妹の耳掃除
「お兄ちゃん」
睡がソファに座って膝をぽんぽんと叩いている。はて? 何がしたいのだろう?
「お兄ちゃん」
ぽんぽんと膝を叩く、えーっと……何をやるのが正解なのだろう?
「ええっと……膝枕?」
「惜しい! お兄ちゃんにしては察しがいいですが惜しいですね」
惜しいのか、近いって事なんだろうな。添い寝? いやいや、それはない。
「何がしたいのか教えてくれると助かるんだが」
睡は右手を差し出していった。
「さて、これはなんでしょう?」
手に握られていたのは……耳かきだった。
「今、登校前なんだが?」
そんなことをしている暇は……あと二十分しかないんだが……
「現在七時半、後二、三十分はありますね」
それだけしか無いと言うべきだと思うんだが。
「時間が無いような気が……」
「だからさっさと大人しく私に膝枕されやがってください! 小テストのご褒美を私は所望します!」
「分かったよ」
俺は制服にシワがつかないようにゆっくり隣に座って睡の膝に頭をのせる。とてもふんわりとした感触が側頭部に伝わる。冷房がよく効いた部屋なので体温まで伝わってくる。なんというか、非常に恥ずかしい。
「早く終わらせてくれよ」
「分かってますよ! じっくりやれって意味ですね!」
まるで通じてねえじゃねえか!? コイツは人の頼みをお笑いのフリと勘違いしてやがる!
とはいえ、もうここまで来たら睡のものだ、耳に棒を突っ込まれた状態で起き上がるわけにもいかずされるがままになる。
「……お兄ちゃん……こういうのを……ASMRって言うんですかね?」
耳元で囁いてくる睡、勘違いしてるんじゃないだろうか?
「当然違うぞ、そもそもASMRはイヤホンで聞くもんだろ?」
耳に当たる強さが強くなる。というか少し痛い。
「お兄ちゃん……そういったものを買った経験をお持ちで?」
耳の中をグリグリかき回される、痛いって!
「いや、ないぞ。ただ一般論としてだな……」
「はいはい、お兄ちゃんの耳から他の女を掻き出しましょうね!」
ゴリゴリと耳掃除……というかスクレイピングに近いことをされる。文句の一つも言いたいところだが、それがどんな形で返ってくるか分からないのでなすがままだった。
気がついたのだが耳垢がこすれる音がずっと続いている。コイツ耳掃除とか言いながら耳をひっかいているだけじゃないか?
「なあ睡、もうちょっと優しくしてくれると助かる」
「おおっとごめんなさい! お兄ちゃんの不祥事疑惑についつい力が入ってしまいました!」
「不祥事ってなんだよ!? 政治家じゃないんだぞ!」
何故そんな言われようをしなければならないのか、俺はそんなに後ろめたいことはやってないぞ。
そんな理不尽なお説教を受けながら柔らかな膝の上で耳掃除をされたのだった。
「ふぅ……残念ですがそろそろ時間ですね」
睡の手が離れるので俺は起き上がって時計を見た。
「八時過ぎてるじゃないか!? 遅刻するぞ!?」
妹に耳掃除してもらっていて遅刻しましたとかどう説明するんだよ!?
