僕が、僕なんかが、綾瀬さんに何をできるのさ!? 綾瀬さんがあれだけ僕を想ってくれたのに、僕はそんなこと、何も知らなかった! 知ろうともしなかったんだ! 僕は彼女を、守ってなんかいなかったんだよ!?」


 天野は涼太の胸倉を掴みあげると、思いきり殴りつけた。

 涼太は呆気なく地面に倒された。


「お前のくだらない過去や後悔なんてどうでもいい。今、出来ることはなんだ? 彼女を抱きしめ、その最期を看取ることだ! それが彼女の最後の願いだ! それが彼女にとって、本当の最後のデートだ! 彼女が望んでいるのはそれだけだ! 立てよ涼太! 今立たなくて、いつ立ち上がるんだ!!!」


 涼太はその言葉を聞いて、強く拳を握った。

 瞼を閉じて、綾瀬のことを思った。

 綾瀬と過ごした僅かな時間のことを思った。

 綾瀬のことを好きだった、幼き日の感情を思った。

 この部屋で、海の映像を見ながら、自分のことを想ってくれていた綾瀬のことを思った。


 そして、綾瀬が告げてくれた言葉が、涼太の中で光を放った。




「私は涼太くんのことが好きで、好きで……。ずっと好きで、たまらなかったの」




 涼太は立ち上がって叫んだ。


「……行こう! 海に!」


 天野は頷き走り出した。

 綾瀬の家を飛び出し、停めてあったタクシーに乗り込む。


「海だ! 一番近い海に行ってくれ!」


 タクシーが急発進して鎌倉の坂道を下って行く。

 綾瀬が途中で倒れていないか、2人は必死で目を凝らした。

 やがて由比ヶ浜にタクシーは到着した。


「……いた! 停めろ! 涼太、行け!!!」


 海岸の入り口に綾瀬が倒れていた。

 涼太はタクシーから飛び出した。


「綾瀬さん! 綾瀬さん!!! どうして……どうしてこんな!」


 綾瀬は鼻血を流していた。

 皮膚は紫外線に焼かれ、真っ赤に染まっていた。

 赤く爛ただれた顔が、嬉しそうに微笑んだ。


「よかった……りょうたくん……うみに……いっしょ……」


 涼太は綾瀬を抱き上げた。

 驚くほどに綾瀬の体は軽かった。


「綾瀬さん……。そうだね、太陽の下で、海に、行きたいんだね……」

「うん……やっと、かなった……」

「そうだね……。君を待たせて、ごめんよ」


 涼太は涙を流しながら、綾瀬を抱いて砂浜を歩いた。

 潮風も、夏の陽射しも、波の音も、涼太には何も感じられなかった。

 ただ腕の中にある綾瀬の温もりだけを感じていた。


「……ああ…………ずっと、こうして……」

「うん。ずっと、ずっと、こうしてるよ」

「……だい、すき……」

「僕も、綾瀬さんが好きだよ。大好きだよ」

「わたし……のこと、わすれ……ないで……」


 遠ざかる温もりを抱きしめながら、涼太は叫んだ。


「忘れない! ずっと、ずっと忘れないよ! 大好きだった君のこと、忘れないから! 君との思い出も、君が僕を愛してくれたことも、ずっといつまでも、僕は忘れないから!」

「う……ん……」


 涼太は砂浜で綾瀬を抱きしめた。

 やがてその命の輝きが消えて、綾瀬の体から温もりが消えるまで、ずっと抱きしめていた。


 天野は海岸の入り口に立ち、涼太たちを見つめていた。

 その隣に、綾瀬の母親が並んだ。


「……申し訳ございません。勝手なことをしました」


 天野が頭を下げると、母親は涙を流しながら首を横に振った。


「いいえ、あの子の最後の願いを叶えてくれて、本当にありがとうございます」


 陽が傾き、全てがみかん色の夕焼けに染まるまで、4人はそこに佇んでいた。






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― 新着の感想 ―
[一言] 作品のなかで一番涼太と勇二の優しさと辛さが解る話ですね。
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