天野くんと綾瀬
同窓会の翌日。
天野と涼太は綾瀬を見舞うため、東海道線に乗って鎌倉を目指した。
「綾瀬に会えるなんて楽しみだな」
「うん……。だけど、何を話せばいいのかな」
「涼太が一番仲良かったんだぜ。実際のところ、俺様よりお前のほうがわかるんじゃないのか?」
涼太は照れ臭そうに微笑み、車窓の風景を眺めた。
確かにそうかもしれない。
過ごした時間は短かった。それでも忘れられない時間だった。
「ねぇ、勇二……。綾瀬さんと初めて会ったのは、彼女がイジメられてるところだったんだ……」
涼太は車窓の風景を眺めながら、当時を懐かしく回想した。
**************
それは小学6年生の時。
登校中の出来事だった。
涼太は黒頭巾をかぶり、黒い防護服を身にまとった児童と出会った。
彼、もしくは彼女は、同じ学校の児童数名に「気味悪い」「頭巾とれよ」「どこの化け物だよ」と、からかわれていた。
(……酷いことするなぁ……)
当時の涼太は、幼馴染である天野の影響を大きく受けていた。
成績は優秀。体格も立派。格闘技をかじっており、喧嘩も強い。
それでいて正義感の強かった天野は強き者に刃向かい、弱き者を助ける『ガキ大将』だった。
涼太は天野のことをヒーローだと感じていた。
確かに黒頭巾と黒い防護服の姿は異質だった。
全身が黒く分厚い布に覆われており、中にどんな顔が隠れているのか、まるで判別できない。
背丈が小さいため子供だと判断できる程度。男女の区別はおろか、そもそも中に入っているのは人間なのか、外見だけではわからないのだ。
涼太自身も、かなり気味の悪い印象を受けた。
しかし、「見た目で人を判断しない」というのが、当時の天野が持っていた美学だった。
自らのヒーローである幼馴染は、目の前の光景を見過ごすだろうか。
……いや、天野はそんな男ではない。
「おい、お前ら」
涼太は精一杯の虚勢を張り、からかっている連中に声をかけた。
「イジメは止めろ。イジメはカッコ悪いぞ」
涼太の腕っ節は弱い。華奢な「もやしっ子」の少年だ。
喧嘩になればあっさり負ける。
だからこそ、即座に切り札を振りかざした。
「僕は勇二の友達だぞ」
当時の小学校では天野の名前を出せば、誰もがイジメを止めていた。それぐらいの影響力があった。
「……ちっ、勇二のダチかよ」
「マジうぜぇ」
「もう行こうぜ」
イジメていた連中は舌打ちをしながら、黒頭巾の子供から離れた。
(はぁ……。怖かったぁ……)
涼太は冷や汗を拭い、黒頭巾の子供に話しかけた。
「ねぇ、君、大丈夫だった?」
「……ありがとう」
か細い鈴のような、女の子の声だった。
「君は女子なんだ。何年生?」
「6年生。今日、転校してきたの」
「クラスは何組?」
「1組」
「じゃあ、僕と同じだ。一緒に行こうよ」
「……いいの?」
「もちろんだよ。学校まで案内してあげる」
涼太と黒頭巾の少女は一緒に学校へ向かった。
とにかく黒頭巾の姿はあまりに異様だ。
涼太が隣に並ぶだけでは中和されない。
誰もが遠巻きに眺め、ヒソヒソと好ましくない話をしている。
涼太はできるだけ彼女が嫌な思いをしないよう、楽しそうに話しかけた。
「1組はね、担任がおばちゃんなんだ。怒ると怖いよ」
「ふぅん……」
「それに勇二って友達がいるから、イジメとかはないよ」
「よかった……」
「君はどうして、黒い布をかぶってるの?」
黒頭巾の少女は俯き、辛そうに言った。
「病気なの。日光に当たると、具合が悪くなっちゃうの」
「そんな病気があるの?」
「うん、とっても珍しいんだって」
「体育の時間とか、プールとかはどうするの?」
「お休みするの」
涼太はとても可哀想に感じた。
健康的な6年生の少年にとって、体育やプールの時間ほど楽しみなことはない。
「それは何だか、つまんないね」
「うん……」
「水に入るのもダメなの? プールとか海に入っても、病気になっちゃうの?」
「そうみたい……。ちょっとでも日光に当たると、肌が真っ赤に腫れちゃうの……。すごく痛いんだ……」
「そっか」
涼太は何気なく空を見上げた。
雲ひとつない晴天の青空。
うららかな春の陽気が広がっている。
お日様の光が当たると身体が痛くなるなんて、涼太にはまるで想像できなかった。
「梅雨が明けて夏になったら、大変なんだね」
「うん……」
「海とかプールとか、気持ちいいのになぁ」
「海に行ったことあるの?」
