天野くんとブタ野郎
「あああああああまのくぅぅぅぅぅぅん!!!!!」
秋葉原の中央通りを歩いていると、奥田が背後からやって来た。
「待って! 待ってよ! ボクを1人にしないで!」
肩で息を吐き、「ぜぇぜぇ」と言いながら天野の腕を掴む。
汗が滝のように額から流れている。ブタ野郎にしてはかなりのダッシュだ。
感心した天野は奥田に尋ねた。
「なんだ。もうマユにゃんとのスィートタイムはいいのか」
「い、行かないでよ! もう天野くんしか頼る人はいないんだ! 天野くんだったら、恋愛関係の問題は得意分野じゃないか!」
「知らねぇよ。俺様は色恋沙汰なんかに興味はねぇんだよ」
「そんなこと言わないで! 頼む! このとおりだ!」
奥田は秋葉原の路上でジャンピング土下座した。
スタンディングの状態から0.3秒で土下座に移行。ブタ野郎にしては軽快な動きだ。
奥田は額をアスファルトにこすりつけながら叫んだ。
「ボクは本気なんだッ! どうしても、マユにゃんだけのご主人様になりたいんだ! お願いだ天野くん! 天才クソ野郎と呼ばれるキミの知恵を貸しておくれよ!!!」
それは魂の叫びだった。恥も外聞もなく叫んでいる。
道行く秋葉原の住民たちは「なにあのデブ」と嘲笑しながら奥田を眺めた。
醜いブタ野郎がジャンピング土下座して「ご主人様になりたい」と叫んでいれば、誰だって笑いながら注目するだろう。写真を撮られてSNSで拡散されても、文句は言えないかもしれない。
(クソ生意気な連中め……)
天野は歯痒かった。
奥田はこんな街の通行人に嘲笑されるような人間ではない。奥田の頭脳は日本の宝だ。それを理解している天野は奥田に声をかけた。
「立てよ」
「う、うん……」
「そんな姿、お前に相応しくない。天才ブタ野郎の名が泣いてるぜ」
「うん……」
奥田は立ち上がろうとしない。
天野はため息を吐きながらしゃがみこみ、奥田のたるんだ顔を睨みつけた。
「なぜマユにゃんがお前に惚れていると思うのか。俺様でも理解できるように説明してくれ。日本語で頼む」
奥田はもじもじしながら「うんと、えっと」と呟いている。
天野はイライラを噛み殺しながら説明を待った。
「だからね、店でも言ったとおりなんだ。マユにゃんはボクに特別な感情を抱いている。これ運命だと思うんだ」
「なぜそう思う?」
「ボクを見る視線と、他の客を見る視線が違うんだ」
「俺だって人間とブタを見る時の視線は違うぜ。それじゃないのか」
「違うんだよぉ。ボクの視線だけ、特別に愛情がこもってるんだ」
「……はぁ。奥田よ、いいか」
天野は酷だと思ったが、奥田のために言ってやることにした。
「お前は『ブタ野郎』だ。たるんだ頬、膨らんだ顎、メタボな腹、残念なことに気色悪い瞳をしている。特に目尻が垂れているところが果てしなく気持ち悪い。そしてそのファッションセンスはなんだ。街を見てみろ」
天野は街を指さしたが、秋葉原の住民たちのファッションレベルは奥田と大差ない。
仕切り直して奥田に言った。
「街のことはいい。鼻に脂が浮き、鼻毛が飛び出し、唇が乾燥して変な色をしている。頬はニキビと脂だらけ。見ているだけで吐き気がしてくる。お前ほど醜いブタ野郎はこの世界に存在しない。まだブタの方が食えるだけ価値があるぜ。見た目も可愛いし、綺麗好きの家畜だしな」
奥田の顔がどんどん青くなる。
「いいか、お前はデブである上に醜いブタ野郎なんだ。デブってのは何をしてもデブ。デブがどれだけオシャレをしてもデブなんだぞわかってんのかデブ。お前はそこに『ブタ野郎』という要素が加わる。本当に醜いブタ野郎だ。重要なことだから何度でも言ってやるが、お前ほど醜いブタ野郎はこの世界に存在しないんだよ」
何もそこまで言わなくていいのに。
奥田は天野の言葉にうな垂れて、がっくり肩を落とした。
