妹とレスバ
「わーん!! お兄ちゃん!! 慰めてください!」
「何があったんだよ?」
朝食を食べながら睡が唐突にグズるのでまーた面倒な話だろうなと思いながら世間話感覚で聞いてみる。
「レスバで負けました!!」
「さーて朝ご飯食べようかな」
あまりにもくだらない話だったのでスルーして朝食を食べようとする。しかし睡は俺に構わず話し続ける。
「トロッコ問題ってあるじゃないですか?」
「ああ、暴走トロッコをどう動かすかで善人一人か悪人五人くらいが死ぬので選べってやつか?」
話としては知っている。正解のない問題は苦手なんだよな……結局個人の感想みたいな話しか出来ないじゃないか。
「その話題が匿名掲示板で上がってたんですよ!」
「いかにもネット民が好きそうな話題だな」
大抵その議論は空中分解をして後に何も残らないというのが基本的なレスバの流れだ。
「そこで私は善人一人を犠牲にするべきって書いたんですよ!」
「はぁ? 別にお前の思想がそうならいいんじゃないか? 勝ちも負けも無い議論だろ?」
睡はビシッと指を指して「そこなんです!」と言った。
「私はですね、善人一人を犠牲にすれば世界ランクが一上がると主張したわけですね」
「想像以上にゲスな理由だった」
お前はそれでいいのかと言いたくなった、世界ランクとは自分が世界の人口のうち何番目に位置するかというネタだ、有能な人や社会的地位の高い人が死ぬと『また世界ランクが上がった』と書き込まれることがよくあった、最近その話も聞かないのだが、まだそのネタに付き合ってくれる人がいたらしい。
と言うかコイツは本当にそれでいいのか? クズっぽいにもほどがあるだろう。
「そうしたらですね! なんと付いたレスが『悪人を五人死なせれば世界ランクが五上がるぞ』だったんですよ!」
「そらまあ世界ランクを上げるために一人死んでもらおうとか考える奴には妥当なのでは?」
「悔しいじゃないですか! 『こんな議論している時点で悪人より世界ランクは低いぞ』とか反論できない書き込みされたんですよ!」
そりゃそうなんじゃないかと思うが睡は自分がレスバに負けたことが気に食わないらしく俺に文句をつける。
「私みたいな前途ある高校生が悪人より下のランクって言われたんですよ! 悔しいじゃないですか!」
語彙が乏しくなっている妹に俺はどうしたものかと思いながら、結局どうでもいい話じゃないかと考えていた。
少なくともその発想が浮かぶのは大抵高ランクの人間ではないと思うのだが……
しかしレスバで負けたことを愚痴られても困るのだが、本人はいたって真面目にやっているらしいことが少し怖い。
「睡、あんまりレスバに人生を費やすことが実のあることじゃないと思うぞ?」
「常勝無敗を決めている私からすれば我慢できないんです!」
レスバで常勝無敗なのは自慢できるようなことではないと思うのだが、本人は満足なので放っておこうかと考える。悪役をやるにしても、もうちょっとかっこいいやり方があるだろう、その発言はクズのそれなんだが?
「あんまり不毛なことに人生を費やさないことを推奨するぞ?」
「せっかく飛行機を飛ばしてまで自演をしたのに負けたのが我慢ならないんですよ!」
「はいはい、正解のない問いかけに答えを求めるのはやめような?」
飛行機を飛ばすって……わざわざ機内モードにしてまでIPアドレスを変えたのか……自作自演はバレるのでやめた方がいいと思うんだがな。
「いいか、そういう争いは底辺同士でないと起きないからな? 相手と同じレベルに落ちることはないんだぞ?」
世界ランクなんて言っているのは大半がネタで、残りの僅かが底辺だ。言ってはなんだがわざわざそのレベルに合わせてやる理由は無いだろう。
「じゃあお兄ちゃんが慰めてくださいよ! そしたら諦めますから!」
「はぁ……すごいすごい、お前はよく頑張ったよ、だから現実の世界に戻ろうな? ああいうところはカオスな人間が大量にいるからな。そりゃあ負けることもあるさ」
どうしようもない人間同士の醜い争いを見てきた俺からすれば睡のレスバはまだ軽い方だとは思う、野球や宗教や政治になるともっとキツいバトルになるからな。基本そう言った話題は匿名でやると相手の罵倒になってしまう。俺だってVim vs Emacsで争ったことがある、二分できる話題はどちらもどんどん過熱していき最終的にぺんぺん草も残さない醜い争いになった。いやあ、アレは酷かったな。
「お兄ちゃんは議論になったらどうしますか? Twitterとかものすごくエグい議論とかあるじゃないですか?」
「俺は即逃げの一択だよ。議論なんてネットでやるもんじゃないよ、経験者からの忠告だぞ」
睡はため息を一つ吐いてから諦めたように頷いた。
「そうですね、私にはお兄ちゃんがいるんだから有象無象と争うのは不毛にもほどがありますね」
「そういうことだ。底辺な人間はいつでも自分の同類を求めているからな、隙あらば自分と同じランクに引きずり下ろそうとしているぞ」
「そういうものですか……気持ちを切り替えてお茶でもしましょうか」
「そうだな、こういうときはすっかり忘れてしまうに限る」
睡はレスバを忘れて紅茶をいれ始めた、人は何か新しいことをするとそれまでのことは気にならなくなるものだ。コイツも心穏やかにお茶会を開こうじゃないか。
フツフツ……コポコポ……
ティーポットに沸騰したお湯を注いぐと香りがフワッと広がった、この匂いはアールグレイだな。
睡はスティックシュガーを一本取ってからテーブルにカップを二つ置く。
「お兄ちゃんは砂糖無しですよね?」
「ああ、俺は紅茶には砂糖無しだ」
そうして座った睡はカップに紅茶を注いで朝食後のお茶タイムとなった。他愛もないことを話し合いながら睡はスマホを弄っていた。スマホもハマりすぎるとよくないのだろう。
「睡、何を見てるんだ?」
動画でも見ているのだろうか? 熱心にスマホを操作している。
「これですよ!」
そう言って俺の方に向けたスマホには俺が紅茶を飲んでいるところの動画が流れていた。さっきからスマホを弄っていると思ったら俺の撮影かよ!?
「隠し撮りは無闇にするもんじゃないぞ?」
睡は頷いてからドヤ顔で答えた。
「私はお兄ちゃんしか撮影しませんよ? お兄ちゃんは私に撮られても文句はないでしょう?」
「まあそうなんだがな……」
本人が満足しているなら、俺の撮影はレスバよりは意味があるだろう。いや、正確に言うと俺を撮っても意味は無いがレスバは価値がマイナスになるのでまだマシだと言うだけの話ではあるのだが。
俺は睡にスマホのカメラを向けられたまま紅茶を飲んだ。
――妹の部屋
「はぁー……お兄ちゃんの撮影は良かったですねえ……」
私は一日のお兄ちゃんを撮影し尽したことを満足に思います。あの誰かのおかげで今日のお茶会があったとすれば、多少は感謝をしてもいいのかもしれませんね。
私は誰だかわからない相手に僅かばかりの感謝をするのでした。