天野くんと英文科
まず涼太は警察に電話した。
調書を取った際、「何か思い出したら連絡するように」と連絡先を渡されたのだ。
涼太は数々の矛盾点を警察に訴えたが、5分もしない内に会話は終了した。
「どうだった?」
「全然ダメ。もう岸野さんの無理心中というセンで捜査が終了してるっぽい。その事件のことならもう大丈夫、って言われて、聞く耳を持ってくれなかったよ」
「捜査本部を解散させたな。仕方あるまい。この俺様自身が長谷川と岸野が男女関係にあったことを証言している。遺書もごく自然に受け入れられた、ということか」
天野はメモに人間図を記載しながら、今後のスケジュールについて涼太に指示を出した。
「被害者の知人に話を聞いてみよう。俺は岸野の知人、つまり英文科の人間に話を聞いてみる。涼太は長谷川の交友関係をあたってくれないか。バンドメンバーの話、特にあのギターに関係する話が聞ければ最高だ」
「オッケー。まかせてよ」
「聞き込みには十分注意してくれ。大体2時間ドラマのサスペンスや、安いミステリー小説なんかでは、次の犠牲者は真実に近づきすぎた人物。つまり、俺かお前だ」
「誰が犯人か、わからないからね。慎重に慎重を重ねるよ」
「聞き込みを終えたら岸野の自宅へ向かおう。親族から話を聞けるかもしれん」
「わかった。岸野さんの両親には僕から連絡をしておくよ」
天野は涼太と別れると、英文科のある校舎へ向かった。
ちょうど講義の終わる時間だ。
講義室に見知った顔を見つけ、廊下に出てきたところを捕まえた。
「久しぶりだな。金子よ。ちょっといいか?」
「あれ、天野くんじゃない。随分と久しぶりね」
英文科4年の金子瞳は以前、天野が依頼を受けた人物だ。
「その節はありがとう。本当に助かったわ」
「もうストーカー被害はないか?」
「うん。あれからは全然大丈夫。本当に感謝してる」
金子はおかっぱ頭に黒縁眼鏡、という地味な娘なのだが、タチの悪いストーカーに悩まされたことがあった。それを天野が追い払ったのだ。
「金子、頼みがある。岸野町子と長谷川潤の事件は知ってるな」
金子は「ええ」と言って肩を落とした。
「痛ましい事件よね。英文科でもショックを受けている子が沢山いるわ」
「実はとある理由で岸野のことを調べている。岸野と親しかった友人はいないだろうか? 少しだけ話を聞かせて欲しいんだ」
金子はくすりと笑うと言った。
「天野くんツイてるわね。今教室には英文科の全学生が揃ってるわよ」
「そうか! それは助かった」
「岸野さんと親しかった娘ねぇ。そうね。稲本さん、ちょっといいかしら」
金子は教室に残っていた1人の女の子を呼び寄せ、天野を紹介した。
「こちら天野さん。岸野さんのことについてお話してあげて」
稲本は天野を見上げ、おずおずと頭を下げた。
天野の悪い噂は耳にしている様子だ。白衣姿を見て怯えている。
しかし先輩の手前、逃げる訳にもいかなかった。
「早速で悪いんだが、岸野さんってどんな子だった?」
「どんな子というか……。ちょっと暗い子でした。人を殺したなんて、とても信じられません」
「そうか。ズバリ聞くけど、彼女に虚言癖とかなかった?」
稲本は困ったように顔を伏せた。
金子も浮かない表情だ。
天野はその様子を見て理解した。
「……あったんだね」
「……はい」
稲本はおずおずと申し訳なさそうに話し始めた。
「町子ちゃん、勝手に妄想の中で恋人をつくってしまう癖があって。それで何度かトラブルになったことがありました」
「具体的にはどんなトラブルが起きたんだ?」
「先輩とか、同級生とか、後輩とか、恋に落ちて付き合い始める、っていう妄想を広げてしまって、それを人に憚りなく言いふらしてしまったんです……」
金子が助け舟を出した。
「岸野さんは英文科のトラブルメーカーだったの。一度も話をしたことがないのに、頭の中で同棲し始めたり、結婚話を持ち出したり、妊娠話を持ち出したりと、妄想癖と虚言癖が激しい子だったのよ」
天野は岸野の言葉を思い浮かべた。
やはりあれは狂言だったのだろうか。
金子が再び教室の奥に呼びかけた。
「ねぇ、山石! 五十嵐! 北野! ちょっと来てくれないかしら」
金子に呼ばれて、3人の男子が訝しげにやってきた。
「天野くん、この3人が岸野さんの犠牲者」
「犠牲者? 犠牲者とはどういうことだ」
「岸野さんの妄想の彼氏よ。本人と話をしたことがないのに、まるで付き合っているかのように吹聴されて、付きまとわれたの」
3人の男子は岸野という言葉を聞くと、微妙に嫌な表情を浮かべた。
「なるほど、俺は医学部の天野だ。よろしく」
天野は山石に左手を差し出した。
線の細い山石は、まるで白魚のような手をしていた。
「はぁ、どうも……。3年の山石です」
おずおずと山石は天野と握手する。
「五十嵐くんだっけ? 医学部の天野だ、よろしく」
「3年の五十嵐です」
