睡の手料理
「さてお兄ちゃん、お兄ちゃんは私に料理を作ってくれました!」
「そうだな?」
何が言いたいのだろう? 俺が冷房の効いたリビングでだらけていたところ、睡が話しかけてきて今に至る。
「ですので、お返しに私がお兄ちゃんに料理を作ってあげようかと思いまして」
ん?
「いや、ほとんど毎日お前が料理したものを食べてたと思ったんだが? いつもの食事を他の人が作ってたのか?」
まさか、そんな事があるわけないだろう。何しろ俺は睡が調理をしている様を眺めていた事がたくさんあるのだからな。
「いえ、そういう普通の料理ではなく……もっとこう……贅沢な食事を作ってあげたいなと思いまして」
別にそんな事を気にする必要はないと思うのだがな。
「いや、いつも美味しい食事をもらってたから別に無理しなくてもいいぞ?」
睡はぽっと顔を赤く染めた。
「それは大変嬉しいのですが、やはりお兄ちゃんが全力を出して料理をしてくれたなら私も全力を出さないと釣り合わないじゃないですか?」
「まあそんな事を気にしなくてもいいが、せっかく作ってくれるならお願いしようかな」
「それは素直でいいですね! お兄ちゃんは何を食べたいですか?」
「焼き肉」
言ってから少し失言だったかなと後悔する、睡は料理を作りたいと言っているのに技術介入の余地があまりないメニューを答えてしまった。少なくとも美味しい焼き肉を食べたいなら高い肉を買った方が手っ取り早い。
「お兄ちゃんってば……まあいいでしょう! 良いお肉買っちゃいますよ!」
「おおう!」
一応受け入れてくれたようなので良しとしよう。高い肉なんて自分で買う事はまず無いからな。
「睡、じゃあ材料買いに行くか?」
睡は少し考えているように首をかしげてから言った。
「いえ、サプライズ重視で私が買いに行きます! きっとお兄ちゃんは私のチョイスに感激しますし、買うところを見せちゃうと値段を気にするでしょう?」
「まあ、そりゃああんまり高いものだとな……高いの買う予定なのか?」
睡は小首をかしげてからいたずらっぽい微笑みを浮かべながら言った。
「ナイショ! です!」
うまく予算についてははぐらかされてしまった。最も現在我が家の予算担当である睡がそれほど無茶な金額は使わないだろう、その点では安心だ。
「じゃあちょっと買ってきますね! いいですか! 絶対に誰も家に入れちゃいけませんからね! 例え重さんであってもです!」
「アイツが来るかどうかは分からないが、居留守を使うのは悪い気がするな」
睡は首を振ってから言った。
「お兄ちゃんとしてはお高いお肉を三分割したいんですか? 二人でわけた方がオトクでしょう? それに重さんだってあんまり高いお肉が出されると気後れするじゃないですか」
まあ睡の言う事にも一理くらいはあるので反論はしなかった。確かに俺もたまたま遊びに行った家で和牛を出されたら気分よく箸が進むとは思えない。要するに俺は小市民だと言う事だ。ラーメンですら奢られると気になるので焼き肉なんて奢られた日にはお返しに何を選ぼうか当分悩むだろう。
「じゃあ買い物だな? 行こうか」
睡は少し狼狽えてから断りの言葉を言った。
「一緒にお買い物をするのは大変良い事なのですが、お兄ちゃんは小心者ですし多分値段を見たら止められそうなお肉を買う予定なので一人で行きますよ」
そう言ってテーブルの上の財布を手に取り玄関に向かっていった。気にはなるのだが、財布が薄かった事と俺たちの年齢ではクレジットカードが作れない事からそれほど高いモノにはならないだろうと予想が付いた。
しかし、睡が通販で代引きを使わない辺りどんな決済手段を使っているか不明なのでもしかしたら大金をキャッシュレスで支払うのかもしれない。それについて考えをめぐらせてから、よく考えるとそんな事に心労するのは不毛な事だと判断して考えるのをやめた。
「さて、準備をしておくか……」
そう独りごちてみるが睡がこの場にいないので反応は返ってこない、俺は無言でホットプレートをテーブルの上に出す事にした。睡の性格からいってフライパンで焼いてまとめて食べるより会話をしながら二人で焼きながら食べるだろうと考える。
やや重いヒーター付き鉄板を取りだしてテーブルに置いた。電源をコンセントに繋いでおいた。それで準備は十分だと思ったが念のため電子レンジの電源プラグを抜いたり、ドライヤーがコンセントに挿されていない事を確認しておいた。この家はブレーカーのアンペアがあまり高くないのでホットプレートを全力で稼働させてもう一つか二つの家電が全力を出すとアウトなくらいだ。
念のため部屋に戻ってPCで一番電力を食う倍率ロックフリーのCPUと廃熱が非常に高いグラボを積んだデスクトップPCはシャットダウンしておいた。ここまで念を入れれば問題無いだろう。
