天野くんへの依頼
※この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません。
「お帰りなさいませ! ご主人様!」
天野が店の入り口を開けると、数人のメイド姿の女の子が出迎えた。
「ご主人様は1名様でお帰りですかぁ?」
メイド姿の娘がスカートをふりふり揺らし、媚びを売るように尋ねる。
天野は呆然としながら答えた。
「い、いや、連れが先にいるんだ」
「はぁーい! お待ち合わせのご主人様のお帰りでぇーーす!」
メイドに連れられて店内に入る。
店自体はそれほど広くない。一般的な学校の教室の半分ほど。
客は目を覆いたくなるほどの気持ち悪い男ばかりだ。
「やあやあ天野くん。こっちだよこっち」
ひとつのテーブルから天野を呼ぶ声が聴こえた。
天野の知人、奥田和彦だ。
天野はダッシュで駆け寄った。
「おい奥田よ、もっと違う店はなかったのか」
「あれあれ? 天野くんこういう店お嫌い? ここは秋葉原でも屈指の人気店なんだよ?」
天野は店内を見渡した。
メイド姿の店員が歓声を上げながら走り回っている。
天野は吐き捨てるように言った。
「好かんな」
「そっかぁ……。それは残念だよ」
奥田はしょんぼりと肩を落としたが、1人のメイドを見つけると大きな声で呼んだ。
「マユにゃーーん! こっちこっち!」
「あーー! カンちゃーーん!」
『マユにゃん』と呼ばれた女の子は、メイド衣装であるフリルのスカートを揺らせながらやって来た。
「カンちゃんがお友達のご主人様を連れてるなんて珍しい! はじめましてご主人様! マユにゃんでぇーーーす!」
マユにゃんは猫耳をアピールしながら挨拶した。
「マユにゃん、こちらのご主人様に『にゃんにゃんアイスティー』ひとつお願い!」
「はーーい! かしこまりましたぁ!」
マユにゃんは奥田の注文を受けると、伝票に何かを記入して店の奥へ引っ込んだ。
「天野くん、紅茶で良かったかな?」
「別に構わんが……。今注文したのはなんだ」
「ほえ? 紅茶だけど?」
「何か妙な名前じゃなかったか」
「ぐふふ。まぁまぁ、楽しみにしててよ」
しばらくすると、店の奥から2人のメイドが「キャーキャー」と歓声をあげながらやって来た。
「はーーい! にゃんにゃんアイスティー、お持ちしましたぁ!」
天野の前にアイスティーを置く。
「それじゃあ、今からアイスティーがとぉっても美味しくなる『にゃんにゃんの魔法』をかけちゃいまぁーす! 他のご主人様もご一緒に!」
大きな声で注目を集め始めた。
店内の客たちはニヤニヤしながら天野たちを眺めている。
「はぁーーーい! 手拍子はじめーーー!!!」
マユにゃんがリズムにのせて手拍子を始めた。
客たちも一緒に手拍子を始めている。
手拍子が大きくなったタイミングを見計らい、マユにゃんは上機嫌で叫んだ。
「ラブにゃん! 好きにゃん!! にゃんにゃんにゃん!!! にゃんこのちからでおいしくなぁぁーーーれ!!!!」
2人のメイドは両手でハートマークを作り、アイスティーに突きつけた。
「にゃんにゃんビーーーーーム♡♡♡」
にゃんにゃんビームが紅茶に向かって放たれた。
「はい、できあがり!」
満足気に言い放つと、マユにゃんは両手で猫耳を作った。
店内中のメイドとお客も両手で猫耳を作る。
そして全員一斉に、
「にゃん!」
と叫んだ。
パチパチパチ……と客から拍手が送られる。
マユにゃんともう1人のメイドは「ありがとうございましたーー!」と頭を下げ、店の奥へ走り去った。
「はい、天野くん紅茶だよ」
「…………あぁ」
「どうしたの? 飲まないの?」
「……いや、……いただこう……」
天野はゆっくりアイスティーを口にした。
至って普通のアイスティーだ。天野は安堵した。
「美味しいでしょう。にゃんにゃんアイスティー」
天野は青ざめて奥田を睨みつけた。
「おい奥田……。本気で言っているのか?」
奥田は「ほえ?」と、無邪気な顔で小首を傾げている。
「……まぁ、いい。とっとと本題に入ろう。奥田、お前の依頼とはなんだ」
この男、天野勇二は、とある私大に通う医学生なのだが、昼飯を奢ることを条件に、様々なトラブルを解決する『事件屋』まがいのことを趣味としている。
天野は奥田に呼び出され、秋葉原にあるメイド喫茶『メイドにゃんにゃん』までやって来たのだ。
「えっへっへ……。どうしても『天才クソ野郎』の力が借りたくてさぁ。ちょっと恋の季節がぁ、ボクに訪れちゃってさぁーーー」
『天才クソ野郎』とは天野の「あだ名」だ。
性格はドSで人を辱めることが大好き。
