夏の始まり
太陽が熱線をアスファルトに向けて放射し、アスファルトはそれに応えて気温を上げていく、空気は温度を上げて人体に熱を伝えてくる。こんな季節はアイスクリームが欲しくなる、だがそういうわけにもいかない、何しろ今は登校中だ。
「暑い……」
「暑いですねえ……」
俺たちは熱波の中を歩いている、学校に行くためだけにこれだけ苦行をしなければならない、通学路にかき氷屋を設置したらさぞかし儲かるんじゃないだろうか。
「あんた達ねえ……もうちょっと根性見せなさいよ、私だって我慢してるのよ?」
重がそう言うが暑いもんは暑いんだよ……この熱波を冷やすためなら核の冬でも来ないかなとさえ思ってしまうくらいには暑い。根性でどうにかなるなら砂漠が大都会になっていても不思議はないだろう。
「実際暑いだろうが……地面が裸足で踏めないくらい熱くなってるんだぞ?」
最近では犬用の靴さえ販売されるほど問題になっている、道路が舗装されて人間にとっては間違いなく便利になったが動物たちには災難なことだ。
「それと睡、暑いから離れてくれないか?」
俺の腕に捕まっている睡の体温が伝わってきてますます暑くなってしまう。何故コイツが俺の腕に捕まっているのかは不明だが、重と一緒にいる時には時々こうして甘えてくる。別にそれは構わないんだがさすがに今日は暑すぎる、冷房の効いた部屋なら引き剥がすようなことはしないが夏の通学路でこんな事をされると暑くてかなわない。
「えー……お兄ちゃんとくっついてると涼しいんですよ?」
「嘘をつくな、こんな天気で密着したらクソ暑いだろうが……」
そう言うと渋々睡は俺から離れた。捕まられていた腕に汗をかいているが少しだけ涼しくなった、とはいえかなり暑いことに変わりなく多少マシになった程度だ。
「睡ちゃんだって暑苦しかったでしょう? そんなに我慢する意味あるの?」
「お兄ちゃんと一緒にいると私の体温は丁度良い感じに上下するんです! つまりお兄ちゃんは私のエアコン!」
「はあ……本人が満足してるなら良いけどね……」
俺たちは気怠げに学校に向けて歩いていった、生徒以外はほとんど見ないのはきっとこのあたりに住んでいる人がエアコンの効いた部屋の中から出たくないからだろう。
学校に着くと俺たちは急いで靴を履き替えて教室に飛び込んだ、エアコンの冷気が俺たちを冷やしてくれる。
「生き返りますね……涼しい……」
「そうだな、今日は体育もないから教室から出たくないところだな」
「あー……やっぱ涼しい」
重がそう言ったのを睡は聞き逃さなかった。
「やっぱり重さんも我慢してたんじゃないですか」
「私だって暑いものは暑いのよ!」
隣の席の但埜も俺に話しかけてきた。
「お疲れ様、マジで今日は暑いな」
「そうだな、そういやこの学校って学食にアイスあったか? あれば買いたいんだが……」
「残念だがないな、昔あったという噂も聞いたことがあるが暑い日に奪い合いになって無くなったとか言う都市伝説まであるぞ」
この学校の民度はどうなっているのだろう。普通なら嘘と一笑に付すところだがこうも暑いと気持ちが分からないでもない。今日はエアコンの効いた教室から出ないぞと俺は固い決心をしたのだった。
「お兄ちゃん! 涼しくなったから良いですよね?」
エアコンが効いて涼しくなったのでここぞとばかりに睡が飛びついてくる。学校でやられると今度は恥ずかしいんだがな。
「睡ちゃん、さすがに学校では控えなさい」
「えー……重さんはこういうの憧れないんですか?」
「うっ……とにかく! 教室ではやたらにイチャつかないの!」
睡は俺に顔を向けて聞いてきた。
「お兄ちゃんは迷惑ですか?」
それは……
「学校では控えてくれると助かる」
妹をスッパリ切り離すようなことが出来ないのは俺の甘さだろう。しかし睡に強く出ることが出来ないのが兄というものだ。
「はーい……」
