不協和音のお話
『お兄ちゃん! 早く帰ってきてくださいね?』
スマホの画面にはそう表示されている。使っているアプリはdiscord、昨日睡がサーバを作ったということで早速招待された。ボイチャが楽しみだったと本人は言っていたが、少し考えれば当然の『直接話した方が早い』という事実に気がつかなかったため、結局の所兄妹間チャットアプリと化している。
『ああ、アイス買ったら帰るよ』
そう返信すると即、睡からの返信が届いた。
『チョコクッキーも追加で買っておいてくださいね!』
どうやら妹様はアイスクリームをご所望らしい。以前増えたと言っていた体重はあっという間に戻ったらしく喜々として高カロリーなものを食べていた。わるくない……そう考えると俺はいまいるスーパーのアイスコーナーに向かってバニラとチョコクッキーをカゴに入れレジに向かった。
俺は悪い人間でもないが善人でもないので数百年後の環境など知ったことではない、ビニール袋を三円で買いそこにアイスを二つとコーラを一本放り込んで家路についた。
今日は天気が悪く空気がじめっとしていた。こんな暑苦しい日はアイスを食べて気分を直すに限る。溶ける前に小走りに家までの道を急いだ。
「ただいまー!」
「おかえりなさい! アイスください!」
「はいはい……」
袋からチョコクッキーのアイスを取りだして睡に渡す。満足げに受け取ると早速キッチンに急いでいった。俺も自分の分を食べるためにキッチンに向かい、アイスのカップを手で押してみると少し柔らかくなっていて、少し溶けてるな、ということが分かり、もう少し急いだ方が良かったと思いつつ、ビニール袋に入れておいて正解だったと安心した。
キッチンに行くと先に着いていた睡が俺に問いかけてきた。
「お兄ちゃん、ボイスチャットの使い道って何かありますか?」
discordについてのことだろう。わざわざサーバを立てたのにリアル会話が出来る以上あまり役割らしい役割がなかった。俺は何年か前、エイプリルフールネタで『会話』が新しいプロトコルになります、というジョークが流れたことを思い出していた。リアル会話が出来るならボイチャをする必要は無いという身も蓋もない話で終わってしまう。
「そうだなあ……大体のことはsignalでも出来るしなあ……あ! 重も一緒に話が出来るぞ!」
そのくらいしか使い道を思いつかない貧困な発想で思いつきを口にしてみた。
「さて、ボイチャの使い道はありませんね!」
「いや……」
「無・い・で・す・よ?」
「は、はい」
断言する睡に反論の気勢を削がれてしまう。コイツは前世が戦国武将何じゃないかというくらいこの手の断言に迫力と説得力がある。その迫力に負けて俺はdiscordの通知をオフにした。サーバに重を招待しようかと提案しようと思っていたことは闇に葬り去ることにした。
LINEで重に招待が出来ないことをわびておいて、果たしてボイチャを家族とする意味があるのだろうかという哲学的にも思える疑問について考える。もちろん離れて暮らす家族となら大いに意味がある。父親も母親もガラケーであり別に暮らしている家族がボイチャなど出来るはずもない。唯一スマホでもPCでもそれが出来る程度のスキルを持った睡は同居している。つまり家族で話したいなら素直に電話をかければ良い。
まあ……父親と母親についてはskypeで海外通話しないと通話料がエグいことになるのでそれほど選択肢は無いのだが。
「お兄ちゃん、とりあえず晩ご飯にしましょうか?」
「ああ、そうだな」
考えると頭が曇ってくるのでそれを諦めて、食欲というわかりやすいことこの上ない欲望に忠実になる。そうすればどうしようも無いことを考えるノイズが無くなる。
「晩ご飯はグラタンですよ!」
そう言いながら睡はレンジに皿を二枚放り込む。タイマーをセットしてジジジとレンジが音を立て始める。次第に良い香りが漂ってくる。暑い日に冷房の効いた部屋で熱いものを食べる、贅沢と言っていいだろう。