そのくせ成績優秀ということで、教授や生徒から尊敬と軽蔑を込めて呼称されている。
本人はとても「あだ名」を気に入っており、呼ばれることをむしろ快感としていた。
天野は奥田の言葉を聞くと不敵な笑みを浮かべた。
「ほう……。『天才ブタ野郎』に春がきたのか」
『天才ブタ野郎』とは奥田の「あだ名」だ。
もう昨年度に大学は卒業しているが、在学中は天野と同じような天才として評判だった。
だが、如何せん容姿がブタ野郎なので、そのように呼ばれていた。
本人はこの「あだ名」をとても嫌っており、呼ばれると癇癪を起こすことで有名だった。真正面から言って許されるのは天野ぐらいだ。
「いやぁ、まだ付き合ってないからさぁ。春が来てるワケじゃないんだけどぉ」
「なんだ。体をクネクネさせるな気持ち悪い」
奥田は照れているのか「でへへ」と笑った。
「それで、どんな女に惚れたんだ?」
「えっとね、さっきマユにゃん、いたでしょ?」
「ああ、あの珍妙な女か」
マユにゃんは人気者のようだ。
あちこちのご主人様に呼ばれている。
にゃんにゃんビームを打ちまくりだ。
「マユにゃん……。ボクに気があると思うんだよねぇ」
奥田は気持ち悪いことを言い始めた。
「なんかさぁ、他のお客さんと扱いが違うっていうのかな? ボクを見る目が違うんだ。きっとボクに特別な感情を抱いていると思うんだッ!」
奥田は頬と顎の脂肪をプルプル揺らせながら力説した。
「……それは良かったな」
「それでさぁ、マユにゃん、シャイだからさぁ、自分じゃ素直な気持ちを言い出せないと思うんだ。だからね、天野くんに恋のキューピッド役になって欲しいんだよ」
「それで俺を呼び出したのか」
「うんうん。忙しいだろうにごめんね」
「そうか。わかった」
天野はもう限界だと感じた。
奥田のたるんだ顔を睨みつける。
これが自分と並ぶ天才と呼ばれた男か。将来は脳外科のゴッドハンドになると噂されていた男か。いつか医療界の歴史に名を刻むはずだったのに。
時の流れとは残酷なものだなと、天野は感傷に浸った。
「おい、マユにゃん」
「はぁぁーーーい!」
天野が呼ぶと、マユにゃんは満面の笑顔を浮かべてやって来た。
「マユにゃん、単刀直入に訊く。お前、この男に惚れているだろう?」
そう言って奥田を指さした。
奥田は突然の展開に驚き、あたふたと慌てふためいている。
「うん!」
マユにゃんは大きく頷いた。
「カンちゃんは、マユにゃんのご主人様だもん!」
その言葉を聞き、奥田はたるんだ頬が地面につくんじゃないか、というほどデレデレし始めた。
「やっぱり! そうだよね! いやったぁぁぁぁ!!!」
奥田は嬉しそうに叫んでいる。
天野は至極冷静に言った。
「じゃあ、頼む。こいつの恋人になってくれ」
「それは無理にゃん」
マユにゃんは即答した。
「だってぇ、マユにゃんはみんなのメイドさんなんだもん! メイドさんとご主人様の特別な関係は、恋愛禁止条例で禁じられているんでぇーーす!」
「どこぞのアイドルグループみたいなことを言うな。こいつはブタ野郎だが、大病院の御曹司だ。しかも長男で跡継ぎ。玉の輿に乗れるぞ」
「残念にゃん! マユにゃんがメイドさんであるうちは、誰とも付き合えないの! だってぇ、そうしたらマユにゃん、みんなのメイドさんになれなくなっちゃうもーーん!」
店の奥からマユにゃんを呼ぶ声が聞こえた。
「あ、呼ばれちゃった。じゃあ楽しんでにゃん!」
マユにゃんは投げキッスを送ると、足早に去った。
「……だそうだ。奥田、春は遠いな」
「ねぇ! 聞いたでしょ!? 可哀想だと思わない!?」
奥田は何をどう解釈したのか、激しく天野に詰め寄った。
「こんなの可哀想すぎるよ! 本当はボクと付き合いたいのに、恋愛禁止条例とか、そんなくだらないモノに縛られているんだッ!」
「奥田、それは違う。今お前はフラれたんだ」
「違わないよぉ! なんで伝わらないかなぁ……。やっぱりボクとマユにゃんの間にしかない絆は見えないのかぁ……」
奥田はがっくりと肩を落とした。
そして、天野もがっくりと肩を落とした。
これは相当な重症患者だ。
「なぁ、奥田よ。単純な三段論法じゃないか。マユにゃんは客にだけ優しい。奥田はこの店の客である。だからマユにゃんは奥田に優しい。こんな単純な論理じゃないか? 目を覚ませよ」
「違うッ! 論理とかそんなものを超越したところにマユにゃんとボクの絆は存在してるんだッ! 天才クソ野郎! お前ならわかるはずだお!」
奥田は興奮して吼えている。
天野はため息を吐きながら語りかけた。
