健康的な生活
「睡、ジョギングいくぞ?」
「うぇ……お兄ちゃん本気ですか? この暑いのに屋外を走ってくるとか面倒くさいじゃないですか!」
「じゃあ一人で留守番しててくれ、重でも誘うか……」
睡は顔を豹変させて俺に食い気味に答える。
「いえ、私も行きます! 気が変わりました! 是非行きたいですね!」
気が変わったらしい睡は俺を部屋から押し出して数分後、ジャージ姿の睡が出てきた。
「さあお兄ちゃん! 行きましょうか!」
「はいよっと……」
俺も睡につられて玄関の方へと向かう、いつの間にやら睡の方がやる気になってしまっている。あれだけやる気の無かった睡が俺を先導している様はなんとなく不思議だった。
玄関を開けて早々、睡は俺の前を走って行く。
「ほらお兄ちゃん! 行きますよ!」
元気な妹を眺めて安心しながらこの後勉強も見てやらないといけないことを考えそうになるが、それは面倒になることが確定しているので考えの外に追いやっておく。
タッタッタ
タッタッタ
俺たち二人の足音が並んで響く、青い草木が涼やかな風を通して俺たちに吹き付ける。ほんの少しの涼しさを感じるがやはり暑いものは暑い、背筋を伸ばして足を動かす、少し走ったところで睡の方が前に出てきた、くっ……基礎体力の差か……アイツは地味に体力があるからな。
「睡……早すぎ……ちょ……まって……」
睡はペースを落として俺の隣に来る。呆れたような顔で俺に言う。
「お兄ちゃん、誘っておいて先にへたれるのはどうかと思いますがね……」
「悪かったよ……俺は基本インドアなんだよ」
「それでよく私に身体を動かせとか言えますね?」
睡の嫌みも体力の方が限界でその意味に気がつくことすら困難になっていた。睡は俺の様子を見て察したらしく走るのをやめて歩き出した。
「ほら、歩きましょう。急な運動はお兄ちゃんには向いてませんね」
「悪い……走るのって思ったよりキツい……」
「だから私も面倒だったんですよ? 分かったでしょう?」
睡の言うことに俺は反論出来なかった、キツいものはキツいんだ。体力不足のオタクにはジョギングがハードなスポーツになっていた、もうちょっと楽かと思っていたんだがな。
俺も体力の限界を迎えて歩くことさえスピードが落ちてくる、睡はしょうがないなあといった感じで近くの公園のベンチに座った。
俺も疲れて隣に座ると睡が笑った。
「お兄ちゃんは私がいないとダメですね?」
「どうやらそうみたいだな……」
そう答えると睡が驚いた声を上げる。
「へ!? お兄ちゃんには私がいないとダメと認めるんですか?」
「だって現状俺一人で生活や健康が維持出来ると思わないからな。かなりお前に頼ってるじゃん?」
睡はクスクス笑ってから俺に向き直った。
「お兄ちゃん、デレましたか?」
俺はどう反応したものか困ってから一言「かもな」と答えた。それを聞いて睡は満足そうに頷いていた。俺が情けないことの何が嬉しいのかは知らないがとにかく機嫌を直してくれたようだ。理由はさっぱり見当もつかなかったが本人が満足しているならそれに水を差すこともないなと黙ってしばしの休憩をした。
しばらくベンチに座った後で疲れも収まったのでようやく続きかなと立ち上がったところで睡からストップがかかった。
「お兄ちゃん、明日地獄を見たくなければ無茶はしない方がいいですよ?」
「このくらいへーきだって……」
「そう思ってられるウチにやめておいた方がいいです、忠告ですよ?」
なんだか真に迫ったものがある睡の説得で俺もやる気がどこかへ抜けてしまってそこから家路につくことになった。
家に着くなり睡はシャワーを浴びに向かったので俺は手持ち無沙汰にテレビをつけてみる。これといって特徴の無いニュースキャスターが特別なことはないことについて平坦に喋っていた。何も心に残るものが無いので床に寝そべったところで痛みを感じた。どうせ睡はシャワーを浴びてるんだから行儀が悪いと言う人もいないだろうと思ったのだが……どうやらジョギングは思った以上に身体にダメージを与えたらしい、『明日地獄を見たくなければ』という睡の言葉に俺は軽くゾッとした。
そこへ身体を洗った睡が声をかける。
「お兄ちゃん、その様子だともう後悔してるみたいですね? とりあえず汗を流してからゆっくり寝て過ごした方がいいですよ? 大丈夫ですよ、今日一日くらいサボったってね?」
「いや、そういうわけには……」
「えい」
睡が俺に飛びついてくる、痛みが身体を走って睡と引き離すどころでは無い状態になってしまっていた。
「ね? お兄ちゃんはフィジカル雑魚なんですからいきなりエリートになるのは無理ですよ?」
睡の正論に俺は諦めて汗を流しにシャワーに向かった。睡のしてやったりという顔が微妙にムカついたが、現にこうしてすぐに身体が悲鳴を上げている状態で反論しても説得力が皆無なので反論は諦めた。
汗を流して着替えてから脱衣場を出ると睡が待ち構えていた。
「お兄ちゃん、マッサージしてあげます!」
なんだかやましい感じがするので断ろうとしたのだが……
「断るなら抱きついても大丈夫なんですよね? 痛くないから断れるんでしょう?」
「お願いします」
「よろしい」
そうして俺はリビングで睡にマッサージを受けることになった。さすがにもう一度思い切り抱きつかれたら身体が限界を迎えそうだったので折れた。
むにむにと睡が行うマッサージは俺の固まりきった筋肉をほぐしてくれた、正直に言おう、受けてよかったと思った。これで明日の筋肉痛も多少は楽になるだろう、ただし筋肉痛は避けられない運命だろうと考えて、部屋にアスピリンの備蓄があったかどうかが気になった。もちろん筋肉痛に使うような薬ではないのだが、現状でもうヤバいレベルに身体を追い詰めているので明日は朝食を食べたら純正のアスピリンを飲んで一日休もうと心に決めるのだった。
俺は部屋に帰り次第鎮痛剤のストックを確かめた、結果的にそれらは大活躍をしてくれることになったことに言及しておく。アレがなかったら筋肉痛でまともに一日動けなかっただろう。
――妹の部屋
「はぁ……お兄ちゃんにマッサージ……いいですねえ……」
けっして不埒なことをしたわけではないのですが私の身体は何故か火照っていました。
お兄ちゃんも私のことを真面目に考えてくれてはいるのでしょう、ソレをもう少し自分にも向けて欲しいものですね、もっとも、お兄ちゃんが私のことを考えてくれていると言うだけでも嬉しいのですが……私はどうすればいいのかも分からないまま眠りにつきました。