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天才クソ野郎の事件簿  作者: つばこ
彼女に上手にさよならを告げる方法
42/91

天野くんのお見舞い




 電車が鎌倉駅に到着した。


 駅を出た天野たちを、夏の強い陽射しが出迎えた。

 肌を突き刺すような太陽の光。

 空を見上げれば、雲ひとつない晴天が広がっている。


 天野と涼太はタクシーに乗って、メモに記載された住所を目指した。

 鎌倉の坂道を上り、高台にある白い家にタクシーは辿り着いた。


「ここだな」


 天野はタクシーを降りて白い家を見上げた。

 木造の古い2階建ての家だ。

 カーテンがかかっているのか、全ての窓は閉じられている。

 中の様子は窺えない。


「ここに綾瀬さんがいるのか……」


 涼太は呆然と呟いた。

 まだ何と声をかけるべきか、決めていなかった。


「涼太よ、いいか」


 天野は涼太に向き直ると、静かに残酷な事実を告げた。


「EPPで肝硬変かんこうへんが発症、そしてガンまで生じたというならば、まず俺たちの年齢では助からない。あっという間に全身へ転移し、死に至らしめる。綾瀬が入院していないということは、あらゆる治療を諦めて最期を待っている可能性が高い。つまり……」


 天野は辛そうに言葉を紡いだ。


「これが、最後の別れのつもりで、会いに行け」


 涼太は静かに頷いた。

 白い家の呼び鈴をゆっくり押す。

 中から綾瀬の母親と思われる人物が出てきた。

 涼太は先頭に立ち、深く頭を下げた。


「電話で連絡させていただいた佐伯涼太です。綾瀬さんのお見舞いに来ました」


 綾瀬の母親も深く頭を下げた。


「わざわざ遠いところまで、本当にありがとうございます。あの子は2階におります。どうか、会ってやってください」


 天野と涼太は白い家の中に足を踏み入れ、その光景に愕然がくぜんとした。

 昼間とは思えないほど暗い。

 必要最低限の照明しか灯されていないのだ。

 全ての窓ガラスには暗幕が引かれている。

 ひんやりと冷えた室内は、まるで霊安室のようだと、天野は思った。

 天野と涼太は母親に導かれ、2階に上がった。


「こちらです」


 母親はひとつの扉を示した。

 涼太は静かにノックし、部屋の扉を開けた。


「綾瀬さん、お邪魔するね」


 部屋には1本の蝋燭ろうそくが灯っている以外、一切の光がなかった。

 置かれているのは1台のテレビと、片隅にあるベッドだけ。それ以外には家具も装飾品も存在しない。

 あまりに殺風景で寂しい部屋だった。


「涼太くん……?」


 ベッドの上から懐かしい声が涼太を呼んだ。

 か細い鈴のような、女の子の声だった。


「そうだよ。涼太だよ」


 綾瀬が儚げな笑みを浮かべた。


「本当に……? 涼太くん、来てくれたの?」


 医学部の天野は一目見て、その症状を理解した。

 白く細すぎる腕に斑点が浮き出ている。

 もう放射線治療は試したのだろう。髪は全て抜け、小さなニット帽を被っていた。

 涼太は静かにベッドに近づいた。


「綾瀬さん、久しぶりだね」


 綾瀬は嬉しそうに微笑んだ。天野と涼太はベッドに横たわる綾瀬を静かに見つめた。


「涼太くん……」


 綾瀬は嬉しそうに手を伸ばした。

 涼太はその手を優しく握りしめ、激しい後悔に襲われた。

 どうして彼女に手紙を書かなかったのか。

 どうしてもっと早く会いに行かなかったのか。


「綾瀬さん……。覚えてるかな、勇二だよ」


 綾瀬は嬉しそうに天野を見上げた。


「もちろん覚えてる。勇二くん、懐かしいね」

「同窓会で綾瀬のことを聞いてな。突然来てしまい迷惑じゃなかったか?」

「そんなことない。来てくれて本当に嬉しい」


