天野くんと表参道の奇跡
楽しい時間は過ぎ去り、夜になってしまった。
結局、買い物から食事代まで、全て奥田の財布から捻出された。
「じゃあ、私とマユちゃんは一緒に帰るね」
表参道の駅でWデートはおしまい。
天野たちは2人を見送ることにした。
「ああ、今日は楽しかったよ。色々とありがとな」
メグにゃんはさり気なく天野に近づき、小声で囁いた。
「……ねぇ、私はひとり暮らしだし、もうちょっと遅くなっても大丈夫だよ。どうせなら天野くん、家に来る?」
「遠慮しとくよ。奥田のこともあるしね」
「寂しいなぁ。まだ帰りたくないよ……。カンちゃんのことなんて、どうでもいいじゃん……」
メグにゃんは頬を膨らませた。どこかいじけた表情だ。
天野ほど好条件が揃ったイケメンはなかなか存在しない。もっと親しい仲になりたいのだろう。
天野は「それも当然だな。さすが俺様だ」と思いながら言った。
「俺はメグちゃんとの関係を大切にしたいんだ。この続きは、2人きりのデートの時に取っておきたい。……ダメかな?」
天野は甘い笑顔を浮かべた。
好条件の揃ったイケメンに甘い笑顔で「ダメかな?」と訊かれれば、返す言葉はひとつしかない。
「……ダメじゃない。寂しいけど、嬉しいな」
「ありがとう。メグちゃんはいい子だね」
天野は満足気に微笑んだ。
その微笑みにメグにゃんは魅了され、頬を染めている。
裏に隠された黒い笑顔には気づいていない。
もう天野はメグにゃんと再会するつもりなんてないのだが、そんなことに気づけるはずもない。本当に可哀想な女の子だ。
天野は奥田とマユにゃんの様子を眺めた。
2人の距離は縮まっただろうか。1歩だけでも前進しただろうか。
まぁ、ここまでやれば後は当人たちの問題だろう。
「ねぇ、カンちゃん」
マユにゃんがスマートフォンを差し出した。
「連絡先、交換しよ?」
「え? で、でも、メイドさんとの交換は禁止だって……」
マユにゃんはゆっくり首を横に振った。
「今はメイドじゃないよ。友達じゃん」
「と、ともだち……!!!」
奥田は感動のあまり硬直した。
「……スマホ」
天野が小声で囁くと、慌てて奥田はスマートフォンを取り出した。
「カンちゃんのスマホ、すごく古いんだね。あちこちボロボロ」
「う、うん。買った時から、一度も変えてないから」
「あ、これLINE入ってないじゃん。しょうがないなぁ」
マユにゃんは奥田のスマホを取り上げ、自ら連絡先を登録した。
「はい」
入力が終わると奥田にスマホを戻す。
奥田は画面を見て首を傾げた。
「あれ? マユじゃない……?」
画面には見知らぬ女性の名前、携帯番号、メールアドレスが表示されている。
「長島香澄。それが私の本名なの。香澄って、気軽に呼んで」
「か、かすみちゃん……?」
奥田はスマホの画面と、マユにゃんを見比べ呆然としている。
脳が展開に追いついていない様子だ。
「……あのねカンちゃん、聞いて欲しいことがあるの」
マユにゃんは小さく深呼吸をすると、静かに口を開いた。
「私、『メイドにゃんにゃん』。もう辞めようと思うんだ」
マユにゃんは衝撃の告白を始めた。
「え、えええぇっ!? そ、そんな……。どうしてぇ!?」
奥田は衝撃を受けて今にも倒れそうだ。
「あのね、たった1人のメイドさんになりたいって、思っちゃったの」
マユにゃんは真摯な眼差しで奥田を見つめた。
「私だけの『ご主人様』になってくれますか?」
奥田の脳はあまりの展開に停止してしまった。
「あ、あああ………ああぁあああああ……ああああ、ああぁあぁぁ………」
わなわなと震える奥田の顔を見て、マユにゃんは照れ臭そうに微笑んだ。
お互いの頬はバラ色に染まっていた。
「まずは機種変しよ? せっかくだからカンちゃんと私、同じスマートフォンにしようよ」
奇跡だ。俺は今、奇跡を見ている。
天野はそう感じた。
メグにゃんはぎゅっと天野の手を握りしめている。
恐らく同じことを思っているのだろう。
「ううう、うん……。き、きききき機種変、するお……」
「やったぁ! じゃあ後でメールするね! またね! いこ、メグちゃん!」
「う、うん! またね天野くん!」
2人は表参道の駅に吸い込まれていった。
「……お、奥田!」
我に返った天野が奥田の肩を揺さぶる。
「おい! 天才イベリコ! やったじゃないか! これは奇跡だ! 今俺たちは奇跡に遭遇したぞ! それもただの奇跡じゃない! 100年に1度あるかないかの奇跡だ! イベリコが、たった1人のご主人様になったんだ!」
天野は興奮のあまり叫んだ。
奥田の携帯電話を持つ手も、ぷるぷると震えている。
「ボ、ボクが、マユにゃんのご主人様……。たったひとりだけの……!!!」
奥田の瞳から「ドババッ」と涙があふれた。
天野の顔を見上げて叫ぶ。
「天野くん!」
「イベリコ!」
2人は激しく抱き合った。
表参道の街灯が、静かにひとつの奇跡を照らしていた。