焼き肉の途中で邪魔が入ると睡は絶対に機嫌を損ねるし、何よりPCの電源がプチッと切られるとストレージや電源にダメージが入る。いくらストレージが可動部のないSSDでも電源断で多少のダメージが入るし、作業中のファイルの整合性がとれなくなる可能性がある。そういう悲劇を避けるために俺は不安の種を全部潰しておいた。
準備が整い、リビングでソファに寝転んでいると玄関の開く音がした。ちなみにホットプレートを出す事はしておいたが油をひいたりはしていない。何しろ俺は料理に全く自信が無いからな! それに睡が以前ホットプレート焼き肉なら牛脂を使いますと宣言していたのできっと油も買ってくるのだろう。一応サラダ油やオリーブオイルの瓶も見えるのでそれをだばあとプレートにまく事もできる。急ぐ必要は無いだろう。
「あ、お兄ちゃん、ホットプレート出しておいてくれたんですね! 気が利くじゃないですか!」
「ああ、俺はできる事はやっておく主義なんでな。ちなみに油はどれを使うのか分からなかったからまだ使ってないぞ?」
「おーけー、それはナイス判断です! 油はこれを使いますからね」
睡はエコバッグからパックされた白い塊を一つ取りだした。どうやらそれを油として使うようだ。
「じゃあお兄ちゃん、ホットプレートの電源入れてくれますか?」
「はいよ」
電源を入れて設定温度を最高の焼き肉向けにする。これを使うたびに思うのだが最高温度以外使った記憶が無い、はたして中途半端な温度設定はいつか使う機会があるのだろうか?
そんな風に考えていると睡が呆れたようにこぼした。
「お兄ちゃんは料理はできなくても機械の操作はちゃんとできるんですね……」
どうやら俺が電源をちゃんと繋いで温めるところ『まで』はできるのが不思議な様子だった。俺だって得意不得意があるんだよなあ……
「機械は操作したとおりに動いてくれるからな。有機物の処理は苦手なんだよ」
睡も俺がそう言う人間である事くらいは理解しているはずだ。納得した様子でドンとバッグをテーブルに置いて中から肉を取りだしていった。
「カルビと、ロース、あとタンですね。ハラミとかもありますけどその辺はちょっと安いですね」
「そうか、そろそろ良い時間出して食べるとするか」
「ですね」
こうして俺たちは焼き肉を始めたのだった。
じゅうじゅうと肉が音を立てながら色を変えていく、火が通ったらタレに浸して口に運ぶ。肉汁が口の中に溢れていく。
「うまいな」
俺はそんな小学生みたいな感想しかでなかった。味に対して美味いか不味いかは判断ができても表現力の方は全く追いついてくれない。ワインとかに対して表現豊かに味についてテレビで毎年言及しているがアレは実はスゴい事なのだろうか?
睡の方をチラリと見ると俺の方を眺めながらにこやかに微笑んでいた。
三枚くらい食べても睡が自分の分を食べる様子がないので俺が睡に焼けている肉を取り分けていった。
「お兄ちゃん、気が利くじゃないですか。口まで運んでくれないのは減点ですが十分私的にはアリですね!」
「そうですか……」
俺は自分の肉を取りつつ睡のタレの皿にも肉を時々置いていく。二人だけの美味しい夕食の時間だった。
そうしてしばらく食べたところ、ようやく準備していた生肉が尽きていた。
睡はなんだかうっとりとしていたのだが何故だろう?
「お兄ちゃんの箸で取り分けたものを食べる……これはもうキスと言ってもいいのでは……?」
「おーい、睡! ごちそうさま!」
睡はハッとしてから「はい、お粗末様でした」と言った。
後片付けは二人でやった、俺は鉄板などの重いものを洗いながら睡が隣で小物を洗っている。
キュッキュッと一通りの食器が片付いたところで睡がなんだか顔を赤くしていた。
「睡? どうかしたのか?」
睡は口を押さえてから小声でその理由を答えた。
「お兄ちゃん……私の口……匂いますか?」
「まあ多少は、でもまあ焼き肉で匂わないとか不可能だし気にしないぞ?」
「そうですか、それは良いんですが、私は気になるので歯磨きしてきますね。
そう言って洗面所に向かう睡を眺めながら、アイツに俺に対する羞恥心というものがまだ存在していた事に多少驚き、意外な妹の一面を見て少し睡が可愛く思えたのだった。
――妹の部屋
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!! なんで口が匂うんですか!! 私とした事が、失敗した失敗した失敗した!」
今日はお兄ちゃんの好みの料理を作って好感度を上げてからのイベントを狙ってたのにロマンの欠片も無い有様です。何故こんな基本的な事に気が回らなかったのでしょう!
私はその夜、悶々とした時間を過ごす事になるのでした。