「うん。僕は海で泳ぐのが好きだから」
「いいなぁ……。私、泳いだことないから、羨ましい……」
2人が校門に近づいた時、前方に天野の姿を見つけた。
「あ、勇二だ。おーい! 勇二!」
天野は振り返り、黒頭巾の少女を驚いて見つめた。
「おはよう。新しい友達?」
「うん、日光に当たるとダメな病気なんだって。だからこの黒い服を着てるんだってさ」
「ふーん」
天野は半眼で黒頭巾の少女を眺めた。
それはかなり興味深い存在だったようだ。
天野はじっと注視し、背後にも回りこみ、全方向から睨みつけるように観察している。
黒頭巾の少女が緊張している様子が窺えた。
涼太は心配だった。
天野が何を告げるのか、心配だった。
「すげぇ、イカすじゃん」
天野はそれだけ言った。
涼太は心底ほっとした。
天野が見た目で判断せず、褒めてくれたことに感謝した。
やはり天野はヒーローだと、涼太は思った。
**************
朝のHRの時間。
担任は教室に入ると、部屋のカーテンを全て閉めるように告げた。
「皆さんに転校生を紹介します」
とても真剣な声だった。
「彼女はとても難しい病気にかかっていて、日光に当たることができません。これから、教室はいつでもカーテンを閉めること。どんな天気の日でも、必ず閉めてください」
教室がざわつき始めた。
担任は児童たちの動揺を無視して言葉を続けた。
「彼女は病気のため、防護服を着て登校します。決して彼女の服装をからかったり、笑ったり、怖がったりしてはいけません。皆さん、いいですね?」
担任はそう言って、黒頭巾の少女を呼んだ。
廊下から現れる異質な存在。
途端に児童たちは様々な声をあげた。
「こわい」
「いやだ」
「キモい」
「気味悪い」
「バケモノみたい」
小さな声がさざ波のように広がっていく。
「ドン!」と、誰かが机を叩いて立ち上がった。
天野だった。
「うるせぇんだよ! 病気だって言ってんだろ! 悪口が言いたいなら俺様に言え!」
教室は一気に静まり返った。
担任は「ふぅ」と息を吐いて転校生を紹介した。
「綾瀬清美さんです。登下校時にこの防護服を着ます。皆さん、勇二くんの言う通り、綾瀬さんを悪口から守るようにしてください」
児童たちは「はーい」と素直に返事をした。
悪口を言った日には、天野に何をされるかわからない。
児童たちは素直に従った。
「それでは綾瀬さん、自己紹介をしましょうね」
「はい」
綾瀬は防護服を脱ぎ、黒頭巾を外した。
涼太は、その瞬間を一生忘れないだろう、と思った。
「はじめまして。綾瀬清美です。これからよろしくお願いします」
教室に驚くほど細く、白い少女が現れた。
特別な美少女、という訳ではなかった。
それでも何もかもが美しく見えた。
どこか怯えがちな瞳も、綺麗に結ばれたおさげの束も、健康にはほど遠い痩せぎすの頬も、何もかもが美しく見えた。
一目惚れだった。
初恋だった。
「綾瀬さんの席は、廊下側の一番後ろです」
綾瀬には窓から最も遠い席が与えられた。
幸運にも涼太の隣だった。
「綾瀬さん、朝はどうも」
綾瀬はにっこりと微笑んだ。
「朝はありがとう。とても嬉しかった。なんて名前なの?」
「僕は佐伯涼太。涼太って、みんな呼んでる」
「じゃあ涼太くん。これからよろしくね」
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その日から涼太の生活はバラ色に輝いた。
登下校時には綾瀬に付き添い、日光が当たらないよう大きな日傘も用意した。
大好きな体育やプールの時間も、暇さえあれば綾瀬に近づき、綾瀬が退屈しないように話しかけた。
綾瀬が歩く廊下の窓にカーテンがなければ、涼太は室内でも日傘を取り出した。
綾瀬が恐縮するくらい、過保護に面倒を見ていた。
どんな季節でも、どんな天気の日でも、いつも涼太は綾瀬の隣にいた。
あまりに仲睦まじい2人を冷やかす声も多かったが、その全てを天野がぶちのめしていた。
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ある時、天野が窓ガラスを見て言った。
「涼太、紫外線を防ぐシールがあるらしい。昨日兄ちゃんに相談したら、そんなことを言われた。教室の窓ガラスに貼るのはどうだろう?」
「それいいね! 僕、先生に相談してくる!」
