夜更かしと妹とお菓子
「きゃあアアアア!!!!!!」
お風呂場から響く悲鳴に俺は考えることなくそこへ走って行った。何だ!? ゴキブリ程度では悲鳴を上げない睡の悲鳴に驚いてバタンと洗面所のドアを開ける。バスタオルを巻いた妹が体重計の上に立って固まっていた。まあ……つまりはそういうことだ。
「その……スマン」
俺は何も見なかったことにしてドアを閉め、部屋に逃げ帰ろうとしたところ後ろから声がかけられた。
「お兄ちゃん……相談があるのでリビングで待っていてくださいね?」
凄みのある声で俺を逃がさないようにしっかりと捕まえるのだった。
体重ねえ……あの状況から考えるに体重以外に理由は無い。俺だってその程度のことを察することが出来ないほど愚かではない。しかしアイツが太っていると思ったことは今まで一度もなかった、むしろ栄養をちゃんと取っているのかとすらっと細い身体を見て不安になることさえあったくらいだ。
だから俺は多少体重が増えたことなど気にしないし、そもそも妹の体重が増減したからといって家族関係が変わるわけではない。何の問題も感じないのだがアイツには誰か体重を気にする相手がいるのだろうか? そういう相手がいるとしたら紹介してもらってないのは残念なことではあるし、兄として信用が無いということになる。悲しいと言えば悲しいがそういった雰囲気を出したことは一度もない睡に相手がいるとはにわかには信じがたいことだ。だからきっと何か事情があるのだろう。
細かいことを考えていると頭がぐわんぐわんと悲鳴を上げる。妹に恋人がいるのが悪いことなのだろうか? 問題無いと叫ぶ脳の半分と、もう半分は感情的に許しがたいと思っている部分で二つに分かれていた。考えがまるでまとまらない、
そんな風に頭の中で意識が二つに分かれて大論争を繰り広げていると風呂上がりの睡がやってきた。
「お兄ちゃん……その……見ましたか?」
「何をだ?」
一応聞いておかなければならない。もしかしたら大きな思い違いという可能性だってある。勘違いで延々と脳内をかき混ぜていたとなれば大恥をかいてしまう、ここをはっきりさせなければならない。
「その……体重計の……数字……」
「いや、見てないが?」
「そうですか……」
妹がほっとしているのが分かる。俺はバスタオルを巻いていたとはいえ裸を見られた時にしているのかと思ったが、どうやら予想通り体重のことらしい。そこまで瞬時に目をやってそれを記憶するほど俺は賢くはない、知っていたとしても俺は全く気にしないのだがな。
「その……少々……ほんの少し……僅かに……体重が増えていまして……つい悲鳴を……」
「ああ、別にいいぞ。むしろ俺も覗いて悪かったよ。一声かけなかったのは悪かったよ」
「いえ、お兄ちゃんに謝っていただく必要は全く無いのですが……」
「「…………」」
二人とも気まずさに声が上げられなくなる。何を話せば良いのだろう? 話題は……何かないか?
