三人のお茶会
「睡、今日は重が来るから」
「へぇ!?」
リビングでだらけているところ、睡にそう言うとビックリした様子で飛びあがった。
「は!? なんで重さんが来るんですか? 私たちの愛の巣なんですよ?」
なんでコイツはそんなにキレてるんだ? 普通に友人ならあり得るだろう。
「俺たちが勉強してないだろうから勉強会を開こうってメッセージが来たんだよ、その通りだったんでな」
「お兄ちゃん、断っておいてください!」
「実際俺たちあんまり勉強してないだろ? 教えてくれるって言うんだから良いだろ?」
睡はうんうんうなってから、本当に渋々と言った感じで頷いた。そこまで重を入れるのが嫌か?
重から持ちかけられた時にスマホに届いたメッセージには『睡ちゃんの説得よろしく!』と書いてあったのでこれも予想していたのだろうか。
「では勉強会用のお茶菓子を作っておきますね」
「勉強をする気があるのか?」
口笛をひゅーひゅー言わせながら小麦粉らやらバターやら砂糖やらを取りだしている。勉強(哲学)とは一体。
睡が元気よくお茶菓子を作っている間に俺は教科書を部屋に取りに行くことにした。
部屋に戻るとうっすらと埃を被っている教科書を見て、この部屋にも空気清浄機を入れれば埃も平気だろうか? などと本末転倒なことを考えてしまう。毎日教科書を使えば済む話ではある、だって面倒じゃん?
鞄にまとめて教科書を放り込んで部屋を後にする。俺の部屋での勉強会は睡が猛烈に反対するので不可だ。理由は知らない。
キッチンに向かうと睡が記事を四角く固めてオーブンに並べていた。
「何を作るんだ?」
「ショートブレッドです、手っ取り早く脳に糖分が届きますよ?」
「それは楽しみ、ところで勉強会の場所はこの部屋でいいか?」
睡は逡巡してから答えた。
「そうですね、私の部屋にお兄ちゃん以外が入るのもアレですし、もちろんお兄ちゃんの部屋に入れるわけにもいかないのでここがいいですね」
頑ななところはあるが家に入れること自体は反対されなかったので助かった。
ピンポーン
ドアチャイムが鳴った、どうやら来たらしい。
俺が玄関に向かおうとすると睡が先陣を切って小走りに駆けていった。
ガチャリ
「誠、久しぶりー! 睡ちゃんも元気だった?」
「私はいつもお兄ちゃんに労ってもらっているので全く問題無いですね」
「何をしてるかは聞かないわよ、どうせ睡ちゃんの限界は大したことないでしょう?」
睡が憤慨したように反論する。
「何を言ってるんですか! 私が本気になればお兄ちゃんなんていくらでも何でもしてくれますよ!」
「誠、睡ちゃんはこう言ってるけど? いいとこ膝枕止まりだと思うんだけどなんかしたの?」
俺は首を振ってから答える。
「お察しの通りだよ。大したことはしてない」
「お兄ちゃん! 話を合わせるって知ってますか?」
「いや……なんでそこで嘘をつく必要があるんだよ……」
重は軽く笑ってから参考書の山を鞄から取りだした。数学、英語、現代文の三科目が今日のテーマのようだ。数学と英語苦手なんだよな……
「とりあえず座ろうか」
そう言って椅子に座ると睡と重もひとまず座った。
「睡ちゃん……近くない?」
睡は俺のすぐ隣に座っていた。そう、重が対面に座り、向かいに座っている俺にくっついて睡が座っている。近いとか言うレベルではなくくっついているという表現が正しいであろう距離だ。
「ふふふ、重さんに私とお兄ちゃんの間に入る隙間はないとアッピルしないといけませんから!」
「ネトゲでもやってたか?」
微妙に日本語がおかしくなっている睡が心配になる。いや、いつもこんな調子だから変わってない気もするが……まあ気にせずに英語から始めるか。
英語の参考書を一冊取り、机に広げる。重も同じ本を取りだしたのだが、何故か睡は取り出そうとしない。
「睡? やる気が起きないのは分かるが参考書くらい取り出そうよ……」
「へ!? お兄ちゃんが取りだしているんだから共有すればいいじゃないですか?」
は!? 確かに俺が取りだした本は隣の睡の視界にちゃんと入る位置に置かれているが……もちろん学校指定の本なので睡が持っていないわけがない。
「睡ちゃん、誠に迷惑じゃないかしら?」
「お兄ちゃん、迷惑ですか?」
圧力がゴゴゴと音を立てているような話し方をする妹だ。ここはきっぱりと……
「睡、自分のがあるな……ぴぎぃ!」
「誠!?」
「お兄ちゃん、構いませんよね?」
「は、はい、構いません」
足が痛い! コイツ思いっきり踏みつけやがった! テーブルの下で見えないと思いやがって! 圧力(物理)は反則だぞ!?
