春の夜明け
四月も中頃になった頃、すっかり俺はクラスの中でもお兄ちゃんキャラというのが定番になってきた。目立ちたくないという俺の目標からすれば目的とは違うのだろうが、睡が兄にベッタリというキャラが定着したことで、俺はただの『お兄ちゃん』という立ち位置が安定してきていた。
「お兄ちゃん! 先行っちゃいますよ?」
「悪い、すぐ行く」
俺が妹と登校する姿もすっかり一般的なものになり、一時別々に登校してみた時など『妹さんは?』と聞かれる始末だった。そんなわけなので目立たないことが第一の俺としてはより自然な妹との登校を選んだわけだ。
家を出て数分後、いつもの重に会った。
「おはよ! 相変わらずねえ……」
呆れたような視線を向けてくるが俺はコイツの視線に離れているので気にしない。妹と登校して何が悪いというのだろう? 何も問題は無い、全て問題無く進んでいる……はずだ。
「おはよう、楽しそうだな?」
「そりゃあ誠と一緒にとうk「お兄ちゃん早く行きましょう! 学校に送れてしまいます!」」
「え!? ちょっと待って」
袖をぐいと引っ張られながら駆け足になる。呼び止める重の声などないかのように睡は耳に入っていないのか、あるいは右から入った言葉が左にスルーしているのかは不明だが、とにかく聞く耳を持つ気はないらしい。
「なあ睡、重がついてきてるんだからペースを合わせろよ、時間もまだ問題無いだろう? ちゃんとスマホの時間も後30分は余裕があるぞ」
「多分そのスマホが壊れているのでしょう、私の腹時計は遅刻寸前だと言っています」
腹時計て……というか投稿前に食べた朝食はどこへいったんだ? そんなことは思い切り無視してどんどんと歩いて行く。睡に俺は一声かけた。
「もしかしてお前、重のこと嫌いなの?」
「いいえ、まったく嫌いではないですよ? お兄ちゃんに好意を持つ者が等しく悪というだけです」
「その理論だと俺は誰からも好かれないことになるんだが……?」
「いいじゃないですか私がいれば!」
俺は割と万人受けを狙っているのだがコイツ的には他の誰かがいない方がいいらしい、自分勝手なのは自由だが俺を巻き込まないで欲しいものだ。
「お兄ちゃん、はいどうぞ」
睡は俺の手に一つのイヤホンを渡してきた。
「なんだこれ?」
「ノイズよけのイヤホンです」
「片方しかないようだが?」
睡はコンコンと俺から見えない方の耳を叩く、どうやらそちらにつけているらしい。
「両方つけないとノイズ避けにならないんじゃないか?」
「良いじゃないですか! イヤホンの共有はロマンですよ!」
よく分からない理由で俺の耳にポイとイヤホンをはめる睡、すぐにスマホを取りだして大音量で最近放送していた妹モノのアニメの主題歌を流してくる。
「曲のチョイスがよく分からないんだが?」
「お兄ちゃんが分かってくれるなんて思ってませんよ」
そんなことを言いながら平気な顔で歩いていく睡、立ち止まってイヤホンをつけたりしていたので重も追いついてきた。
「睡ちゃん……あなた以外と体力あるのね?」
「チッ」
「もうその舌打ちにも突っ込まないけど、運動部にでも入ったら重宝されると思うわよ?」
しかし睡は迷い無くその問いに答える。
「お兄ちゃんがいればいいので、とくにこれといって部活に興味は無いです、お兄ちゃんと謎部活でも始めれば満足ですか?」
「彩歌じゃ絶対に認められないような部活内容になりそうね……」
「だから帰宅部にするんですよ?」
何が「だから」なのかはさっぱりと分からないが、とにかく部活に入る気はさらさらないらしい。もったいないくらいの体力を持っているのに何故か俺にやたらとこだわるのが謎だ。
以前聞いてみたところ「妹は兄を求めるようにできているのです!」と謎の返答をされたのでそれ以上は聞かなかった。結局の所誰かを完全に理解するなど不可能なのだろう、俺が睡ではないように、睡には睡の人格が存在しているのだ。それに俺が無理矢理介入をするというのは完全な越権行為だろう。