「急げ! 走るぞ!」
「お兄ちゃん待ってくださいよ!」
玄関を開けてタタタッと駆け出す。残暑の日差しが照りつけるのだがそんなことは遅刻しそうな事実の前では些細なことだった。ダッシュを必死にしてなんとか予鈴に間に合った。
校舎に入ると冷房が効いていてかいた汗が引いていく。涼しいを通り越して寒気がしてきた、普段はそんな風に感じないのだが汗をそれなりにかいていたので気化熱で大きく体温を奪われて寒気がした。
「お兄ちゃんって本気出せば走れるんじゃないですか……ぜぇぜぇ……もうちょっと普段から頑張ってくださいよ……はぁはぁ……」
「うるさい……必要もないのに必死にならないんだよ……」
人のことは言えないものだと思うが、本当にやる気というのは切羽詰まらないと出てこないものだ。俺も睡の兄だけあって本気になるのは追い詰められてからが本番のようだ。
「おはよー誠、なに登校しただけでそんな疲れてんの?」
重がそんなことを聞いてくる。
「お兄ちゃんを耳……ふぐっ!?」
「いやー、ちょっと寝坊をしてさあ! 睡が起こしてくれたんだけどなー! 寝覚めが悪くってさあ!」
「ふ~ん……まあいいけど、大方睡ちゃんとイチャついてたら遅れそうになったんでしょ?」
「エスパーですかっ!」
睡が全部喋ってしまう、コイツの口に戸は立てられないようだ。そうして一通り重にからかわれてから教室に入ってチャイムが鳴る。最悪の事態は避けられたし、重が黙っていればそれで済む話だろう。アイツは言いふらすようなやつじゃない……と思う。
そうして一限目が始まってから、スマホにメッセージが届いたのでこっそり覗くと……
『貸し一つだからね?』
そんなわけで重に借りを作ってしまったのだった。まあ睡ほど貸し借りで重い要求をしてこないのでそれほど問題ではないのだがメンタル的に疲れたのだった。
そうしてようやく授業が一通り終わってから重が話しかけてきた。
「大丈夫かしら? シスコンこじらせて一線を越えようとしてない?」
「うっさい……俺だって常識人だぞ?」
「そか……まあそういうことにしておいてあげるわ。ねえ……一緒に帰らな「お兄ちゃん帰りましょう!」」
そう言って会話に割り込んできた睡に腕を引っ張られて教室を後にしたのだった。
なんだか小さな声で『そういうところなんだけどなあ』という言葉が聞こえた気がした。
そうしてようやく自宅に帰り着いた時には登校時と同じくらい汗をかいていた。
「じゃあお兄ちゃん……あっ! 先にシャワー浴びてきます!」
「え? ああ、いいんじゃないか」
そう言ってパタパタとお風呂に走って行った。何を言いかけたのだろうか? そんなことを考えながら冷房を強くして前進に冷気を浴びた。
「あ~……生き返る~」
俺がかいた汗を冷房で冷やして乾燥させていると睡がシャワーを浴び終わったのか部屋に入ってきた。
「いい感じに冷えてますねぇ……あ、お兄ちゃんもシャワーどうぞ」
「俺は普通に夕食後で……」
「どうぞ」
「はい」
何故か圧力をかけるのでしょうがなくシャワーを浴びに行った。冷たい水で体を流して部屋に戻ると睡がソファに座っていた。
「お兄ちゃん?」
「まさかまた耳掃除か? 朝ので十分だろう」
「いえいえ、今度はお兄ちゃんが私の耳掃除をするんですよ?」
「はい!?」
「いいから私の頭をさっさとお兄ちゃんの膝にのせてください」
「えぇ……」
よく分からないまま耳かきを持たされて隣に座ると睡が頭を俺の膝の上にのせてきた。コイツは頭も柔らかいんだな……
シャンプーのいい香りも漂ってくる。この家にシャンプーは一種類しかなかったような気もするがどこかに隠してあるんだろう。
「ほらお兄ちゃん、さっさと棒を穴に入れてください!」
「誤解を招きそうな発言はやめてくれないかなあ!」
会話をするとロクな発言が出てきそうにないのでさっさと耳掃除を始めた。睡は「はぁん」「ふぁん」などとなまめかしい声を上げるのだが、俺は適当に耳かきで耳をひっかいているだけである。コイツの耳には繊細な神経が通っているんじゃないだろうか?
「ふぅ……そろそろ満足したので終わりです! ありがとうございました」
「あ、ああ」
こうして睡の耳掃除は終わったのだった。ちなみに耳は完全に綺麗でまるで耳掃除を念入りにやった後のように耳垢のひとかけらも無かった。
俺はそうして悶々と釈然としない気分を抱えたまま一日を終えたのだった。
――妹の部屋
「ふぉおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!」
お兄ちゃんの膝の感触が私の頭にダイレクトヒット! 素晴らしい! 最高じゃ無いですか!
おっと、思わず下品な発想をしてしまいました。いけませんね、私は上品な妹なのですから。
私はその日、熱っぽく感じたのでエアコンを強くしたのですがさっぱり効かないのでした。




