妹と兄の絵
「お兄ちゃん! モデルになってください!」
「えぇ……」
何を言っているんだコイツは……もっとマシな人がいくらでも居るだろう。
「何のモデルだ? ゾンビのモデリングでも任されたのか?」
「いえ、普通に絵を描こうかと」
意外な言葉に俺も二の句が継げない。と言うか俺は絵も写真も嫌いなんだが……
「なんでまた急に……?」
「芸術の秋というじゃないですか!」
断言する睡に俺はいつもの思いつきかと呆れながらも適当な断り方を考える。
「俺は絵のモデルにだけはなるなっておばあちゃんの代からの言い伝えがあるんだが……」
「お兄ちゃんのおばあちゃんは私のおばあちゃんでもあるはずですが……そんな話を聞いた覚えはないですねえ……」
くっ……逃げられない。
「絵のモデルになると魂を抜かれるって言い伝えが……」
「昭和でもそんな言い伝えはないですよ?」
言い逃れは出来ないか……なら真っ向から拒否をするまでだ。自分の顔があんまりよくないことなど知っている、それをわざわざ記録しようなどとは思わない。そんなことは世にはびこるナルシストな皆さんにお任せすればいいんだ。
「そういうのは顔のいい人にお願いしたらどうだ? 俺なんかじゃ映えないだろ?」
「私としてはお兄ちゃんの絵が描きたいんですがね。他の人ならご丁寧に描こうなんて思いませんよ?」
睡のど真ん中ストレートな物言いに反論がしづらい。ここは感情に訴えようか。
「いやなもんは嫌」
「へー……ちなみに家計は私が握っているのをご存じですよね? 来月はいろいろイベントがありますよね? ソシャゲとか……短期のイベントだから課金が間に合わなかったらライバルに差をつけられますよねえ? いえいえ、決してお兄ちゃんに経済制裁をしようなどと言っているわけではありませんよ? ただ、仕送りが『たまたま』遅れて届くことがあるかもしれないというだけで」
お金を盾にされたら俺も承諾せざるを得ない。財務大臣の睡に逆らうと経済的に我が家で干されてしまう。なんで仕送りを別々にしないんだと文句の一つも言いたいところだがソシャゲに課金するのを真っ先に考える時点で俺に信用がないという事なのだろう。残念な話ではあるが……
「分かったよ、好きなだけ描け」
「はーい! スケブと鉛筆取ってきますね!!」
そう言って自分の部屋に元気よく取りに行く睡。俺はそれを見送りながらこれから厄介ごとに巻き込まれることになったなと確信をしていた。睡が何を考えているのかは想像もつかないが俺に対して執着していることは分かる。別にそれが悪いことだとは言わないが依存するならもうちょっとマシな人間はその辺にいくらでもいるだろうと思わなくもない。
そうこうしているうちに睡が小走りに部屋に戻ってきた。
「お兄ちゃん! それじゃ描きますね!」
「ああ、まあ適当に頼むわ」
睡はむっとしたように顔を歪めて俺に不平をこぼす。
「お兄ちゃんがやる気を出して欲しいんですがね……とりあえず椅子に座って一枚描きましょうか」
そう言うと俺に鉛筆を向けて計量をしてからスケブに鉛筆を走らせていった。よどみなく進む鉛筆と「シャッシャ」という鉛筆のこすれる音が静かな部屋にしばらくの間響いていた。俺なんて描いて何が楽しいのだろうかと聞こうかとも思ったが、きっとこういったことに理由など無いのだろうし、本人のやりたいように任せようかと判断した。
「うーん……なんか違うんですよねえ……」
そんなことを言いながら練り消しをスケブに押し当てている。一体いつまで続くのやらと呆れ半分にのんびりと午後を過ごすことになりそうだった。しばらく書き込みと削除を繰り返した後でようやく睡の手が止った。完成したのだろうか?
「できあがりか?」
「そうですね、一枚目はこのくらいでいいです」
「一枚目は……?」
「もちろん二枚三枚と描いていく所存ですよ? お兄ちゃんの絵が私の部屋に飾られるのですから数は多い方がいいでしょう? ちなみに写真も飾っておこうかと思っています!」
勘弁して欲しかった。俺の絵なんてものはインテリアとしての価値など無いし、好き好んで飾りたいなど謎でしかない。物好きにもほどがあるだろう。睡の趣味に付いてまでとやかくとは言いたくないが俺の気持ちの問題だ。そんなことを言っても聞いてくれるはずもない相手なので俺も黙って描かれることにする。
「じゃあお兄ちゃん! 二枚目は立ってみましょうか?」
そう言って立たされたのだが、睡は満足げに俺を眺めながら鉛筆を滑らせていく。なんだかスイッチの入ったかのようにすいすいと描いて消してを繰り返していく。二枚目は筆が乗るのか気持ちよさそうに描いている。本人が満足ならとやかく言わないが俺が一体どんな風に描かれるのかは気にならないでもない。
そうしてしばらく熱心に睡が書き込んでからようやく満足したのか二枚目が完成したようだ、スケッチブックを一枚めくって三枚目に突入しようとしていた。そこで睡は部屋の窓を開けて換気をしながら一枚目と二枚目に定着液を吹き付けていた。甘い匂いが部屋に漂う。スプレーが健康に悪いとは知っていてもなんとなく食欲をそそられる香りに思えてしまった。
「お兄ちゃん、それでは三枚目といきましょうか!」
そうしてそこからさらに数枚描いてからようやく納得がいったのか全部にフィキサチーフを吹き付けて部屋に持って帰っていった。俺はどう書かれたのか気にはなったがそれについて問いかけてしまうのもどこか怖い気がして自分の部屋に帰る睡を止めることはしなかった。
その後、少ししてから睡は満足げに帰ってきた。
「満足いったか?」
「ええ、とっても!」
良い笑顔でそう言われると文句も出なくなってしまうのだった。そうして夕食になったが、睡はフィキサチーフの匂いに影響されたのか砂糖多めの甘めのメニューになっていた。
そうしてその日、寝る時になってなんだか絵とは分かっていても睡の部屋にそれがあり、一緒に眠ることになるのはなんだかおかしな気分になるのだった。
――妹の部屋
「お兄ちゃん……お兄ちゃんがいっぱい……」
私は部屋の壁にお兄ちゃんの絵を貼り付けて眠ることにしました。大変気分がいいのですが、お兄ちゃんの絵に画鋲で穴を開けるのは心苦しいものがありました。
しかしそこで私は考えました。『お兄ちゃんに頼めばいくらでも描けるじゃないですか!』と言うことで私は深く考えるのをやめてお兄ちゃんの絵に見守られながら眠りました。