天野くんの後日談
Wデートからしばらく経った日。
天野は学生食堂の2階テラス席で食パンを頬張り、コーヒーを飲んでいた。
隣には弟子である前島の姿もある。
「うーん。このレポート、難しいですねぇ」
チラチラッと天野を見上げる。
「誰か書いてくれないかなー。せめて教えてくれないかなー。こんな時、天才的な頭脳を持つ医学部首席の先輩が近くにいたらなぁー」
天野は舌打ちしながら前島を睨みつけた。
「おい弟子よ、俺様にそんな安いレポートを書かせる気か」
「いいじゃないですか。師匠には軽い仕事のはずです」
「軽すぎて話にならんな」
「じゃあ、うどん奢りますよ。事件屋に依頼しますってば」
「残念だが、俺様は法に触れることはやらんのだ」
「……ちぇっ。師匠ってばケチンボです。師匠の価値観はイマイチよくわかりません」
前島がボヤいていると、テラスの階段から足音が聴こえた。
「やぁ、天野くん。久しぶりだね」
天野は驚いて訪問者を見つめた。
「ほう? 奥田じゃないか。大学に顔を出すとは珍しいな」
「えへへ。ちょっと天野くんに会いたくてさ。お邪魔してもいいかな?」
「もちろんだ。お前の顔を見るのも、『表参道の奇跡』以来か。何だか遠い昔の出来事のように感じるな」
この日の奥田は、ストリート系のカジュアルな服を身にまとっていた。
「アル◯ーニはもう止めたのか?」
「うん。香澄ちゃんがね、こっちのほうが好みだって言うから」
奥田はデレデレと頬を赤らめた。
「その後も順調なようだな」
「天野くんのおかげだよ。本当に感謝してる」
奥田は少し痩せており、大人びた印象をかもし出している。
天野は「こいつ童貞を捨てたな」と感じた。
「師匠のお知り合いですか? 紹介してくださいよ」
前島が興味深そうに天野の腕を突いた。
「ああ、こいつは奥田だ。かつては『天才ブタ野郎』と呼ばれていた医学部のOBさ」
「へぇ、師匠の先輩ですか。初めまして! 前島悠子です! 天才クソ野郎の弟子です!」
奥田は驚きながら前島を見つめた。
「あ、天野くんの弟子? 相変わらず変わったことしてるね」
「見所のある小娘でな。それより俺様に用事なのか?」
「うん。香澄ちゃんのことで、相談があったんだ」
基本的に奥田はアイドルに興味がない。
前島のことなんて知らないのだ。
前島は少々不満気に口を尖らせていたが、天野も奥田もあっさり無視していた。
「相談だと? 何かトラブルでも起きたのか?」
奥田は黙って鞄から封筒を取り出した。
天野に向かって差し出す。
天野は封筒を一瞥すると、呆れたように笑った。
「おい、嘘だろ? 俺様をからかっているのか?」
「いや、嘘じゃないんだ」
天野は封筒を取り上げ、中身に目を通した。
「……嘘だろ?」
「嘘じゃないんだってば。天野くんに仲人をお願いしたいんだ」
それは結婚式の招待状だった。
奥田和彦と長島香澄の名前が記入されている。
天野は仰天して叫んだ。
「結婚! 最も縁がなかったはずのお前が! 同期で一番に結婚するだと! しかもこの俺様が仲人か!?」
「天野くん、それだけじゃないんだ」
「ま、まだ何かあるのか。これ以上の衝撃は存在しないぞ」
奥田はもじもじとすまなそうに言った。
「ボクの家がさ、総合病院をやってるのは知ってるよね?」
「ああ、知っている」
「それなりに大きいんだけど、全ての科を揃えている訳じゃないんだ。だからね、天野くんに良いところを紹介して欲しいなぁ、と思ったんだよ」
天野を更なる衝撃が襲った。
「お、おおおお奥田……。ままままさか、お前……まさか……!!!」
「さすが天野くん。もう理解したみたいだね」
「嘘だろ!?」
「だから嘘じゃないって。良い産婦人科のクリニックを紹介して欲しいんだ」
天野はあまりの衝撃にガタガタと体が震えた。
ただの結婚ではない。
デキ婚だ。
「お前! イベリコの分際で! できちゃった結婚だと!?」
あまりの大声に前島が耳を押さえた。
「し、師匠! 落ち着いてください! 何の罪もない椅子が転がってます!」
天野は何度か深呼吸をして、テラスに転がっていた椅子を拾った。
興奮のあまり蹴り飛ばしていたようだ。
椅子を元の場所に置き、震えながら腰掛ける。
「……いいだろう。とびきり設備の良いクリニックを紹介しよう」
「ありがとう! 天野くんのところなら安心だよ!」
奥田は安堵して息を吐いた。
「奥田先輩は結婚するんですかぁ! おめでとうございます!」
「ありがとう。こんなに早くするつもりじゃなかったんだけどね」
「授かり婚ならしょうがないですよ。私も先輩の花嫁さん見たいなぁ」
「天野くんのお弟子さんなら、席ぐらい用意しなくちゃね」
「えっ!? いいんですか!? やったぁ! 是非ともお願いします!!!」
前島と奥田は無邪気に喜んでいる。
天野は呆然としながら呟いた。
「メイド喫茶の娘と、お前みたいなブタ野郎が結婚か……。そんな夢みたいな物語も存在するんだな……」
「これも全て天野くんこと、『天才クソ野郎』のおかげだよ」
「フッ、そうだな」
天野は偉そうに両手を翻した。
パチリと指先を鳴らす。
お得意の気障ったらしいジェスチャーだ。
「この天才クソ野郎にかかれば、全てうまくいくのさ」
いつもの台詞が決まった気がしない。
目の前の出来事に現実感がなさ過ぎるからだ。
「……なぁ、奥田」
「どうしたの?」
「やっぱり嘘だろ!?」
「あはは、嘘じゃないんだってば」
「嘘だッ!!!」
頭をかきむしりながら叫ぶ。
「嘘だ! 嘘に決まってる! お前が結婚なんてありえない!」
「師匠は疑り深いですねぇ。奥田先輩に失礼ですよ。結婚したっていいじゃないですか。祝福してあげましょうよ」
「黙れ! コイツはブタ野郎なんだぞ! どこだ!? どこにカメラを隠しやがった!?」
「ドッキリじゃないよ。本当だってば」
木漏れ日の心地良いテラスで、天野はいつまでも「嘘だ!」と叫び続けていた。
(おしまい)
ご愛読いただきありがとうございます。
何かひとつでも心に残るものがあれば幸いです。