そう言って俺から睡は離れてくれた、若干の寂しさを感じつつもこれが普通であると自分に言い聞かせておく。そう、俺は平々凡々な人生を歩みたいのだ、やたらと波瀾万丈な人生を求めてなどいない。そうして渋々離れた睡は机に突っ伏して寝ていた。どうやら俺が関係ないことにはとことん興味がないらしい、割り切り方がすごいな。
ガラッと教室のドアが開いて担任が入ってくる、入ってきて早々暑いことに愚痴をこぼした。
「お前ら、暑いからってサボるなよ? 私だってこのクソ暑い仲仕事してるんだからな。つーか教室はマジで暑いな、職員室より二度は暑いんじゃないか」
一通り愚痴っていって職員室の冷房がよく効いていることを語った後で「真面目にやれよー」と不真面目そうに言ってから教室を出て行った。アレでよく教師が務まるなあ……
午前の授業が冷房の効いた部屋で無事終わったのだが、熱波は予想以上であり、冷房が轟々と鳴っているのにそれでも暑く感じてしまう。昼休み、どこかここより涼しいところはないかと考えてやはり生徒が入れる場所で冷房が効いているところは後は図書室くらいしか思いつかなかった。
「お兄ちゃん! お弁当食べましょう!」
「そうだな」
睡の差し出してきた弁当箱を二つ開けて一緒に食べる。幸い教室の冷房が切れることがなかったおかげか痛んでいる様子はなかったので安心した。
「お兄ちゃん、家の冷蔵庫にアイスが一カップありますよね?」
「あるな」
俺はすっとぼけておく。
「可愛い妹に譲ろうとか思いません?」
やっぱりそう来るか。
「アレは俺がクソ暑い中を買ってきたものだぞ」
「ただでとはいいませんよ? お兄ちゃんの言うことをなんでも聞いてあげます!」
教室がざわめくが俺は面倒なことになりそうなのでアイスクリームについては諦めた。
「はぁ……そこまで欲しいんならやるよ、ただしあんまり安請け合いをすると苦労するから気をつけろよ?」
「大丈夫です! 私が安請け合いするのはお兄ちゃんにだけですから!」
教室のざわめきも放っておいて俺は食事を終えて考えた。確かにコレを作ってくれたのが睡なのだからその程度は譲歩するべきなのかもしれない。
午後の授業までスマホを取りだして時間を潰した、なお、二十分ほど午後の授業まであったがその間にsignalに届いた睡からのメッセージは四十を超えた、もちろん俺がスマホを使う時間のほとんどはクラスの少し離れた席からのメッセージ処理に使われたのだった。
午後の授業が始まったが、教師も大概この暑さではやる気がないらしく教科書でパタパタ仰ぎながら適当な授業が過ぎていった。
帰宅しながら、さっさと帰ろうとすると睡がやはり一緒に帰ろうと言ってきたので断る理由も無く二人で帰ることになった。重は誰かに告白されたらしく、お断りに向かっていった。アイツはご丁寧に告白にお断りをちゃんと礼儀正しくしているので時々こういうことがある。睡は無視を決め込むので告白する相手はこの学校にいなくなっていた。
帰宅後、やはりアイスは睡が食べて至福の顔をしていたが、この家にはエアコンがあるので暑い中アイスを食べるという贅沢も多少少なくなっていた気がする、睡に聞いたところ「お兄ちゃんのアイスだからいいんじゃないですか!」とよく分からない回答が返ってきた。
ちなみにこの日はクソ暑かったので湯船に湯をはらずシャワーで済ませたところ、睡に湯船に浸かりたいんですけどと不平をこぼされたのだった。風呂上がりに見たテレビ番組で七月の暑さはやわらぐでしょうという天気予報を見て少し安心した。
――妹の部屋
「いやーお兄ちゃんのアイスは美味しいですね!」
何が良いってお兄ちゃんが買ってきたっていうのがいいです! あえて言うなら私のために買ってきて欲しかった物ですが。私はその日確かに幸福だったのですが、冷房の効いた部屋でなぜか身体が熱くなるのを感じたのでした。