「なぁ奥田、こんなことを言うのは俺様の美学にそぐわないんだが、これでも俺はお前のことを、それなりにリスペクトしてたんだ。バカみたいなことを言うんじゃない。これ以上、俺様を失望させないでくれ」
天野は在学中の奥田を思い出した。
確かに『ブタ野郎』というあだ名にピッタリの外見だったが、その才能は一流の医者に匹敵するものがあった。
天野でさえ論破されてしまうほどの頭脳、知識、冷静さ、発想力。どれをとっても一流だった。
天野はそれなりに奥田を認めていたのだ。
「バカなのは天野くんのほうだ! マユにゃんの苦しみをわかってやれないなんて! 天才クソ野郎の名が泣くぞ!」
奥田はなおも吼えている。
こんなブタ野郎のどこに『天才』と呼ばれる要素があったのか、まるで理解できない。
天野は奥田をぶん殴って、席を立ってとっとと帰りたい気分だったが、寸前のところでぐっと堪えた。
「……いいだろう。ならば現実を見せてやる」
天野はそう言うと「マユにゃーん」と呼んだ。
「はいはぁーーい! マユにゃんまた来ちゃいました!」
何がそんなに楽しいのか知らないが、笑顔でいっぱいの顔だ。
天野はマユにゃんの手をそっと握った。
「あ、天野くん! こらぁ! メイドさんにはお触り禁止だぁ!」
奥田が真っ赤な顔で吼えた。
天野は完全に無視すると、マユにゃんを真剣な眼差しで見上げた。
「マユにゃん……。俺は今までこんな感情を抱いたことがないんだが、君にひとめぼれしてしまった。俺と付き合ってくれないか?」
「ああああああッ!」
奥田の顔が一気に青ざめていく。
マユにゃんは奥田には目もくれずに、
「だぁかぁらぁーー!!! マユにゃんがメイドさんであるうちは、誰とも付き合えないの! だってぇ、そうしたらマユにゃん、みんなのメイドさんになれなくなっちゃうもーーん!」
と、テンプレ通りの返答を放った。
「そうか、残念だ。行ってくれ」
「はーーい! バイにゃらーー!!」
マユにゃんは軽快に去った。
「ほら、見たか? マユにゃんは俺にも……」
「ああああああまのくぅぅぅん!!!」
奥田は天野の肩を掴み、がたがたと前後に揺らした。
唾を吐き出しながら叫ぶ。
「どういうことよッ! ボクのマユにゃんだぞッ! 例え天野くんといえども、マユにゃんに手を出すなら容赦しないお!!!」
天野は前後に揺らされながら心底うんざりしていた。
この男はもうダメだ。末期だ。救う手立てはない。どんな名医でも匙を投げるだろう。しかもよく考えてみれば、救う価値もなかった。
天野は全力で奥田の両手首を握った。
「いいか、奥田……!!! マユにゃんは! お前に!!! 気なんて!!! ないんだよ!!!」
ぎりぎりと奥田の太い手首が締め付けられる。
骨がボッキリ折れそうだ。たまらず奥田は叫んだ。
「い、いたい! いたいよ! ごめん! ボクが悪かった!」
天野は奥田の手を放すと、『にゃんにゃんアイスティー』を一気に飲み干した。
「じゃあ、これで話は終わりだな」
天野は席を立った。
マユにゃんが驚いて飛んでくる。
「うにゃにゃ? ご主人様、もうお出かけですかぁ?」
「ああ、馳走になった。会計はあのブタ野郎につけといてくれ」
「はぁーーい! 行ってにゃっしゃいませーーー!」
天野は店を後にした。
**************
「クソッ……。無駄な時間を過ごしちまった」
天野は秋葉原の街並みを眺めた。
通りの店にはカラフルな看板が並んでいる。アニメや漫画、ゲームなどのキャラクターだらけ。中には声優やアイドルらしき顔も見受けられる。
「……おや、弟子じゃないか」
天野はひとつのビルの前で足を止めた。
天野の弟子であり、後輩である前島悠子の顔写真が貼られている。とんでもなく巨大なポスターだ。高さも横幅も3メートル以上あるだろう。
(このビルの屋上に、アイドルグループの劇場があるのか)
前島は純粋無垢なアイドルスマイルを浮かべている。
その前で記念撮影している観光客も多い。前島のことを神のように崇めているファンも見受けられる。ちょっとした観光スポットだ。
(ふぅん。アイツ本当に人気なんだな)
天野はため息を吐きながら街を見渡した。
秋葉原に訪れたのは10年ぶりだったが、随分と変わってしまったな、と感じた。
歩いているのはほとんどが訪日外国人。視界に入るのはアニメキャラにアイドルの看板ばかり。コンカフェやメイド喫茶に客を連れ込もうとする女性があちこにに立っている。
「チッ、くだらねぇ街だ」
天野はとっとと帰ろうと駅を目指した。
この時はまだ、奥田の依頼がとんでもないことに発展するとは、夢にも思っていなかった。




