天野くんへの依頼
※この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません。
天才クソ野郎はテラスにいる。
彼の名前は、天野勇二。
その日も1人の「依頼人」が、彼のもとを訪ねていた。
「お前……。この俺様に、本気でそんなことを頼んでいるのか?」
天野は偉そうに尋ねた。
テーブルを隔てた目の前に、1人の男が座っている。
「本気です。僕はどうしても、あの娘を中退させたいんです」
男は深々と頭を下げた。
「だからお願いします! どうか明日の「入学式」をぶっ潰してください!」
天野はタバコの煙を吐き出し、嫌そうに口を開いた。
「いきなり現れたと思ったら、俺様にそんなことを『依頼』するのか……。そもそも、お前は誰だ? 幼稚園で教わらなかったのか? 初対面の相手と話す時は自分から自己紹介をしましょう、とな」
「す、すみません。僕は経済学部2年の中尾裕也といいます。天野さんの噂を色々とお聞きしまして、是非ともお願いしたい、と思ったんです」
「俺様の噂ねぇ……。そいつが 『入学式を潰してくれるぞ』と告げてくれたのか?」
「はい。天野さんは、その…… 色んな意味で有名ですから……」
中尾は天野の顔を恐る恐る見上げた。
噂の天才クソ野郎、天野勇二。
眼光鋭い切れ長の瞳。かなり悪そうな顔にも見えるが、彫りの深い端正な顔立ちだ。
髪型はミディアムのウルフスタイル。綺麗にセットされた黒髪は清潔感があり、不潔な印象を一切与えていない。
背丈は180センチオーバー。ほどよく筋肉がついておりスタイルもいい。女子に一番好まれる「細マッチョ」の体型。
その上に羽織っている白衣もよく似合っており、知性的な雰囲気を醸しだすことに一役買っている。
外見だけならば完璧だ。
……だが、この男は中身に問題がある。
言動が偉そうで、仕草が気障で嫌みったらしく、相手に不快感を与える癖があり、その場の空気をすぐに悪くしてしまう。それが天野勇二という男だった。
「確かに、俺は昼飯を奢ってくれるなら、大抵の依頼を引き受けてやる。だがな、女を中退させろ、おまけに入学式を潰してくれ、とは随分と物騒な話じゃないか。お前は大学にどんな恨みがあるんだよ?」
「大学に恨みなんてありません。ただ、彼女が入学することが許せないんです」
「その『彼女』ってのは誰なんだ?」
中尾は仰天して叫んだ。
「そんなの、前島悠子ちゃんに決まってるじゃないですか!」
「……前島?」
「はい!!! 新入生として教育学部にやってくる国民的トップアイドル、前島悠子ちゃん以外に誰がいるんですか!?」
興奮して叫ぶ中尾の顔をじっと見つめ、天野は静かに首を捻った。
「……それは誰だ? 有名人なのか?」
「えっ!? ま、まままさか天野さん! 悠子ちゃんを知らないんですか!?」
「知らんな」
中尾は口をパクパクさせて天野を凝視した。
「し、し、信じられない! 前島悠子ちゃんは 「国民的アイドルグループ」のセンターに立つ女の子なんですよ! 可愛いと綺麗とカリスマ性を備えた最高のアイドルじゃないですか!」
唾を吐き出しながら叫んでいる。
天野は思わず顔をしかめた。瞳に苛立ちと殺気が満ちていく。
そんな天野の変化に気づかず、中尾は叫び続けた。
「ありえない! ありえませんよ! 今や僕たちの話題は前島悠子ちゃんがどの講義を受けるのか、どうやったらお近づきになれるのか、学食に立ち寄ったりするのか、休み時間はどこで過ごすのか、そんなことばっかりじゃないですか! 天野さんも少しは流行ってやつを――………」
ドカン、と大きな音がして、天野と中尾を隔てていたテラスのテーブルが浮き上がった。
「……ふぇ?」
一呼吸置き、中尾は「天野が座ったままテーブルを蹴り上げたのだ」ということを理解した。
そして、「天野の顔面が怒りで満ちている」ということも理解した。
「おい……。このオタク野郎。俺様はテレビなんてくだらねぇものは観ないんだ。お前の常識なんか知るか。ましてや俺様は医学部。医学生ってのは忙しい。なんなら解剖の実習を体験させてやってもいいんだぜ? どこか切って欲しい場所はあるか? どこだ? どこの贅肉から切り落としてほしいんだ?」