「いいか、冷静に考えろ。一般的な女は外見を気にするんだ。お前も俺様も、人体の中身を知りすぎてしまい、容姿に大した興味を抱いていないだろう。だがな、女はそうじゃねぇんだよ。特にマユにゃんは美人だ。お前のようなブサイクにマユにゃんほどの美人が惚れるはずがない。それが現実だ。普通の人間はブタに恋をしない。「美女と野獣」というラブストーリーが存在しても、「美女とブタ」なんて物語があれば、それはただの変態だよ」
天野はトドメとなる言葉を放った。
「マユにゃんはお前に惚れてなんかいない。惚れているのはお前だ。お前がマユにゃんに惚れているが故の錯覚だよ。全て気のせいだ」
奥田は泣き出してしまった。
「気のせいじゃない……。気のせいじゃないのに……。……うっく、うえっぐ……」
「泣くな。ブサイクなのは今に始まったことじゃない。生まれつきだ。そして、それが死ぬまで続くだけの話だ」
「……ひっぐ……ひっぐう……ぶびっぐぅ……ぶびぇぇぇぇぇぇん!」
秋葉原の路上に、奥田の醜い泣き声が響き渡った。
天野は奥田が泣き止むまでじっと待った。
時折、奥田の泣き顔を観ては「ブタが鳴いてるwww」と吹き出す通行人がいたが、殺気をこめた視線で黙らせた。
奥田は30分ほど泣き続けた。
やがてぽつりぽつりと、奥田の心情を表すような雨が降り始めた。
「奥田よ、どこか喫茶店に入ろう。普通のな」
「うん……」
「ああ、あそこにしよう」
2人は一般的な喫茶店に入った。
サラリーマンが仕事休みにコーヒーを嗜む店だ。
猫耳を装着したメイドも、『にゃんにゃんビーム』を放つ娘もいない。天野は安堵した。
しばらく無言でコーヒーを飲んでいると、奥田がぽつぽつと呟き始めた。
「……天野くん。ボクはずっと、この顔や外見に気を使ったことがなかった。キミの言うとおりだ。人体の中身のことばかり考えていて、当たり前のことを忘れていた」
「そうだな。一種の職業病と呼んでいいかもしれないな」
「女性にモテたい、魅力ある人間になりたいなんて、考えたこともなかった」
「だろうな。考えている人間はもっとマトモな服を着るよ」
「ボクは、なんて愚かだったんだろう。ボクは目が覚めたよ」
奥田はどこか吹っ切れた表情を浮かべている。
天野はようやくいつもの奥田が帰ってきたと感じた。
だが、それも一瞬のことだった。
「ボクは……生まれ変わる! マユにゃんに相応しいご主人様になるために、生まれ変わるんだ!」
「……うん?」
「こんなボクじゃダメだ! 天野くんの言うとおり、男前にならないと、マユにゃんだって素直になれないよね!」
「はぁ?」
奥田は天野の手をガシッと握った。
「天野くん! お願いだ! ボクは生まれ変わりたい! キミの父上が経営している美容整形外科を紹介してくれないか!?」
天野は深くため息を吐いた。
**************
天野の父親は産婦人科や美容整形外科まで、手広く病院を経営している。
だが残念ながら、男性向けの美容整形外科は取り扱っていなかった。
奥田は大病院の医者の息子のボンボンだ。金ならある。まずは一般的なメンズエステに放り込んでみることにした。
待たされること1時間。
エステで様々な施術を受けた奥田は、明らかな変化を遂げていた。
「ど、どうかな? 天野くん?」
天野は驚いて奥田を見つめた。
「お、奥田……? これは驚きだ。見違えたぞ。まさか顔面の汚れを落とし整えるだけで、ここまで男前になるとは思わなかった」
「そ、そんなに変わった?」
「ああ、ダメ元で放り込んでみたが、何事もやってみるものだな」
「お肌のお手入れとか、洗顔方法も教えてもらったんだよ。顔って洗わないとダメなんだね。これからは眉毛と鼻毛も切るよ!」
天野は満足気に頷いた。
「素晴らしい。お前は男に一番大切な清潔感を手に入れた。これではもう『ブタ野郎』とは呼べないな。『ブタ人間』と呼ぼう」
