這い寄る期末試験
「お兄ちゃん、今日は何処に遊びに行きましょうか?」
「……」
「あ、重さんも一緒で良いですよ?」
「……」
「いやーもうすぐ夏休み、楽しみですねー」
「なあ、睡……」
「早く夏休みが来ませんかねえ!」
「期末考査が……」
「あー! あー! あー! 聞こえなーい! ワタシニホンゴワカリマセーン!」
「睡ちゃん、現実に目を向けましょう?」
いつもの三人が睡の部屋に集まっている、目的は……勉強だ。そう夏休み前の一大行事、期末テストがこの学校にももちろんある。夏休み中は『生徒の自主性に任せる』とのことで補習は存在しないのだがテストで赤点を取ってしまった人にはしっかりとそれが用意されている。つまり平和な夏休みを迎えるためには睡が赤点を取らないことが必要なのだ。俺と重は授業を真面目に聞いているくらいで小テストでやばい点数を取ったこともないので大丈夫なのだが、この妹、授業中にやたらスマホにメッセージを送りつけてくる。もちろん俺は無視しているのだがお構いなしに送ってくるので休み時間はその返信に使っている。もちろんそんなことをしている奴が授業を真面目に受けてるわけはない。
とまあ、そんな事情で睡の学力がピンチなのだった。テーブルの上には教科書とノート、筆記用具に糖分補給用のコカコーラが数本、もうすでに三本ほど蓋が開いている。飲んだのは睡、よほど脳に糖分が不足していたようだ。体重に関しては気にしてやらないのが思いやりだろう。
「ここどうやって解くんですか?」
「公式に突っ込めば解けるぞ」
「その教え方は雑すぎない?」
「お前公式の証明とかクソ面倒なことから教えられるわけないだろ? 加法定理なんて公式の証明が東大の入試になったんだぞ?」
「でも……睡ちゃんのためには……」
「あ、私は留年しない程度の理解が出来れば十分です」
割り切った考え方が出来る睡だった。そう言われては本人が必要ないと言っている内容について教える気も無いようで重も黙ってしまった。
「しっかし、世界史なんてやる意味あるんですかね? 昔は『いい国作ろう鎌倉幕府』だったらしいじゃないですか? 今じゃ時代遅れになってるんですよ、時代で正しいことが変わってしまうような学問に意味があるんですかね?」
「量子力学で古典物理学が矛盾しても教えてるようなもんだろ、基礎が分かった上でその上を教えてるんだろうな」
摩擦の無い糸や重さの無い滑車は存在しない、ただしそれらが摩擦や重さを考慮すると死ぬほど計算が面倒くさくなるのでそれらの計算方法を教えないようなものだろう。数学において三次方程式に解の公式は存在するが高校までで教えることは無い、死ぬほど長い上に計算するとそれだけで試験時間を使い切ってしまうような複雑さだからだ。
つまりは知らなくても試験をパス出来るなら理解する必要は無いということだ。知らぬが仏とはよく言ったものだ。
「歴史とか興味無いんですがねえ……」
「まあ常識の範囲くらいは覚えておいた方が便利だぞ」
その程度の理由しか無いが、逆にその程度の理由でもあれば覚えておくには十分すぎる理由だ。他の人と認識を共有出来ることは話の種くらいにはなるので役に立つ。
そうしてしばらくの勉強の後……
「あと一週間しか無いんですよ? コレ無理じゃないですか?」
「『一週間も』あるんだぞ?」
そうしてその日の勉強会は終わった、と言っても俺が眠くなっただけだが、睡については今日は泊まるのでもう少し教え込んでおくと言うことなので重を信じて俺は寝ることにした。
その日、執念でコソコソメッセージをスマホに送りつけられて俺は無事寝不足となるのだった……
翌日曜日、睡は目の下にクマを作って部屋から出てきた。重ねも一緒に出てきてなんだかとてもくたびれた雰囲気を出していた。俺を見るなり重が囁いてきた。
「教えられるだけは教えたから後はあなたに任せる、睡ちゃん、あなた以外の話を真面目に聞かないんだよ? 昨日深夜に至るまで『お兄ちゃんが如何に素晴らしいか』について語られたって事で察して……」
「何というか……悪かったよ……」
「良いけどね……睡ちゃんの補修は誠にかかってるわよ……」
そう言って家に帰っていった。後には寝不足の兄妹二人が残されたのだった。
その日は現代文の勉強になった、俺が教えられる科目の中では一番効率がいい科目だ。
「お兄ちゃん、森鴎外ってロリコンなんですか?」
「失礼だろうが!? 文豪だぞ?」
「でもアレ実話を元にしてるんでしょう? 普通に今あの話やったらロリコン認定されそうな気がするんですが……」
「敵をたくさん作りそうな発言はやめような、次は『こころ』だ。コレは漫画が出てるからストーリーざっくりそれで覚えとけ」
そうして二十分後……
「覚えたか?」
「Kの墓が面白かったです」
「そこじゃないんだよなあ!」
ここまで真面目にやる気のない奴に教えるのが辛くなってきた……頼むから真面目にやってくれ……
「要するにNTRされた友達が死んだのでそれを後悔していますって話でしょう? これが後世に残る名文なんですかねえ……?」
そういう敵を増やす発言はやめて欲しいなあ! コイツに現代文を教えるのは失敗だったかもしれないなあ……
俺が遠い目をしていると睡はようやく文章の方を読み出した。暗記する必要はないんだから本文を読む必要は極論無いわけだが知っているにこしたことはない。俺はそれをようやく出来た休息の時間として睡を眺めて過ごした。コイツは俺が見ている時は真面目に読んでいるが、目を離すと俺と本の間を視線が行ったり来たりするので結局俺は本を読んでいる睡を眺めているしかなかった。
日も落ちてきた頃、ようやく本文を読み終わったらしく疲れ切った顔で俺の方を見た。読み終わるまでにコーラが二本消費されていた、問題はそれが1.5リットルボトルだって事だろうか……
「お兄ちゃん! 私分かりました!」
ほうほう、問題文はまだやっていないが多少は理解出来たのだろうか。
「NTRは許されませんね! 純愛こそ正義です!」
「全部読んでの感想はソレ?」
「だって私もお兄ちゃんが誰かに寝取られたらブチ切れますもん! そりゃあ先生も後悔するでしょう!」
感情移入も結構だが所々歪んでいる気がしなくもない。ただ、俺の神経の方が限界に達していたので現代文の授業はそこで終わりにした。
その夜のお風呂は疲れが溢れて流れ出す様子が目にも見えるんじゃないかと思えるほどにリラックス出来たのだった。
――妹の部屋
うぅ……わけが分かんないですね……
私はここ数日の勉強会の内容を思い出して頭を抱えます。何故こうも私はお兄ちゃんに授業そっちのけでメッセージを送ってしまったのでしょう? 必要なことだからですね!
ええ、必要なことなのです! お兄ちゃんと私の関係を維持するためには授業は多少犠牲にしなければなりません。
とはいえ、お兄ちゃんとの平和な夏休みのために私は必死にノートの内容を記憶に詰め込んでいくのでした。