脳内を漁って話題が出ないのでいよいよ夜だというのに天気の話でもしようかと思っていたところで睡が声を上げた。
「お兄ちゃん……よろしければ……ダイエットに協力してくれませんか?」
「え!? ああ、別に構わないが」
「その……お兄ちゃんに認めてもらいたいので……やっぱり目標がわかりやすい方が……」
俺とわかりやすい目標、関係があるのかは全く分からないがとにかくダイエットをするらしい。
「食事制限でもするのか?」
ダイエットといえば厳しい食事制限と運動だ、やせ薬などというものもまことしやかに流通しているが、合法的なものと仮定するなら全て役に立たない、実際に役に立つやせ薬は厳しく管理されているマジンドールくらいだろう。もちろん極度に太っていなければ処方などされないし、アンフェタミンにも似た化学式をしているのでもちろんまともな方法で手に入れることは出来ない。
妹のダイエット方の選択は……
「明日から早朝ジョギングをするので付き合ってください!」
ジョギングか……インドア系の俺には少々キツいものがあるが……目の前には泣きそうな目をした妹がいる、潤んだ目で上目遣いをされたら断りづらいことこの上ない。
「分かったよ、お手柔らかに頼むぞ」
妹はとびっきりの笑顔で答えた。
「もちろんです!」
……翌朝
コンコン
何か鳴っているような気がするが目覚まし時計の音ではない。気のせいだろう。
コンコン
今日の空耳はやたらしつこいな……
「お兄ちゃん! ジョギング付き合ってくれるんでしょう?」
部屋の外から俺へ向けての大声が響いた。そうだった……安請け合いをしたんだったな……
昨日の自分の選択を後悔しつつ、幸い俺のファッションセンスは絶望的なのでジャージやスウェットといった見た目を気にしなければ心地よく過ごせる服はたくさん持っている。というわけでジョギングに行くための服には困っていなかった。
ジャージに着替えると顔を洗って玄関に向かう。睡はしっかりと待っていて、俺が来るなり手を引いて家の外に出た。AppleWatchを見てみると現在四時を指していた。
「なあ……いくら何でも早すぎないか?」
世間の大半が眠っている時間だ、いくら日が長くなってきたとはいえ、まだ多少薄暗い。
「お兄ちゃん、ジョギングをすると汗をかくわけですよ?」
「そうだな」
「であればシャワーでも浴びないと汗まみれで登校するわけにはいかないでしょう?」
「それもそうか」
登校するなり汗だくだったら不審に思われるし、汗まみれだと不快感を与えかねない。シャワーを浴びて汗を洗い流しておくのは良いことだろう。
「さて、町内一周が軽くいける範囲ですかね?」
「ちょっと広くない?」
「やればできるものですよ」
俺は準備のストレッチをしてからApple Watchのワークアウトからランニングを選んで準備をしておく。何分かかるかくらいは確認しておかないと遅刻の原因にもなりかねない。
「お兄ちゃん、準備はいいですか?」
「ああ、なるようにしかなんないな」
諦めの表情でそう言う。睡は納得してくれたらしく、ゆっくりとしたペースで走り出した。
何とかついて行けそう。そう考えたのははじめの2キロまでだった。
「ぜぇ……ぜぇ……睡、そろそろキツいんだけど?」
「初日ならこんなものでしょうかね。お兄ちゃん、運動不足ですよ?」
それはそうなのだが突然早朝に起こされてジョギングに万全の体制を整えられるわけがない。そこについてはもう少し理解が欲しいのだが……
そうして帰宅したところでApple Watchのワークアウトをストップした。2キロのランニングでタイマーは二〇分を指していた。早いのか遅いのかは不明だが、この時間プラスシャワーで汗を流す時間を確保しておくことは必要だろう。四時は早すぎだが、五時くらいには起きておく必要がありそうだ。
先に睡が汗を洗い流して出てきた。その表情は重かった。
「まあ一日でダイエット出来れば苦労しないな……」
「お兄ちゃん……何時までやってれば良いんでしょうか?」
「決まってるだろ?」
「どのくらいですか?」
「痩せるまでだよ」
その一言に睡はこの世に絶望したような顔を浮かべるのだった。しかし気を取り直して言う。
「お兄ちゃんは付き合ってくれるんですね?」
「ああ、そんなに太ってないんだからすぐ痩せるだろ」
その言葉を聞いた睡は少し嬉しそうだった。そして食事については全く変わらなかった。ありがたいことではあるのだが、睡の『どうせ付き合ってくれるなら長い方が良いですね……」などと独り言を言っていたのはよく分からないので気にすることはないのだった。
――妹の部屋
「ヒャッホーーー!!! お兄ちゃんと一緒にいられる時間が増えましたよ! コレはできる限り長く確保しておきたいですね!」
私は小躍りしながらカロリー計算をする。現在の体重から増えも減りもしないギリギリのラインを攻めなければなりません。お兄ちゃんに嫌われないだけの体型と、目標に近づかない量のカロリー、その両方を成立させる必要があります。
私は健康的な兄妹の生活習慣に希望を持ちながら登校の準備を始めるのでした。