涼太の提案で、教室や廊下の窓ガラスに紫外線を防止するシールが貼られた。
2人は先生に何度も頼みこみ、理科室や音楽室などの移動教室のガラス全てにシールを貼った。
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またある時、綾瀬は「クラブ活動に参加してみたい」と言い出した。
屋外での活動が難しいため、涼太は綾瀬と一緒に手芸クラブに入った。
「綾瀬さんは器用だね。怪我とかしちゃダメだよ」
綾瀬は涼太の指を見て笑った。
不器用な涼太の指には、何枚もの絆創膏が貼られている。
「大丈夫。それより無理しないで。涼太くん、お裁縫とか好きじゃないでしょ?」
「そ、そんなことないってば」
「私にだって、ちゃんと友達がいるんだから」
綾瀬は完成間近の「ウサギのぬいぐるみ」を持ち上げた。
「『こんにちは涼太くん。いつもありがとう』」
ウサギを顔の前に掲げ、ひょこひょこ前足を動かす。
涼太は苦笑しながらウサギに話しかけた。
「ウサギさんこんにちは。綾瀬さんのお友達になってくれて、ありがとう」
「『ボクがいるから、涼太くんはお外で遊んでおいでよ』」
ウサギは綾瀬の背後を指さした。
サッカーボールを持った天野と目が合う。
なぜだか知らないが、この頃の天野は、よく2人の様子を遠くから見つめていた。
涼太は気まずそうに天野を見つめ、小さく首を振った。
「ううん。僕はまだエプロンが出来上がってないんだよ。それに僕は綾瀬さんと一緒にいたいんだ」
不器用だった涼太にしては、珍しく気の利いたことを言った。
相手が「ウサギのぬいぐるみ」だったから、だろうか。
それでも恥ずかしさのあまり、耳まで真っ赤にしていた。
「……なんだか、ごめんね」
「え、なんで綾瀬さんが謝るの?」
「だって、私のせいで、お外で遊べないでしょ?」
「それは違うよ。綾瀬さんのせいじゃない」
涼太は爽やかに笑った。
「病気のせいだよ。綾瀬さんは何も悪くない。それに僕、本当はサッカーなんか好きじゃないんだ」
そう言って、涼太は嫌な顔ひとつせず、綾瀬の隣に寄り添った。
綾瀬の傘になり、時には盾になり、あらゆる誹謗中傷から守り続けた。
**************
卒業式の日。
涼太と綾瀬は別々の中学へ進むことになった。
もう綾瀬を守ることができない。
もう綾瀬と一緒にいることができない。
涼太は綾瀬のことが心配だった。
だが、綾瀬はそんな心情を汲くみ取ったのか、涼太にこう言った。
「涼太くん……。あなたのおかげで、本当に楽しい学校生活だった」
「僕こそ、本当に楽しかった。綾瀬さんが転校してくれて良かったよ」
「もう、私は大丈夫だから」
綾瀬は白い頬を微かに染め、儚げに微笑んだ。
「ずっと涼太くんが守ってくれたから、これからも頑張っていける。だから、もう心配しなくていいの。私に構わなくていいんだからね」
どこか突き放すような言葉だった。
涼太は何だか悲しくなった。
なぜ綾瀬がそう言ったのか、涼太にはわからなかった。
「ねぇ涼太くん。これ受け取って」
綾瀬は手芸クラブで作った「ウサギのぬいぐるみ」を手渡した。
「これ、いいの? すっごく大切にしてたのに。綾瀬さんの友達なのに」
綾瀬は静かに首を振った。
「いいの。涼太くんと一緒に作ったものだから。涼太くんとの思い出だから。涼太くんに貰って欲しいの」
涼太は慌ててポケットをまさぐった。
しわくちゃのハンカチしか入っていない。
何かを綾瀬にプレゼントするなんて、そんな気の回ることは考えつかなかった。
「ご、ごめんよ……。僕は何もまともに作れなくて。綾瀬さんに何か用意するんだったな……」
綾瀬は小さく微笑んだ。
「ううん。何もいらない……。もう何もいらないの。これ以上、もう何も……」
綾瀬は慌てて黒頭巾をかぶった。
最後の表情は見えなかった。
「……さよなら。いつまでも元気でね」
綾瀬は行ってしまった。
別れを実感できるほど、大人じゃなかった。
気の利いた「さよなら」を告げるほど、器用な性格でもなかった。
再会の約束も、その時交わす言葉も、何も決められなかった。
離れてしまえば、再会することは難しいとわかっていたのに。
ただ一言、好きだって。
そんな言葉、口にする勇気はなかった。
中学に進んだ後、綾瀬は地方へ引っ越していった。
涼太はこの時、手紙を出さなかったことを、一生後悔することになった。




