夏の名残と停電
それはもう九月だというのに暑い日のことだった。暑い中で冷房を効かせながら部屋でアイスクリームを食べていた時だった。
パチン!
僅かに何かが破断したような音がして部屋の灯りとエアコンが切れた。停電だった。
幸いPCにはUPSを完備していたため作業中のデータを保存してシャットダウンするまでの時間は稼ぐことが出来た。そのため被害らしい被害と言えば停電開けにエアコンが壊れていないかの心配くらいだった。しかしそこへ泣き出しそうな声が聞こえてきた。
「ぎにゃあああああああああああ!!!!!!!!!!!」
隣の部屋の睡だろう。ただの停電でやかましいにもほどがある。停電したくらいで騒ぐなと言いたいところだが、現在Wi-Fiルータも落ちただろうし回線でも切れたのだろうか? それでもあそこまでの奇声を上げる必要性には疑問を感じるが……
「お兄ちゃん!!!!! 助けてください!!!!」
案の定俺に泣きついてきた、部屋の前で泣かれても困るんだが。
「睡、とりあえず入れよ」
「うぅ……お兄ちゃん! スマホの電池がピンチなんですが……家って発電機持ってましたっけ?」
「そんなものは無い、別に停電なら復旧してから充電すればいいだろう?」
睡は泣き出しそうな顔で言う。
「だって! いまバトルがいいところなんですよぅ……電池が切れたら負けちゃう……切断ペナルティだって……」
やれやれ、しょうがないやつだ……
「ほれ、これ使え」
俺は机からモバイルバッテリーとUSBケーブルを取りだして睡に渡す。睡は考える様子もなくケーブルを繋いで充電を始めた。
「ふう……セーフです! ガンガンキルしますよ!」
そうして恐らくゲームをプレイしているのであろう熱心に画面と向き合いながら数分後……
「負けたー! 負けました!」
「お疲れ」
俺は机の上に並んでいる常温のドクターペッパーの缶を一本睡に渡しながら労う。睡は戦果に納得していないらしく、頬を膨らませながらもドクペを受け取り一口飲んでから『温いです』と愚痴をこぼしたのだった。
「なあ睡、スマホ一筋でいくならモバイルバッテリーの一つくらい持ってた方がいいんじゃないか?」
睡はその言葉にポカンとしていた。
「モバイルバッテリーですか? なんですかそれ?」
おっとびっくり、睡はモバブの存在自体を知らない人だったようだ。スマホメインで使うなら知っておいて損はないと思うのだが、如何せん睡は普段の用途で不便しないなら気にしないようなやつだったな。俺は机の中からiPhoneを一回くらいならフル充電できる最低限の容量のあるバッテリーを一つ取りだして睡に渡した。
「ほら、これ使え。急速充電非対応だけどこういうときなら使えなくはないだろ」
睡は俺に渡されたバッテリーをしげしげと眺めてから笑顔で受け取った。
「はい! お兄ちゃんからのプレゼントですね! 私、超大事にしますよ! お宝です!」
「いや、リチウムイオン電池は消耗品だからな? その内寿命が来るのは覚えておけよ?」
とはいえ、非常時に一回だけ充電する程度の用途なら十分に使える。そのくらいならこれで十分だろう。
「ありがとうございます!」
睡がそう言ったところで部屋の灯りが付いた。どうやら停電も終わりのようだ。俺はリモコンをポチポチと押してみる、無事エアコンは稼働し、冷房を吐き出してきた。どうやら破損はないらしい、有り難いことだ。
「ところでお兄ちゃん? なんでこんなモノをたくさん持ってるんですか? ちらっと見えたんですがたくさん持ってますよね?」
「あ……あぁ……安売りしてることが多いんでつい……な」
モバイルバッテリーと言えばネットのセール品の筆頭になっていることが多いものだ。大抵ネットショッピングをしていると見かけるセールでは中国産のバッテリーが大安売りをしている、そんなに必要ないとは分かっていてもついつい買ってしまうものだ。
睡は俺を咎めるような目で見ながら言う。
「お兄ちゃん、そういうお金の使い方をしているから足りなくなるのでは?」
「うぐっ……」
痛いところを突いてくる。確かにポイントやギフトの端数が余っていた時にケーブルやこういったものを買って消費することが多い。それについては買って『から』反省をするものだが、基本的に買う時に買った後のことなど考えないのが俺のスタイルだ。
「分かったよ……大サービスだ、USBPD対応のやつ一個やるからそれ以上責めるのはやめてくれ」
「USBPD?」
「最近のスマホなら倍以上の速度で充電できる規格だよ」
睡は心底嬉しそうに微笑んでから俺が机の引き出しから取り出した割と大きめのバッテリーを受け取る。余談だが100W純正弦波を出力できるバッテリーも押し入れに入っている。それについて言及されると困るのでここは気前よく分け与えてそれ以上の追求を避けるべきだろう。
俺がバッテリーを渡すと楽しげな玩具をもらったかのようにそれをしげしげと眺めてからポケットに入れた。まあ個人輸入した廉価品だしこれで厄介ごとが一つ消えるなら安いものだろう。
「ではお兄ちゃんに私からもお礼を一つ」
そう言って睡は自分の部屋に帰っていった。お礼ね……別にそんなものをもらうほど大したことはしていないのだけれど貰わないとそれはそれで不平がでそうだった。
しばし経ってから、睡が俺の部屋に飛び込んできた時には手に小さなケースを持っていた。
「はいお兄ちゃん! どうぞ!」
えっと……
「どうぞって言われても……これは?」
「イヤホンですよ!」
蓋を開けるとイヤホンが二つ収まっていた、流行の完全分離型のようだ。俺はそれを受け取ろうか少し悩んでから手に取ってそのケースの裏と表をくまなく見た。そして気がついてしまった。
「なあ睡、このイヤホン、どこで買ったんだ?」
「フリマアプリですけど? ものすごく安かったから買ったんです!」
安いにしたってこれは……
「睡、ありがとう、受け取っておくよ」
大体イヤホンの価格に察しが付いたので俺は遠慮なくそれを受け取った。
「へへへ……お兄ちゃんと交換ですね?」
「そうだな……」
俺は結局そのイヤホンのどこからも技適マークが見つからなかったことには言及せず、そっと机の中にしまっておいた。なお、その夜このイヤホンのケースにはモバイルバッテリーとして使うことも出来る出力を見つけたのだが俺はそれについては黙っておいたのだった。
――妹の部屋
「ふへへ……」
思い出すとニヤけてしまいます! お兄ちゃんがめったにくれない(当妹比)プレゼントを私にくれたのですからこんなに嬉しいことはありません! 私はただただお兄ちゃんに助けられたのが嬉しかったのです。
私はその夜、必要も無いのにモバイルバッテリーからスマホを充電しつつ眠ったのでした。