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天才クソ野郎の事件簿  作者: つばこ
彼女を上手に中退させる方法
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天野くんと入学式




 定刻になり入学式が始まった。

 天野たちはさり気なく講堂に入り、出口とは別の場所に立つ。


 講堂にはいくつかの勝手口がある。天野たちが使うのはそのひとつ。式が終わる直前に前島悠子を移動させるのだ。



 入学式は滞りなく進んだ。

 壇上では学部長が講釈を垂れ、新入生は期待と不安に満ちた表情を浮かべ、講堂の外では在学生たちが賑やかな歓声をあげている。

 天野たちはしばし、静かに式の様子を見守った。


「いいねぇ。みんなフレッシュで垢抜けてない。イモ臭いところがいいんだよね」


 涼太は暢気のんきに鼻歌を奏でている。

 新入生を値踏みしているのだ。


「どの娘をコンパに誘ってみようかなぁ。おや、あの娘なんかイイ感じだね」

「おい、うるせぇぞ。これから中尾がアイドルの小娘に接触するんだ。お前みたいなチャラ男から守るためにな」

「あはは、そうだったね。ごめんよ中尾くん。前島悠子ちゃんには手を出さないから安心してよ」


 軽く声をかけるが、中尾は緊張のあまり話なんか聞いていなかった。

 顔色は真っ青。額には汗がびっしり。全身は小刻みに震え続けている。

 この講堂に大好きな前島悠子がいること、そしてこれから接触することに緊張しているのだ。


「こりゃダメだね。中尾くんはガチガチだよ。固くさせるのはまだ早いってのに」


 苦笑しながら囁くと、天野も呆れたように頷いた。


「まったく、アイドルなんて何がいいのか……。俺様には理解できんな」

「勇二はそういうのに興味なくなったよねぇ。昔はすごくモテモテだったのにさ」

「昔のことなんて忘れたよ」

「もったいないねぇ。結構、僕と勇二は目立つんだよ。ほら、何人かチラチラ見てる娘がいるでしょ」


 天野は軽く講堂を見回した。確かに涼太の言う通りだ。あちこちから視線を感じる。

 天野も涼太も身長180cmを超える都会派のイケメン。このコンビが気になる女子もいるのだろう。


「そんなことはどうでもいい。そろそろ時間だぞ」


 定刻通り入学式は終わった。

 この後は学部別のオリエンテーションが待っている。

 新入生は係員に誘導され、それぞれの学部ごとに分けられるのだ。


 まだ新入生たちは席を立っていない。

 一気に動かせば出入口はパニックになってしまうからだ。

 この僅かなタイミングで前島悠子だけを勝手口から連れ出す手はずになっていた。


「よし、それじゃ行って来るね」


 涼太がウインクして新入生たちの間に割り込んだ。

 列の端に座っていた前島悠子に声をかけて、爽やかな笑みで何かを告げる。

 前島悠子は涼太に先導され、天野たちの下へとやって来た。


(ふぅん。これがアイドルか)


 天野はじっと前島の姿を見つめた。

 容姿は申し分ない。目鼻立ちは美しい黄金比を描いている。背丈は低いが、かなり小顔で頭身のバランスもとれている。例えアイドルでなくとも、注目を集めるような娘だ。


 ただし、かなり無愛想だった。表情が死人のように乏しい。

 機嫌が悪いのか、疲労が溜まっているのか、もしくはただ単純に性格が悪いのかもしれない。


(この娘の何がいいんだか。ただの女じゃねぇか)


 天野は前島の前に立ち、事務的に声をかけた。


「お疲れ様です。申し訳ありませんが、こちらから移動をお願いします」


 前島悠子は無表情で頷き、天野に先導されて歩き出した。

 涼太と中尾は後方から追いかける。


 天野はキャンパスの中央を通らず、校舎の裏手や内部を歩いた。

 なるべく人目につかないルートだ。

 マスコミや野次馬が侵入できず、在学生たちもあまり使用しない道を選んだ。


「……ここでいいだろう」


 天野はとある校舎の裏手で足を止めた。


「ここですか? でも、ここでは……」


 前島悠子が不思議そうに小首を傾げた。

 この後は学部別に分かれてオリエンテーションを受ける、と聞いている。こんな人気のない場所で何を始めるのだろうか。


「おい中尾よ、お前いつまで緊張してやがる。早くしろ。時間はないぞ」


 中尾の身体がビクンと跳ねた。

 額の汗を何度も拭う。


「は、は、はい……。あのぉ、えっとぉ……。デヘ、デヘヘヘェ……」


 中尾はだらしない愛想笑いを浮かべ、愛しのアイドル様の前に立った。


「あのぉ……。ぼ、僕のこと、覚えてますよね?」

「はい?」


 前島は不安気に顔を歪めた。


「いえ、存じ上げませんけど……。どちら様でしょうか?」

「え!? お、覚えてないんですか? この間の握手会でもお話ししたじゃないですか!?」


 前島の表情が一変した。


「あぁ! そうでしたね!」


 にんまりと純真無垢な笑顔を浮かべる。


「いつもありがとうございます! まさか大学でお会いするなんて思いませんでした! これから宜しくお願いしますね! センパイ!」


 それは実に見事な切り替えだった。

 目の前にいる気持ち悪い男が「ファン」だと認識した瞬間、前島は即座にアイドルとしての表情に切り替えたのだ。


(ほう、大したものだな)