「美味しそうだな?」
睡は意地悪そうに笑う。
「おや? 私の料理に美味しくないものがあるとでも?」
「いや、それは……」
クスクスと笑って睡は謝った。
「ごめんなさい、お兄ちゃんが面白い反応しそうだったのでつい……プププ」
まったく……かなわないなあ……妹にやり込められるのもいつものことなので慣れてしまっている自分がいた。
「いいよ、そろそろ温まっただろ? 美味しいグラタンを食べようか?」
「はい!」
笑顔で答える睡、コイツはかわいい、それは否定出来ないし世間一般の基準からしてもおそらく可愛いのだろう。家族の贔屓目で中立の判断が出来ないのだがそこは重要なことではないのだろう。『俺が』可愛いと思ったから可愛いんだ、それ以外の基準なんてないし他の皆が可愛いと言ったから可愛いと思うのは流されている以外の何でもないだろう。俺は自分の基準を確かに信じておこうと思った。他の誰に信用されなくなっても自分で自分を信じることだけはしっかりしておこう。
ピーとなったレンジから睡が二皿を取り出しテーブルに並べる。ぐつぐつと焼けたグラタンは見るからに美味しそうだった。俺の妹は何故こうもハイスペックなのだろうか? そして何故俺を好きだなどというのだろうか? いたって特徴のない俺に好意を向ける理由はさっぱり分からないがきっとコレも家族愛の一種なのだろう。愛情にはいろいろな形がある。それがたまたま兄に向ける愛情の分量を間違えて増やしてしまったのだろう、そう、悪い気分じゃない。
グラタンを食べながら会話は進んでいった。ボイチャの用途やスマホの連絡先に何人登録しているか、メッセンジャーを何種類インストールしているかなど聞く理由の分からないことを次々と聞かれ、俺もそぞろに答えていった。
「で……お兄ちゃんは……」
「はいはい」
「誰と……仲がいい……」
「はいはい」
「お兄ちゃんは私を愛していますね?」
「はいは……って何言ってんだお前!?」
「ちっ……」
舌打ちをする睡に、俺も適当な返事をしていた負い目からあまり責めることは出来なかった。
「お兄ちゃん、美味しいですか?」
俺はそれについては素直に嘘偽りなく答える。
「美味しいぞ、間違いなくな」
睡はガッツポーズを小さくしてから食事を進めていった。
「ねえお兄ちゃん、あんまりdiscordである必要って無いですね?」
「今更気がついたのか……」
「だ、だって! はじめは二四時間お兄ちゃんとしゃべり放題だと思ったんですよ! 普通にこうして話す方が話しやすいなんて思ってなかったんです!」
二人してそれに噴き出した。軽く笑ってからとりとめの無い会話が続いた。目的のない会話というのは楽しいものだと思う。学校での会話の多くは正解があり、人が望む答えを無意識に話している。議題のない会話は大いに迷走していき、はじめの話題とは関係の無い方向に飛んでいく、それが何故だかとても楽しかった。
食事が終わった時に睡は一言結論を述べた。
「お兄ちゃん! 私はお兄ちゃんとのおしゃべりが好きなんですね。そこに手段の善し悪しなんて無かったんです。なんで気がつかなかったんでしょうか……」
こうして食事が終わり、睡がお風呂に向かった後でスマホが反応した、通知画面を見るとdiscordからの通知だった。メッセージにはただ一言が書いてあった。
『こういうときでもメッセージが送れるのは便利ですね!」
お風呂からの一言が伝わってきたが、それについてマナー違反と言ってもいいのだが、今日はあまり細かいことを言う気にはならなかった。
――妹の部屋
「ん……お兄ちゃんにいつでも送れるのは嬉しいですね……」
お風呂というプライベートの極みの場所からでもお兄ちゃんと会話が成立する! なんて素晴らしいことなのでしょう!
私は一糸まとわ無い状態で見えないとはいえお兄ちゃんにメッセージを送っていたことが少しだけ恥ずかしくって……たまらなく心地よかったのでした。