雨の中で
現在梅雨まっただ中、ジメジメした空気が漂い、今にも降り出しそうな雨雲の下で俺たちは学校へ急いでいる。いつもののんびりとした登校とは違って気を抜けば降り出しそうなので屋外に居る時間は少しでも短くしたい、そんなわけで余計なおしゃべりもせずいつもの三人で学校へと小走りに向かっている。
地面には水たまりが微妙に差し込んでいる陽光を反射してキラキラしているがそんなことを誰も気にせず道を急いでいる。雨が降ったら傘を差すことになる、どうやっても多少は濡れるので出来れば使わずに済ませたいものだ。
「お兄ちゃん……ちょっと……疲れが……」
「頑張れ……俺も正直キツい……」
「あなたたちねえ……もうちょっと頑張りなさいよ」
重の呆れ顔をまともに見ている余裕もなく重い鞄を持っている手がしびれてくる。
「お兄ちゃん……鞄を持ってくれませんか?」
「しょうがないなあ……」
俺も重いのだが兄なのでそこは言わないのが美徳だろう。睡から鞄を受けて手に提げる。やはり重いな……
「お兄ちゃん! 早く行きましょう!」
自分の重りがなくなったことに調子づいて歩くペースを速くする睡にイラッとしながらも俺も少しだけ速度を上げた。
結果、幸い校舎に入って五分くらい経ってから雨は降り出した。家を出るのがもう少し遅ければ濡れていたところだ。
「お兄ちゃん、セーフですね……」
「ギリギリだがな……」
「二人とももうちょっと運動しなさいよ、すっかり息が上がってるじゃない」
重は涼しげな顔でそう言う、見たところ息が上がったりといったことは無く余裕のようだ。そこへ睡が一言言った。
「足が速いんですから陸上部にでも入ればいいんじゃないですか?」
分からないでもないが重は不服なようだ。
「どこかの誰かさん達みたいに手間のかかる子が居るとそうもいかないのよ」
「それは私たちのことじゃないですから関係ないですね。むしろ私たちに重さんがついてくるまであります」
「なっ……私は……」
重は黙り込んでしまった。睡は時々言葉がキツくなることがあるんだが、そういった時は逃げるにしかず、論破しようとすれば感情論をぶつけてくるため議論が成立しない。感情論をロジハラで詰めていっても誰も得をしないのは当然だ。
「おやおや、よほど気になる方が他に居ると見えますね……ならば私たちから離れていっても良いんですよ?」
「睡、その辺にしておけ」
さすがに一線を越えない程度のところでストップをかける。議論は踊り続けて終着点を無くすので、俺が強制ストップをかける。
「お兄ちゃんにつく虫は減らしておきたいんですがねえ……」
「睡ちゃん、ともだち出来ないわよ?」
「まあ私にはお兄ちゃんが居ますから」
重はやれやれと肩をすくめて教室に向かっていった、俺たちも後から教室に向かう。そのついでに睡に『あんまり重と喧嘩はしないようにしてくれよ……』と伝えておいたが何処まで本気にしたのかは不明だった。
教室に着くなり担任が入ってきて笑いながら言った。
「お前ら、雨の仲良く来たな! 時々来ないやつがいるんで困るんだよ……お前らがそういう奴じゃなくて良かったぞ!」
ハッハッハと笑いながら教室を出て行く。あの人教師らしいことをろくに言わないな……呆れていると1時限目が始まった。
これといって特徴のない授業が終わって昼休みになったところで今日は睡と俺の二人で食事をしている。重は学食に向かっていった。
「お兄ちゃん……雨……止みませんね……」
窓の外は雨がさあさあと降り続いている。気分があまり良くはないのだが睡は案外そうでもないようだ。窓の外を眺めながら口角を釣り上げている。
「お兄ちゃん、傘は持ってきましたか?」
「いや、ギリギリなんとかなりそうだったから持ってきてない」
「そうですかそうですか、それは重畳」