 綾瀬はかつての同級生たちを、惚れぼれとした眼差しで見上げた。


「2人とも、本当に素敵になったね。昔から格好良かったけど、もっと素敵になったよ」


 涼太は優しい声で言った。


「綾瀬さんも美人になったじゃないか。大人っぽく綺麗になったよ」


 綾瀬は少し悲しげに笑った。


「ありがとう。お世辞でも嬉しい。ねぇ、2人は今何してるの?」

「同じ大学に通ってるよ。僕は文学部、勇二は医学部さ」

「わぁ、大学生かぁ。いいなぁ……。勇二くんはお医者様になるのね」

「まだ、わからないさ」

「ううん、きっと勇二くんだったら素敵なお医者様になる。そうしたらきっと、私のことも治してくれると思うの」


 綾瀬は残酷なことを言った。

 世界中の名医をかき集めても、綾瀬を救うことはできない。


「ああ、俺様が医者になるまでの辛抱だ」


 天野は指先をパチリと鳴らした。

 喉奥から無理やり気障キザったらしい言葉を引きずり出す。


「どんな難病の治療でも、この俺様にかかれば全てうまくいくのさ」

「あっ、懐かしい」


 綾瀬が嬉しそうに声をあげた。


「勇二くんの決め台詞だ。うふふ、変わってないんだね」

「まだこんなこと言ってるんだよ? 子供の頃から成長してないでしょ」


 涼太は苦笑しながら、綾瀬の頬に触れた。

 冷たい頬だった。


「ごめんね。手紙とか出さなくて」

「ううん、いいの。また2人に会えたから。同窓会、行きたかったな」

「みんな綾瀬さんに会いたがってたよ。坂上さんって覚えてる? クラスで一番太ってた女の子。あの子なんてすっかり痩せちゃってさ。綾瀬さんも見たら驚いたよ」

「へぇ、見てみたかったな。綺麗になったの?」

「綾瀬さんには負けるけどね」


 綾瀬がぱちぱちと両手を叩いた。


「涼太くん、すっかりお世辞が上手になっちゃって」

「お世辞じゃない。お世辞なんかじゃないよ」


 涼太は綾瀬の腕をさすった。

 腕には焦げたようなあざと斑点が浮き出ている。

 なめらかさとは無縁の痛々しい肌。

 とても同い年の女の子には思えなかった。


「綾瀬さんはどうだった? 中学に進んでから何かあった?」


 綾瀬は静かに首を横に振った。


「中学からは何も楽しいことがなかった。高校も病気のせいで退学しちゃったし……。涼太くんと過ごしたことが、一番の思い出」


 涼太はもう限界だった。

 うつむいて涙がこぼれるのを必死に耐えた。

 泣きそうな感情を誤魔化すために、鞄からあれを取り出すことにした。


「綾瀬さん。これ覚えてる?」


 涼太は『ウサギのぬいぐるみ』を取り出した。

 綾瀬にそっと手渡す。

 綾瀬は嬉しそうにウサギに触れた。


「うわぁ……。これ、私が編んだやつ?」

「そうだよ」

「ずっと持っていてくれたの?」

「当たり前じゃないか」


 綾瀬はぬいぐるみを抱きながら、懐かしむように言った。


「涼太くんは不器用だったね。エプロンしか作れなくて」

「綾瀬さんが器用すぎたんだよ」

「お裁縫なんて得意じゃなかったのに、私に合わせてくれたんだよね」

「違うよ。僕は綾瀬さんと一緒にいたかった。それ以上に大切なことなんて、あの頃の僕にはなかった。それだけだよ」

「うふふ……。涼太くんはお世辞ばっかり」


 綾瀬はしばらくウサギをいじって遊んでいた。

 その様子を眺めながら、涼太が優しく尋ねた。


「綾瀬さんからは大切な物をもらったのに、僕は何も返してない。何か欲しい物ある? もしくは何かして欲しいこととか、ないかな?」


 綾瀬はウサギから目を離し、じっと涼太を見上げた。


「……何でもいいの?」

「何でもいいよ」

「じゃあ、私、涼太くんとデートしたい」

「デート? そんなのでいいの?」

「うん」


 綾瀬はこくんと頷いた。