中尾は青ざめ、金魚のように口をパクパクさせた。
とてつもなく怖い。この男の脅しは本職の極道にも負けていなかった。
「す、すみません……。えっとぉ…… そ、そうですよねぇ……。別にみんなが知ってる訳じゃないですよねぇ……」
「当たり前だ。クソが。貴様のくだらねぇ価値観を押し付けるんじゃねぇ」
天野はタバコの煙を吐き出すと、すっかり怯えて縮み上がった中尾に尋ねた。
「だが、お前の依頼は少々興味深い。入学式を潰してくれ、とは滅多に聞ける願い事じゃない。なぜそんなことを考えるんだ?」
「え、えっと……。そのですね……。えっとぉ……」
中尾はしばし涙目で怯えていたが、なけなしの勇気を振り絞って口を開いた。
「僕はその、悠子ちゃんを、 守りたいんですよぉ……」
「守りたい? 中退させることが守ることなのか?」
「だって、悠子ちゃんは間違った決断をしてるんですよ。大学生になるなんて、彼女のアイドルとしての人生を縮めてしまいます」
「ほう、アイドルってのは大学生になると賞味期限でも早まるのか」
「そりゃそうですよ! 女子大生なんて、チャラくて! ビッチで! 男と遊ぶことと、金持ちと知り合うことしか考えてない生き物なんですッ! そんなアイドルなんてダメです! 悠子ちゃんはきっと悪い大人に騙されてるんです! 僕は悠子ちゃんを守るためなら、この手が汚れても構いません!」
天野は心底呆れていた。独善的で、短絡的で、偏見に満ちた思考だ。
なぜ「女子大生はみんなビッチ」と決めつけて敵視しているのか、天野にはさっぱり理解できない。
中尾はそんな天野の困惑には気づかず、唾を撒き散らしながら言葉を続けた。
「僕は悠子ちゃん以上に悠子ちゃんのことを知ってるんです! ずっと悠子ちゃんだけを応援してました! そんな僕だからこそ、断言できるんですよ! 悠子ちゃんを女子大生みたいなビッチにさせちゃいけない! だって、悠子ちゃんはこれからドラマや映画に清純派女優として……」
「ちょっと、ちょっと待て。もうわかったよ。お前がアイドルを想う気持ちはよく理解できた」
天野はうんざりしながら中尾の話を止めた。
「ならば逆に尋ねよう。もしアイドルがキャンパスを歩くことになったら、お前はどうするんだ? お前の嫌うビッチな女子大生まで一直線だ。ヤリサーに入って。クラブでナンパされて。ドラッグの味を覚えて。避妊具を用いない性行為に没頭する……。そうなった時、お前はどうするんだ?」
「そ、そんな! 悠子ちゃんはそんなことしません!」
「何を言ってやがる。お前がアイドルの入学を阻止できなかった場合、そんな未来が待っている。お前自身が言ったことだぞ。実際にそうなったら、お前はどうするのかと尋ねているんだ」
中尾は真っ青な顔をして俯いた。
「そ、そんなのダメです……。悠子ちゃんが汚れちゃう……」
しばらくの間、中尾は青ざめたまま黙りこんだ。
気持ち悪い独り言をブツブツと呟いている。天野はその姿をのんびり眺めた。
やがて、中尾はぽつりと呟いた。
「……もし、そうなったら、 怖い思いをさせても、 大学を中退させます……」
その瞳には狂信的な感情が宿っていた。
「……それならば、この俺様が何とかしてやろう」
天野は指先をパチリと鳴らした。
壮大なオーケストラを率いる指揮者のように、指先をキザったらしく振り回す。
そして自らの左胸を親指で示した。
「光栄に思うがいい。ひとつ作戦を練り、お前の望む未来を生み出してやる。俺様にかかれば全てうまくいく。入学式を潰すなんて、赤子の手を捻るより容易いことさ」
どこまでも偉そうな発言だったが、それは中尾にとって希望の光だった。
神にでもすがるように天野を見つめた。
「お、お願いします! 本当に感謝します!」
「ただし、しばらくの間は昼飯を奢れ。それが俺様のルールだ」
「もちろんです! なんでも言ってください!」
「クックック。入学式を潰すのか。実にデカいヤマだな。血が騒ぐぜ」
天野は悪い笑みを浮かべていた。
それでも内心「芸能人ってのも楽な商売じゃないんだなぁ」と、まだ見ぬアイドルに同情していた。