何が嬉しいのかは知らないがクスクスと睡は笑ってから物憂げに午後の授業の予定を眺めていた。幸いなことに、今日は体育のない日だったので雨が止むか様子をうかがうような面倒なことにはならなかった。俺としては常時体育館でやれば直射日光とも無縁で面倒なことを考える必要がないと思うのだが、体育教師は『ガキは日光の下を走り回るもの』とでも思っているのかやたらグラウンドに引っ張り出したがる。正直言って迷惑なのだがこの雨の中ではアイツでも屋内を使用するだろうな……
そんなことを考えながら午後の授業を適当に流して放課後になった。そこで一つ問題が発生した。
「雨かぁ……」
そう、俺は傘を持っていないのだ。
「走るかな……」
鞄を持って走るのはかなりくたびれるが、雨の中を歩いて帰るとひどい有様になる。まあ走ってところで五十歩百歩とも言えるのではあるが。
そこで考えていると睡が話しかけてきた。
「お兄ちゃん! 一緒に帰りましょう!」
「いや、俺は傘がないから……」
「ククク……だったら二人で入ればいいじゃないですか!」
そう言って折りたたみ傘を一つ取りだした。折りたたみなのを考慮しても小ぶりに見える傘なんだが……
「なあ、その傘、二人ではいるには厳しくないか?」
睡が我が意を得たりと話し出した。
「つまり私とお兄ちゃんがピタリとくっつけば全く問題無いですね!」
「いや……それでも濡れるんじゃ……?」
傘はあまりにも小さく、一人でも濡れそうなサイズなんだが……
「お兄ちゃんは細かいですね! 良いから一緒に帰りますよ!」
引っ張られて下駄箱まで行く。雨靴でもないスニーカーを取りだし履き替える。スニーカーは乾かさないとダメだろうな。
「ほらお兄ちゃん、入ってください!」
いつの間にか広げた小さな傘に二人で入るという少し無理のある体勢でしとしと降る雨の中を帰る。
「なあ睡、俺は普通に走ってもいいぞ、左肩が濡れてるじゃないか」
傘からはみ出た肩の部分が濡れている。風邪を引くとまではいかないだろうが、妹が雨に打たれるのを見るのは忍びない。
「どうせ帰ったらお風呂直行するしかないんですから細かいことを気にしないでください! あ、それとも一緒に入りたかったですか?」
「そう言うことをいってるんじゃないって……ただ、妹を濡らしてしまう兄がどうかっていう話だよ」
「私は一向に構いませんね」
そう断言されると言葉も無い、唯我独尊というか、妹が兄にはっきりものを言った時はとても断りづらい。そうこうしているうちになんだかんだで自宅に着いた。
「はぁ……もうちょっとお兄ちゃんとの帰り道を楽しみたかったんですが……」
「そのために風邪でも引いたら本末転倒だろうが」
「じゃあ私はシャワー浴びるので覗かないでくださいね?」
「ああ、安心しろ」
睡はため息を一つ吐いた。
「お兄ちゃんマジで覗きませんもんねえ……」
「それが普通だと思うぞ」
「お兄ちゃんのチキン……」
そう俺の悪口を残してシャワーを浴びにいった。俺は濡れた上着だけを脱いで干しておいた。コレだから雨の日は嫌いなんだ、雨が降らなければ困るのは十分に理解しているが、ご丁寧にも出かける必要がある時にやたらと降ってくる、良い迷惑だ。
とはいえ、天気を殴り飛ばせるはずもなく俺たちはただただそれを受け入れるしかない。ふと、帰り道で睡がずっと隣にいたことに思い至ると今更ながら恥ずかしくなったのだった。
――妹の部屋
「お兄ちゃんと相合い傘が出来る日が来ました!」
私の頭の良さに怖くなってしまいます。午後から雨が降る確率が高いのは知った上でお兄ちゃんに傘を用意しなかった甲斐があるというものです。
帰り道でずっと心臓がバクバクいいながらなんとか帰宅出来ました。シャワーを浴びながら火照った身体を冷やしましたが、やはりお兄ちゃんは覗いたりはしませんでした、紳士と言えばそうなのでしょうが、あまり私が満足のいくものではありませんね。
しかし、それでも、私はお兄ちゃんと相合い傘が出来たという事実には途方もなく満足するのでした。