「涼太くんと一緒に、海に行きたい。防護服を着ないで、太陽の下で、海岸線を眺めながら、涼太くんと砂浜を歩くの」


 まるで夢を見るような口調だった。

 涼太は無理だとわかっていたが、喉奥から言葉を絞り出した。


「病気が治れば、デートなんてすぐにできるよ」


 綾瀬は静かに首を振った。


「ううん……。もう私は長くない。デートもできない。わかってるの……。ねぇ、涼太くん」


 綾瀬は涼太の手を握りしめた。


「私ね、涼太くんのことが好きだった」


 まるで祈るかのように、涼太の顔を見つめた。


「ずっと言えなかった。もっと早く言うべきだった。でも言ってしまえば、涼太くんの重荷になると思った」


 綾瀬の瞳に涙がたまり始めた。


「私はこんな病気で、防護服を着ないと外を歩けない。でも、涼太くんはそんなこと、まるで気にしてないって顔してて……。それなのにいつも、私のことを気にかけてくれて……」


 綾瀬は袖口で涙を拭い、必死に言葉を続けた。


「涼太くんは、ただの優しい人。誰にだって優しい人。それだけなんだって自分に言い聞かせても、私は涼太くんのことが好きで、好きで……。ずっと好きで、たまらなかったの」


 その言葉の響きが、涼太の全身を震わせた。

 震えるほどの喜びが体中を駆け抜けた。

 そして、やり場のない悲しみに包まれた。


 これまで沢山の女の子から告白されたことがあった。

 どの告白も胸が高鳴るものばかりだった。

 それでも、こんなに嬉しく、悲しい告白は初めてだった。


「……綾瀬さん、僕は優しかったんじゃない」


 涼太は強く綾瀬の手を握った。

 その言葉を告げるのに、一切の迷いはなかった。


「僕は君のことが好きだった。初恋だった。ずっと忘れられなかったよ」


 綾瀬の瞳から涙がこぼれた。


「……いいよ。そんなお世辞、言わなくても」

「お世辞なんかじゃない。本当なんだ。なんて伝えればいいのか、あの頃の僕はわからなかった。伝えれば、君との関係が変わってしまうんじゃないかって、怖かったんだ」

「怖い? どうして、そう思ったの?」

「僕は臆病者なんだ。気持ちを伝えたら、綾瀬さんの隣に立てない気がした」


 涼太は視界がにじんでいくのを感じた。

 目頭が熱くなる。

 涙がこぼれてしまう。

 それでもこの気持ちだけは告げなければならない。

 ただ必死に言葉を紡いだ。


「僕はいつも君の隣に立つ理由を探してた。それが君を守ることだった。だけど、離れてしまったら、僕は君に手紙を出すことも怖くて、君に嫌われることが怖くて、君に会いに行く勇気なんか、どこにもなくてさ……」


 綾瀬は静かに起き上がり、涼太の頬に白い指先を伸ばした。

 そこに涼太がいることを確かめるように。

 涼太の言葉が現実である証明を求めるように。

 優しく頬をでた。


「……本当なの? 涼太くんの言葉、信じていいの?」


 涼太は精一杯の笑顔を作った。


「本当だよ。綾瀬さんに嘘なんか言うもんか」

「そうなんだ……。嬉しい……。こんな嬉しいこと、初めて……」


 綾瀬は悲しげに微笑むと、小さくせきをし始めた。

 天野はもう綾瀬の体力は限界だろうと判断した。


「涼太、そろそろ行こう。綾瀬さん、しっかり休むんだ」

「うん。涼太くん、勇二くん。本当にありがとう」

「また会いに来るからね」

「うん……」


 天野と涼太は静かに部屋を出て行った。

 廊下には綾瀬の母親が待っていた。

 2人は母親に会釈すると、共に1階へ降りて行った。


「これ、僕の連絡先です。何かあれば連絡ください」


 涼太は自分の連絡先を母親に渡した。

 そのまま2人は綾瀬の家を後にした。





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