ちなみに睡は可愛いらしい、らしいというのは俺には兄としての贔屓が入ってしまうから基準がよく分からないのだ。なんにせよ、俺が入学早々『妹を紹介してください』と同級生や先輩に頼まれて紹介したがそこから先に発展したことはなかった。ついでにいうなら紹介をすると睡がものすごく不機嫌になるのですぐに断り方を『本人に直接言ってください』と断ることにしている。
玉砕数がある程度増えたところでどうにもならないと諦めたのか、睡が告白される回数は減った。
「睡ちゃんはお兄ちゃんのことが好きなんだねー……兄妹は結婚できないんですよ?」
重のその言葉に睡が青筋を立てた笑顔で返答する。
「おやおや、事実婚という便利な制度をご存じない? 重さんは一生をかける相手がいないんですね、私にはちゃんと一生をかけるに値する人がいますよ?」
「なかなか露骨な喧嘩の売り方ねー……」
そこで重が俺の手を取って学校の方へ引っ張る。
「ほら、本当に遅刻するからそろそろ行くわよ」
その手を睡が引き剥がしてから俺の手を自分とつなげて歩みを早めていく。
「そうですね、重さんはともかくお兄ちゃんを遅刻させるわけにはいかないですね」
仲が悪いのかと思ったが、重の手を俺と繋いでいない方の手でギュッと握っている、どうやら本音ではそれほど嫌いあっているわけではないらしい。
スタスタと俺たちは学校に向けて歩いていく、今日は余裕のある日だ。
校門をくぐった時にはまだ五分の余裕がある、教室まで何事もなければ余裕でマにある時間だ。
そんなときに限ってトラブルが起きるのはお約束なのだろう。下駄箱で上履きに履き替えようとしている時に睡のロッカーから一枚の封筒がひらりと落ちてきた。ご丁寧に桜色をした封筒で、それが何であるかは世の中を雑に理解しかしていない俺でもよく分かった。
「もてるわねー睡ちゃん!」
にこやかに重がそう言うと俺の手を引っ張って教室へ行こうとした。睡は少し固まってから意識をこちらにやると俺が重に引っ張られて行くところで、急いで追いかけてきた。
「お兄ちゃんとの爽やかな朝を邪魔するとかいい根性してやがりますね……」
そうつぶやく睡の顔は全く笑っていなかった。
何か起こるんじゃないかとハラハラしながらも特に何も起こらず安心していると、睡が俺に弁当を置いてから席を立ってどこかへ歩いていった。はて? 何か用事が……あああの封筒のことかな?
そう考えながら弁当を少しずつ食べる、どうせ睡は即断ってから戻ってくるだろう。そう考えていたらスマホが震えた。なんだろうと覗いてみると睡からsignalでメッセージが送られてきていた。
ロクなものじゃないだろうなと思いつつロックを解除して内容を見る、内容は『みっしょんこんぷりーと』というメッセージとともに焼却炉に封筒を放り込む写真がついていた。
アイツは悪魔か?
「誠にも届いたの? 睡ちゃんえげつないわねえ」
どうやら似たようなメッセージを重にも送っていたらしい。そうして10分と少し経ってから笑顔で睡は教室に帰ってきた、その笑顔が薄ら寒く思えたのは俺だけではないらしく、重も睡を引きつった目で見ていた。
「お兄ちゃん、このようにお兄ちゃん以外にはまるで興味がないので安心してくださいね!」
良い笑顔で言うが内容は脅迫に近いものじゃないだろうか? 「私を拒絶するならこうなるぞ」という強いメッセージ性を感じた。
「ところで睡ちゃん、一ついいかしら?」
「なんですか? 私のパーフェクトな処理にご不満が?」
「あのね、ほとんど全ての学校の焼却炉って今は使われてないの、環境が同校って難しいことは分からないけどね、あの手紙が燃えることはないと思うわよ」
「え!?」
俺が思わず声を上げたが睡は落ち着き払っている。
「だから何か? アレで拒絶の意味は伝わるでしょう? それ以上に何かを求めたりはしませんよ」
スッパリと言いきる。微塵たりともそこに迷いや悩みはない声音だった。
「睡ちゃん、性格を疑われるわよ?」
「お兄ちゃんは私が性格悪いと思いますか?」
少し迷ってから俺は答える。
「問題は多々あるが悪くはないんじゃないか」
そう、問題が多少ではない程度にあるのだが基本的に俺が関わらなければ人間関係に影響がないので問題無いだろう。
いずれ俺からも離れれば何の問題も無い性格になるのは明らかだ。ならば多少は大目に見ても良いんじゃないだろうか?