俺が足を退避させながら睡の方に教科書を寄せる。現在俺の背中には睡の手が添えられている、今のところ何もしていないが断った時が怖すぎる。
諦めの境地で勉強会は始まった。
「お兄ちゃん、ここどういう意味です?」
「お兄ちゃん、ここはなんて意味……」
「お兄ちゃん、ここ……」
「お兄ちゃん……」
以下略
「あのさあ、睡ちゃんも私に頼ってくれてもいいのよ?」
「あらら、でも重さんに頼るのは申し訳ないですから」
スッパリ切り捨てる睡、意地でも重に教えてもらう気は無いらしい。
「お兄ちゃん! ここは……」
「ええっと……ここは……」
「過去完了形ね」
「重さんには聞いてねーんですよ?」
「お前なんで今日はそんなに口が悪いんだよ……」
そんな感じで勉強会は進んでいった。俺が睡に教えながら時折重に質問するスタイルで進行していく。重ねに聞いた時に露骨に不機嫌になるのはやめて欲しいなあ……
そうしてしばらくしたところで睡が胸を張って発言した。
「そろそろお茶にしましょう! 今日は私の自慢のお茶菓子がありますからね!」
「睡ちゃん、頑張るところが違うんじゃ……」
「さあコーヒーを淹れましょうね! ちゃんと甘いものも用意しているのでご心配なく!」
人の話を聞かない睡がお茶会を始めるために準備をしている、さっきまで参考書相手に露骨に嫌な顔をしていたとは思えない態度だ。
そつがなく軽食の準備をして睡はコトリとコーヒーカップとショートブレッドの入った皿を置く。
「重さんはブラックでいいですよね?」
「ええっと……」
「い・い・で・す・よ・ね?」
「いいわよ」
重はコーヒーをすすりながら露骨に苦そうな顔をしている、嘘はつけないやつだな。
「さあお兄ちゃん! 私たちも食べましょう!」
「あ、ああ」
コーヒーを飲むと、これがコーヒーであることを疑いたくなるくらいの糖分が俺の脳に直撃した。コーヒーをここまで甘くできるってある意味すごいな、しかもミルクは使ってないようだし。
俺はコーヒー牛乳に砂糖を大量にぶち込んだような味のコーヒーを飲みながら茶菓子をかじる。ふわりと崩れ、口の中の水分を大量に吸いこむ、そしてそれを補おうとコーヒーを飲むととんでもない甘さが襲ってくる。
重は重で、慣れないブラックコーヒーをあまり飲めておらず、囓ったお茶菓子が口をパサパサにしているのに飲み物を満足に飲めない苦行を行っていた。
そんな中、ただ一人心底美味しそうにこれを食べている我が妹、コーヒーにどれだけ砂糖を入れたのか、あるいは入れていないのかは不明だが、中間と言うことは無さそうなので多分苦さか甘さに極振りした飲み物を平然と飲みながらショートブレッドを囓っていた。
しばらく食べてからようやく皿もカップも空いたところで睡が提案をした。
「さて、勉強会はこの辺にしておきましょうか! いつまでもだらだらやってもキリがないですからね!」
「睡ちゃん、もうちょっと真面目にやった方が……」
「もう夕方ですよ? これ以上やると夕食もこれになりますよ? 私は一向に構いませんが」
「ひぇ……」
そんなわけで勉強会はお開きとなった。あっけない幕切れだが重が出て行ったところで水をがぶ飲みしていた睡を見るに随分と無茶をしていたらしい。
そうして普通の夕食がちゃんと出てきたことに安心してから波乱の一日は幕を閉じた。
リステリンを三回くらい使っても口の中の甘さがとれなかったことは覚えておこう。
なんだか明日には虫歯ができていそうなレベルで甘ったるいものを飲んだのは久しぶりのことだった。
――妹の部屋
「お兄ちゃんのバカ……」
何故お兄ちゃんに私の気持ちが通じないのでしょう……私はこんなに愛していると言ってもいいくらいなのに……
重さんには多少キツいコーヒーだったかもしれませんがお兄ちゃんのマグカップを使わせるわけにはいかないので私のものを使ってもらいました。だから重さんの苦手なコーヒーを出すにも私のカップと区別は付かなかったのです。つまり私もものすごく苦いブラックコーヒーを飲むことになりました。頑張ったおかげで勉強会も終わってくれたわけですが。
まあ何にせよ、お兄ちゃんと『二人きりなら』勉強も悪くないですね。
そんなことを考えながら、コーヒーのカフェインに勝つくらいの眠気に押されて眠りにつきました。