妹とクラウド
「みゃあああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
睡のやかましい声がこの家に響く、一体何時だと思っているのかは知らないが、実際の時刻は八時だ。一軒家でなければ壁ドンが飛んできたところだろう。
「おにーーーーーーちゃーーーーーーーん!!」
そう姦しく飛び込んできて抱きつこうとする睡を引き離しながら何があったかを聞いてみる。どうせくだらないことだが聞いておかないと後々愚痴られて困る。
「どうした? 停電も回線断も、雷も鳴ってないぞ」
あの泣き声の時は大抵スマホがらみだった。俺はそろそろ妹に対する観察眼がそれなりに高まってきているのではないかと感じていた。これも二人暮らしになったせいだろうか?
「お兄ちゃんは私をなんでどうしてブロックしたんですか!?」
「ブロックって何のことだよ? 心当たりが全く無いんだが……」
「嘘です! メッセージを送ろうとしたら遅れませんでした!」
そう言って睡が差し出してくるスマホには『送信に失敗しました、接続を確認してください』と表示されたメッセンジャーが表示されていた。
「確かに失敗してるな……俺は何もしてないんだが……」
俺は同じメッセンジャーを起動する。問題無く起動したので睡宛にメッセージをつくって送る。
こちらも『送信に失敗しました、接続を確認してください』と表示された。
「お兄ちゃんからも遅れないんですか? やはり兄妹の関係を妬んだ過激派がやったことに違いないんです……」
「まあひとまず落ち着こうか」
俺はスマホでAWSのアプリを起動する。二要素認証を経て東京リージョンへログインする。
俺が運用していたインスタンスが全て落ちていた。詰まるところは……
「AWSがまとめて落ちたっぽいな……このメッセンジャーはAWS使ってたっけな……?」
PCは生きていたのでGoogleで検索をしてみる。DuckDuckgoはAWSを使っていたはずなのでおそらく落ちているだろう。
検索結果によると運営がAWSを選択していると表示された。
そのついでに『AWS 落ちた』というワードでTwitterを検索してみる。そこには阿鼻叫喚のインスタント地獄が繰り広げられていた。
『落ちた』
『繋がんない』
『運営は詫び石よこせ』
『運営のストレスで寿命がマッハ』
などなどの愉快な叫びに溢れていた。一企業のサービスに依存するというのがいかに危険なことか分かってしまう。
「コレは落ちてるな……」
「もしかして皆さん落ちてるんですか?」
睡の質問には頷いた。
「ああ、綺麗さっぱり東京リージョンが落ちたらしい。コーヒーでも飲みながら待つか?」
「ええ、お兄ちゃんにブロックされたのかと思って怖かったですけど皆さんダメになっちゃってるんですね」
夜にコーヒーというのは是非が分かれるところだろうが、幸い明日が休みであり、そもそも睡はカフェインに強いので多少のコーヒーくらいではびくともしない。問題無いな!