「兄妹揃って倫理観がガバガバねえ……」
呆れたように言う重の言葉をまるで意に介さずに睡は俺に近づく。
「お兄ちゃん! お弁当一緒に食べられなかったので夕食は一緒に食べましょうね!」
「あ……ああ」
「やれやれ……」
うんざりといった風な重と、よく分かっていない俺と、かみ合わない三人で昼食をササッと終わらせて午後の授業に入る。
ジロジロとした視線を感じるが、授業自体は切りよく終わったので帰ろうとすると但埜が声をかけてきた。
「よう誠、今日ゲーセン行くんだけどお前も来ないか?」
「悪い、先約があるんだ」
俺は申し訳なさそうにその申し出を断った。
「いつもの妹さんだろう? 可愛い妹がいるっていいなあ……」
「いいのかねえ……少なくとも楽ではないぞ」
「そりゃあ「持てる者」にはうらやましさが分かんないだろうさ。まあいいや、妹さんによろしく」
「ああ」
そういって別れた後、教室を出るとやはり睡と重が待っていた。
「じゃあお兄ちゃん! 帰りましょうか!」
「あなたたちはもうちょっとわきまえなさいよ?」
「俺に言うなよ……」
肩をすくめて重は言葉を続ける。
「話が通じるのがアンタだけでしょうが……睡ちゃんに説得が通じるなら本人に言うに決まってんでしょ」
ごもっともで……
話の通じないやつというのは確かにいる、睡がそうであるのかは多少の考えが必要だが、確かに俺について第三者が言うことを聞いたことがない。皆二言三言忠告してからそれをぞんざいに無視されて諦めて離れていくのがいつものことだった。
そうして帰途につきながら、俺は一つ注目されていることに気がついた。
「なあ重……睡についてあれこれ言ってたが、お前が俺について回るのも結構目立つと思うぞ?」
「私!? 私は良いんですよ! 何しろ血縁がありませんから!」
謎理論で説き伏せられ、帰り道で別れたところで睡が俺の手に飛びついてきた。
「お兄ちゃんお兄ちゃん! お兄ちゃんお兄ちゃん!」
「なんだよ急に!?」
「学校って言うのは面倒ですね! お兄ちゃんと自由に触れあうことが出来ないというだけでも十分不自由です!」
俺の腕に顔をこすりながらそう言う睡、ピタリとくっついてから俺たちは家までの道を歩いた……歩きづらい……
帰宅してから、睡はソファに身体を投げ出して伸びをする。
俺は夕食を作りながら妹の考えかたについて思いをめぐらせたあと、きっとそれは俺なんかには理解のおよばないものだろうと諦めて料理を作っていくのだった。
夕食後、当然のごとく俺に一緒にお風呂に入ろうと言う睡に呆れながら先に入らせ食器を片付ける。妹のいってることはさっぱり分からない、家族というのは理解と案外遠いものなのかもしれないな……
兄妹関係というデリケートな? 問題に対し、考えが渦を巻いて行き場をなくして困っていたところで睡が風呂を上がってきた。
「お兄ちゃん、お風呂どうぞ」
「ああ、分かった」
そう言って考えながら服を脱ぎ、湯船に浸かると考えがほどけて溢れるお湯と一緒に流れる。考えるのをやめて身体にお湯の温度を伝えるのに腐心して、考えを霧散させたのだった。
――妹の部屋
「ああ、あのクソみたいな手紙がなければ一日お兄ちゃんと一緒にいることが出来たのに……思い出してもムカついてきますね」
「お兄ちゃんが私の入った湯船に浸かる……ロマンですねえ……フフフ」
「お兄ちゃんのために私はもっと高みを目指しましょうかね!」
私はベッドに身を投げ出して意識を落としたのでした。