 天野は素直に感心した。

 笑顔を浮かべた瞬間、前島はアイドルとしての魅力あるオーラを解き放った。まるで笑顔のお手本のように微笑んでいる。洗練され完成された仕草だ。

 愛嬌を振りまく態度そのものが、一般人とは桁違いに優れていた。


(これが芸能人の営業スマイルか。自らのルックスを商売にするヤツはどこか違うものだな)


 冷静に分析している天野とは対照的に、中尾の表情は緩みっぱなしだ。


「悠子ちゃんに先輩と呼んでもらえるなんて、嬉しいなぁ。せ、先輩かぁ……。デヘッ、デヘヘヘッ、悠子ちゃんに、先輩……。て、照れちゃうなぁ……」


 その時、中尾の正面に一人の男が現れた。

 小太りだが体格の良い男だ。

 分厚いメガネをかけ、青いシャツを着ていた。


「そ、そうかぁ、僕は、悠子ちゃんの先輩に、なるのかぁ……。え、えっとね、あの、学校でわからないことがあったら、何でも聞いてね」

「はい、ありがとうございます。センパイも教育学部なんですか?」

「僕は違うんだぁ。で、でもさ、言ってくれれば教育学部の講義も受けるから」

「そんなぁ。無理しなくても大丈夫ですよ」

「む、無理じゃない! 無理なんかしないよ!」


 青シャツの男がゆっくり近づいてくる。

 位置は前島の後方。

 中尾からは姿が見えているはずだが、中尾は前島悠子しか見ていなかった。


「悠子ちゃぁぁぁぁん!」


 突然、青シャツの男が奇声をあげた。


「入学おめでとう! 会いたかったよぉ! 待ってたんだよぉ!」


 前島が驚いて振り返る。


「えっ!? あ、あなたは誰、ですか……?」

「僕は悠子ちゃんの大ファンなんだ!」


 青シャツの男は「げへへ」と汚らしく笑うと、大きく両手を掲げ、前島に飛びかかった。

 抱きついて、押し倒すつもりだ。

 突然の行動だった。前島には悲鳴をあげる暇さえなかった。


「おらぁぁ!」


 横から天野が飛びかかった。

 肩を押し当て、前島から距離を離す。


「こっちに! 僕の背後に隠れて!」


 涼太が自らの背後に前島を避難させる。


「この野郎が! てめぇ、いきなり押し倒そうとしやがったな!」


 天野は校舎の壁に青シャツの男を叩きつけた。


「い、痛っ!」


 乱暴に髪を掴み、壁に額をガンガン打ち付ける。

 男の力が弱まるのを確認すると、天野は脇固めで男の左腕を絡めとった。そのまま体重をかけて地面に押し倒す。


「うぎゃっ!」


 青シャツの男はジタバタもがいていたが、天野の関節技は完璧に決まっていた。

 ギリギリと鈍い音を立てて骨がきしむ。

 逃げることも、立ち上がることもできない。


「痛い! 痛いです! ご、ごめんなさい! 許してください!」

「許してだと? 人に襲いかかっておいて、許すもクソもねぇんだよ!」

「ぎゃあああああ! 痛い! 痛いですぅ!」


 青シャツの男は悲鳴をあげた。

 その声を聴き、何人かの人間がやって来た。

 入学式を管轄していた係員たちだ。


「涼太よ。前島を引き渡せ」

「オッケー。悪いんですけど、教育学部の校舎まで連れて行ってよ」

「あ、はい……。何か、あったんですか?」


 目の前には怯えているアイドル。組み敷かれた男。その上で鬼の形相を浮かべている天野。何かあったに決まっているだろう。


「別に何でもないよ。あのクソ野郎の野蛮な噂は聞いてるでしょ? すぐに暴力を振りかざす白衣を着た悪魔、っていう噂をさ」

「え、じゃあ、あれ、天野さん、なんですか……?」

「そうなの。あれが天才クソ野郎。何か気に入らないことでもあったのかな? でも誰もケガしてないし、君が困るようなことはないね。どちらにしろ、関わらない方が君のためだと思うよ」