五十嵐はその中でも圧倒的な美形だった。
男性アイドルグループにいてもおかしくないイケメンだ。
背も天野と同じくらい高い。
すらりとした手で天野と握手を交わした。
「北野くんだね。医学部の天野だ、よろしく」
「あ、はい。2年の北野です」
天野は同じように北野にも手を伸ばした。
3人の中では一番ぽっちゃりとしている。
指にタコがあるのかゴツゴツと固い手だった。
「岸野が最近殺された長谷川にお熱だったのは、周知の事実だったのか?」
金子が「うん」と頷き、北野に尋ねた。
「岸野さんは気まぐれで、急に恋愛対象を変えてしまうの。それもある日突然。つい最近までは北野くんにご熱心だったわよね?」
「はい……。3ヶ月ぐらい前から長谷川君に熱を上げてました。といっても、たぶん僕らと同じように話なんかしてないでしょうけど」
天野は長谷川のルックスを思い出し、目の前の3人を見比べた。
「こう言っちゃなんだが、男の好みが支離滅裂だな。3人とも何故、岸野に気に入られたんだ?」
「さっぱり分かりません……」
山石が首を傾げた。
「たぶん、落ちた消しゴムを拾ったとか、たまたま目が合ったとか、そんな程度だったと思います」
「ぶっちゃけ、岸野はキモかった?」
天野は「死人に口なし」とばかりに無礼な質問を投げた。
皆さすがに「うん。超絶キモかった」とは言わなかったが、天野から揃って目を逸らした。
否定をしないところを見ると、あまり好意的には受け止められていなかったのだろう。
「皆に悪い思いをして欲しくないんだが、これはあくまで念の為だ。長谷川の殺された時間のアリバイを教えてくれないか」
皆不思議そうな表情を浮かべる。金子がたまらず尋ねた。
「どうして? 岸野さんが犯人じゃないの?」
「岸野じゃないかもしれない」
「ちょ、ちょっと待ってよ。それってつまり、私たちを疑ってるの?」
「そうだ」
天野は至極当然といったように言い放った。
「といっても、別にやましいことがあるワケではあるまい? あくまで儀礼的なものだ。話を聞いた全員に訊いている。それとも何か? 金子には教えると不味いことがあるのか?」
「別にないけど……」
「ならいいじゃないか。素直に教えてくれ」
「だけどアリバイなんて、いい気しないわ」
「仕方ないだろ? アリバイ調査なんてそんなものだ」
天野は偉そうに気障ったらしいジェスチャーを振り回している。
英文科の人間たちは、あまりの傍若無人っぷりに黙るしかなかった。
「まず金子だ。昨日の17時過ぎ、何をしていた?」
「昨日はその時間、授業受けてたけど……」
「稲本さんは?」
「わ、わたしは授業終わって帰り道の途中でした」
「その後は?」
「お家で、妹とテレビ観たりしてました」
天野は軽く頷き、男たちに視線を向けた。
「山石くん、君は何をしていた?」
「ぼ、僕はバイトに行く途中でした」
「バイトは何時から何時まで?」
「18時から23時まで、ですけど」
「五十嵐くん、君は?」
「その日は午前中にバイトがあっただけです。家にいましたよ」
「その後は何をしていた?」
「18時頃、かな? 彼女と待ち合わせして、渋谷で深夜までデートしてました」
「北野くん、君は?」
「学校から帰る途中でした。その後はずっと、家でテレビ観てましたけど……」
金子以外の4人はバツが悪そうに顔を伏せた。
長谷川が殺害された時のアリバイがないのだ。
「なるほどね」
天野は腕組みをして黙り込んだ。
ブツブツと独り言を呟き、何かを考えこんでいる。
たまらず金子がおずおずと尋ねた。
「ねぇ、天野くん。犯人は岸野さんじゃないの?」
「……いや、岸野で決まり、でいいんじゃないか?」
天野は大げさなジェスチャーを振り回しながら、不快感を煽るようにニタニタと笑みを浮かべ、吐き捨てるように、それでいて楽しそうに言った。
「お前ら、岸野のこと嫌ってたんだろ? その気持ち、よく理解できるよ。あいつキモかったし、ドブスだったし、鼻が曲がるほど臭かったし……。本心では死んじまって清々してるんじゃないか? 妄想癖の虚言癖なんて邪魔なだけだ。むしろお前ら、内心では死んでくれて万々歳だったんじゃねぇのか?」
「ちょっと、天野くん。いい加減にして」
金子が後輩の手前のためか天野を制した。
稲本はさめざめと泣き出し、山石は青ざめて顔を落とし、五十嵐は苦笑いを浮かべ、北野は顔を真っ赤にして両手をきつく握り締め、天野を睨みつけている。
「言い過ぎよ。いくら殺人犯だったとしても、言っていいことと悪いことがあるわ」
天野は大げさに手を広げて笑った。
「あっはっは。そうだな。言い過ぎた。気を悪くしないでくれ」
始業のベルが鳴った。
天野はそれを合図とばかりに切り上げることにした。
「大変ためになった。ハブアナイスデイ」
呆然とする英文科のメンバーを残し、天野は軽快に立ち去った。