俺たちはキッチンに行った。俺は豆をコーヒーメーカーに入れながら睡と話をする。
「ところで何を送ろうと思ってたんだ?」
「『お休みなさい』って送ろうとしただけですよ?」
「急ぎじゃないんだったらもうちょっと考えるなり待つなりして欲しかったなあ……」
ゴリゴリとコーヒー豆が挽かれる音の中、睡とお話を続ける。とりとめのない話だがそれなりに楽しい。
「ところで今日の学校はどうだった?」
「別に何もないですよ、ずっとお兄ちゃんと一緒にいたでしょう」
「それもそーだな」
二人で一緒にいたので当然のことなのだが何か変化がないのだろうかとどこかで期待していた。俺たちは番のようにずっと一緒にいたのだから何も無かった。あえて言うなら俺が眠さの頂点に達したのでカフェインの錠剤を投入したことくらいだろうか。午後の授業では胃がキリキリと痛んだものだ。
コポコポとドリップが進んでいく。コーヒーの香りが漂い始める。
「お兄ちゃんは何か無かったんですか? というかお兄ちゃんももっと私にメッセージ送ってくださいよ! お兄ちゃんは私への対応が冷たいですよ!」
そんなことを言われてもなあ。
「だって一緒に暮らしてるのにわざわざメッセンジャーを使う意味ってあるか?」
睡は憤慨して俺に文句を垂れる。
「お兄ちゃんは妹をもっと大事にするべきなんですよ! 私なんて四六時中お兄ちゃんのことばかり考えてるんですからお兄ちゃんも私に熱中してくださいよ!」
「無茶を言うなよ……俺だって二十四時間一つのことをできるほど器用じゃないんだよ」
俺の反論にも睡は聞く耳を持ってくれない。
しかし、そうは言われても俺にはどうしようもないんだ。
ピッ
そんなやりとりをしている間にドリップの終了を告げる音が鳴った。
「睡、砂糖とミルクは?」
「両方ともたっぷり、それと冷蔵庫に羊羹が入ってましたね、開けましょうか」
睡は冷蔵庫を開けて一つのパックを取り出す。俺は二つのマグカップにコーヒーを注いで一緒にテーブルに着いた。
ずずずとコーヒーをすすりながら俺たちは会話を続けていった。
「ところでさ、なんで隣の俺の部屋へ挨拶に来なかったんだ? お休みくらいなら俺に一声かければ良くないか?」
睡はポッと顔を赤く染める。
「まあ……挨拶のついでにおまけも送ろうと思ったので……」
「おまけ?」
「画像ですね、なんなのかはご想像にお任せします。あ、私に言わせないでくださいね? セクハラになりますよ」
「自分で送信しようとしたものも説明できないのか……」
意味が分からない、言いたくもないようなものをデジタル技術を使って送らないで欲しい。いくらオープンソースで監査が入っているからってそういうものを送信するのは危険だと知らないのだろうか。
まあ、世間の大半はファイルの送受信にSMIMEもPGPも使わないところからそれで十分と判断したのかもしれなかった。
「まあ、基本的に何が送られてきても広めるようなことはしないが、あんまり後ろめたいものをコレクションするのはやめような?」
「はーい」
分かったのか分かってないのか、適当な返事が返ってくるのだった。まあとやかく言ってもしょうがないだろう。
俺はiPhoneを取りだしてAWSアプリを開いてみる。全部のインスタンスが正常稼働していた。
「睡、何か送ってみてくれ、多分ネットワークが復旧してるはずだ」
「え、あ、はい!」
ピコン
安っぽい音と共に俺のスマホにちゃんとメッセージが届いた。メッセージ内容は『XXX』だった。
「お前もうちょっと内容を考える気はなかったのか?」
「まあいいじゃないですか! 本当ならもっと過激なものを考えてたんですよ?」
どうしようもないな……
「あんまり見られたくないデータを保存しておくのはお勧めしないがな……」
俺は空になったマグカップをシンクに持って行って洗う。睡も自分のマグカップを持ってきた。
俺は一人ならボールペンをマドラー代わりにするほどの横着者だが、睡がいる手前それなりにまともな生活ができていた。
一通り洗い終わったら睡に『お休み』と言って部屋に帰った。睡はなんだかモジモジしながら俺の方を見ていたが細かいことに付き合わされてもかなわないので話を切り上げてしまった。
その夜、メッセンジャーは大層あらぶってくださり俺の安眠を妨害するのだった。
――妹の部屋
「この写真は……封印しましょうか……」
きっと不埒なことを考えたのでネットワークが不平を上げたのでしょう。世の中上手くはいかないものです。
お兄ちゃんに送るととんでもないことになりそうな写真を削除しながら、もし送っていたらどうなったかを想像して悶えるのでした。
なお、たまりにたまっていたお兄ちゃんへのメッセージをいい機会なのでまとめて送信しておきました。
メモに書いてあるテキストを片っ端からコピペして送るのはなかなか骨が折れる作業でした。翌日、何故かお兄ちゃんが生気のない顔をしていたのですがどうしてなのでしょうか?
私には及びもつかないようなことがあると思いながら気にしないことにしたのでした。