 涼太は爽やかに微笑んでいる。係員は怯えながら頷いた。


「わ、わかりました。前島さんをお連れしますね」

「うんうん。人目につかないようにね」


 前島は一体何が起きたのか、今ひとつ事態を把握していなかった。

 野蛮な表情の天野。組み敷かれて泣いている青シャツの男。呆然と立ち尽くす中尾に目をやる。

 中尾の口が開きかけたが、その言葉を聞いている暇はなかった。係員に誘導され、その場から足早に立ち去った。


「……おい。お前、何をしていた」


 天野の口から呪いに似た声が漏れた。


「中尾よ。てめぇに尋ねているんだ。お前は何をしてやがった」

「え、えぇ? ぼ、僕ですか……?」

「そうだよ。てめぇは大好きなアイドル様が襲撃されそうだったというのに、何をポカンと間抜け面を浮かべてやがったんだ」


 天野は青シャツの男を組み敷いたまま睨みつけた。


「お前はファンじゃなかったのか? あの小娘のために、命をかけても良いんじゃなかったのか? くだらねぇ。てめぇの覚悟や想いってのは上っ面だけか」

「だ、だって、突然で、ビックリしちゃって……」

「突然じゃねぇよ。この男はお前の真正面から近づいてきた。お前が気づいてなかっただけだ」


 天野は無理やり青シャツ男を立ち上がらせた。胸ぐらを掴みあげる。


「この青シャツ野郎が。貴様の顔は覚えたぞ。今は見逃してやるが、次に俺様の前に顔を見せてみろ。確実に殺してやる。俺様は空手、合気、柔術、骨法を習得した殺戮兵器だ。ただの脅しだと思うなよ」


 天野は「消えろ」と脅しながら尻を蹴り飛ばした。

青シャツの男は一目散に逃げていった。


「おい中尾よ、あんな雑魚はどうでもいい。俺様が気に食わないのはお前だ。さっきの腑抜けた態度はなんだ」



 中尾は震え上がった。天野は恐ろしいほどの殺気をまとっている。


「小娘がアイドルである限り、あんな不審者にどこで狙われても不自然じゃない。お前はそれを守るんじゃなかったのか? それがファンであり、親衛隊であり、お前が目指すことじゃなかったのか? それとも、お前はアイドルが非行の道に走らなければどんな男に襲われても構いません、とでも考えていたのか? 違うよな? お前は、小娘を見殺しにしたんだ」


 知らず知らずのうちに、中尾は地面にへたり込んでいた。腰が抜けたのだ。

 天野の脅しが恐ろしいこともある。

 だが、それ以上に深い絶望が中尾の全身を包んでいた。



 ――自分は愛するアイドルを救えなかった。



 その事実が全身から力を奪っていた。


「あの不審者が凶器を持っていたら、確実に殺されていた。俺様が守らなきゃ小娘は死んだ。間抜けなお前の目の前で死んだ。無力で、口先ばかりの覚悟しか持たないお前の前で死んだ。いいか、小娘は、死んでいたんだ」


 青ざめる中尾の顔を見下し、天野は怒号をあげた。


「お前の中にある愛情なんてものは、所詮はその程度か!? 身銭を切ってでも応援したい、でも自分の肉体は切られたくない! 情けねぇクズめ。お前にあの女を応援する資格なんてあるのかよ。いや、ねぇよ。お前に、あの女を想う資格なんて、これっぽっちもねぇんだ」


 中尾は何も言えなかった。

 突然だった、驚いて動けなかった、こんなところで襲われるなんて想像もしていなかった、沢山の言い訳ばかり浮かぶ。


「ぼ、僕は、僕は悪くない……。悪いのは、襲った男じゃないですか……。誰だって、天野さんみたいに、動けないに決まってる……」


 天野は呆れたように笑った。


「ああ、そうさ。お前は悪くない」


 中尾の肩を軽く叩く。

そして極悪の笑みを浮かべた。


「ただ、これからお前は、どんな顔して小娘に声援を送るのかね。誰がお前をファンだと認めてくれるんだろうな。あの小娘も、どうやってお前に笑いかければいいんだろうな。自分を見殺しにした相手なんだぜ」


 中尾の肩を強く握る。まるで骨を握り潰してしまいそうだ。


「お前は小娘を失望させた。きっと小娘も、お前の顔を見る度に思い出すだろう。こいつは自分が襲われそうになっても、ただぼんやり立っているだけのチキン野郎のクズだ、ってな。それでも愛嬌を振りまかなければならないんだから、アイドルってのは過酷な商売だな。心の底から、同情するよ」


 そう言うと、天野は大きく伸びをして背を向けた。

 中尾のことなんて忘れてしまったかのようだ。

 目もくれずに去って行く。


「つ、次は……。次はもっと、悠子ちゃんを……。僕が、僕が絶対に……」


 青ざめてる中尾に涼太が近づいた。

 励ますように声をかける。


「中尾くん。そんなに落ち込まないで。誰だって勇二みたいにうまくいかないよ。次の機会に全力を尽くせばいいじゃん。僕たちに次の機会があるのか、それはよくわかんないけどさ」


 爽やかな笑顔だけを残し、涼太も軽やかに去った。

 中尾はしばらくの間そこにへたりこんでいた。




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