「よっし!」
天野の言葉を受け、奥田は力強いガッツポーズを決めた。
「だが、まだ見直す部分はいくつもある。美容院に行くぞ」
「え? まだダメなの?」
「当たり前だ。その韓国海苔みたいな頭をなんとかするぞ」
天野は表参道にある行きつけの美容院へ向かった。
「今風のイケメンにしてくれ」
馴染みの美容師に告げると、美容師は涙目で「冗談っすよね?」と訴えた。
「大丈夫だ、お前ならできる。やるんだ。拒否は受け付けない」
肩を掴んで無理やり切らせた。
待たされること2時間。
髪型を今風に変えた奥田は更なる変貌を遂げていた。
「ねぇ、天野くん、似合うかな?」
天野は愕然として奥田を見つめた。
「こ、これがあの奥田か……! 信じられないぞ。ほう、ちょっと色も入れたのか。髪型で人の印象はこんなに変わるのか」
「ね? 結構変わったよね?」
奥田は鏡で自らの髪をうっとり眺めた。
鏡には往年の人気韓流スターと同じ髪型にされたブタ野郎が映っている。
髪型だけ見れば誰かが「◯ン様」と呼んでくれるかもしれない。
「パーマとカラーリングってこんなに変わるんだね。いつも1000円カットだからわかんなかったよ」
「これはもうお前のことを『ブタ人間』とは呼べない。そうだな、『ブタ男』だ」
「やったぁ!」
天野の賛辞に奥田は喜びのガッツポーズを決めた。
「だが、これだけでは全然ダメだ。服を買いに行こう」
「えぇ? 結構この服気に入ってるんだけど」
「ダメだ。なんだそのシャツは。なぜオタクは頼んでもいないのにチェックを着るんだ。グローブもバンダナも捨てろ。メガネも買い替えてもらうぞ」
天野はとりあえず銀座に向かった。
しかし、洋服やアクセサリーとなると、選ぶブランドでかなりの金額差が生じる。
天野は奥田の懐事情も考慮するため尋ねた。
「おい、ちなみに所持金はいくらある」
「父上からカードを持たされてる。好きなだけ使えって言われてるよ」
奥田はマジックテープで止められた財布をバリバリと開き、中からプラチナカードを取り出した。
「よし、アル◯ーニで行こう」
2人はアル◯ーニの本店に入った。
店員は異様な2人組の来店にすっかり怯えている。
天野は両手をパンパン叩き、大声で指示を出した。
「金なら腐るほどある! このブタ男が1週間コーディネイトできるだけの服と装飾品を用意しろ! ハリウッドスターが隣に並んでも、遜色ないレベルに仕上げてくれ!」
待たされること4時間。
店員は閉店時間まで奥田のコーディネイトに費やした。
「天野っち、オレ、どんなカンジ?」
天野は目を疑った。
何度も目をこすり、目の前に立っているブタ男を見つめる。
「え? お前、奥田か!? ウソだろ? まるでファッション雑誌から飛び出してきたモデルみたいだ」
「ああ、オレも自分の変化に驚いた」
奥田はシックなアル◯ーニで全身をつつんでいた。
服はもちろん、インナーも靴もアクセサリーも全てアル◯ーニ。全身からエレガントで荘厳なムードを醸し出している。
さすが「イタリアモード界の帝王」と呼ばれる一流ブランドだ。ブタ男を立派なブタ男に変えてしまった。
「ここまで変えてしまうとは、さすが俺様の愛するアル◯ーニ……じゃなかった。奥田よ、お前の持っていた気品が、一流ブランドを着こなしているんだ」
「それな。オレに着られるために、この服はデザインされたカンジよ」
奥田は鏡の前で悦に浸り、軽やかにターンを決めている。
天野は拍手をしながら賛辞の言葉を贈った。
「まさにこれこそ豚に真珠……。いや、それは違うか。とにかくお前はもう『ブタ男』じゃない。『イベリコ』だ。お前のことをブタ野郎と呼んでいた自分が恥ずかしい」
「イエスッ!」
奥田はこの日一番のガッツポーズを決めた。




