妹とMOBA
「おにーちゃん」
また睡が話しかけてきた、こういう甘ったるい声を上げるときは大抵俺へ何かを集るときだ。どうせくだらない話だろうが聞かないと不機嫌になるのが困ったところだ。
「どうかしたかー?」
俺がやる気なさげに返事をすると睡は俺にお願いをしてきた。
「お兄ちゃんはヘッドセットって持ってますか?」
「ああ、一応持ってるけど?」
「一ついただけませんかね? ね! お願いしますよ! 有線が欲しいんですよ!」
まあ確かに安物のヘッドセットくらい何個か余ってはいるのだが……
「ちなみに聞いておきたいんだが何に使う気だ?」
睡は逡巡してから切り出した。
「実はボイチャをするのに有線のヘッドセットの方が便利なので……」
もう大体想像がついた、睡がボイチャをすると罵り合いに発展する未来しか見えなかった。というか現在は朝食中だというのに目の下にクマができているあたり、また深夜までゲームをプレイしていたんだろう。
そんなわけで俺はしらばっくれることにした。
「ヘッドセットねえ……持ってはいるんだが使ってるやつしか無いんだよなあ……」
睡は露骨に俺を訝しんでいる。無理もないことだが、妹を肉声で罵倒の嵐に放り込むほど薄情ではない。ボイチャでの罵倒はテキストより心に来るものがあるからな。
あまり気分のいいものではないし、それに妹を体験させるには少し悲しくなるレベルだ。
「そんなこと言わないでくださいよぅ……! MOBAだとみんなボイチャしてるんですよ? 私だけ仲間はずれなのって悲しいじゃないですか!」
偏見だけれどMOBA民は攻撃的になる傾向があるような気がする、チームプレイだからな。どうしても格付けのできてしまうマルチプレイヤーゲームは未成年には早いと思う。
「あんまり界隈が荒っぽいゲームはおすすめしないがな……勝ちたいというのは理解するけどさ」
勝ちたいという気持ちはどんなゲームでもPvPで必須の感情だ。しかし、そのためにまわりの人が不快に思うなら初めからやるべきでないというのが俺の考えだ。
「ではお兄ちゃんは私が敗北してもいいとおっしゃりたいのですか!」
睡は少し腹を立てたようだ。しかし俺も睡をネトゲにどっぷりつけるのは気が進まない。コイツは勝つまで勝負を続けるタイプだからな。
「睡、素直にテキストベースのMMPRPGで我慢したらどうだ? ボイチャができなくても聞くことくらいできるんだろ?」
そもそもの話スマホ用のワイヤレスイヤホンにはマイクが付いていることについては黙っておいた。スマホのマイクとスピーカーを使えるゲームもあるが、ボイチャで相手の声がスピーカーで聞こえるとそれが罵倒ならいやな気分にしかならない、喧嘩になってもスピーカーを使っていると傍目にも分かるからな。
「お兄ちゃんのケチ……」
「だからどうした、そう思ってくれて結構だがな、ネトゲで悪口を言うような妹になって欲しくないだけだよ」
「むぅ……」
睡は不満そうだが俺はここを譲る気はなかった。勝ったら勝ったでのめり込むのはわかりきっているし、負けたら勝つまで続けるのが睡という妹だ。しかし、物理的にどうしようもない不利を覆そうとするほど無謀ではない、その程度の信用はある。
「よろしい、ではお兄ちゃんにMOBAの楽しさを教えてあげましょう! スマホにバトルスタジアムってアプリを入れてください」
「えー……やらなきゃダメか?」
「お兄ちゃんは私が罵り合うのがダメだって言いましたからね、マルチの楽しさを知ったらその意見も変わるでしょう!」
そんなわけで睡とチームを組んで対戦することになった。
幸いゲームのサイズ自体は小さくあっという間にダウンロードができた。
「じゃあフレンドコード教えますね『******』で登録してください!」
「はいはいっと……」
俺はつつがなく睡のアカウントをフレンドに入れる。ソシャゲはランダムでマッチングすることもあるが、一応リアルでの知り合い同士でプレイできるようにフレンドとチームを組めるようになっている。
そうしてしばらく経った後で……
「お兄ちゃん! 上の敵をお願いします! 私は正面を防衛します!」
そう言って睡のキャラはワープを使って消えてしまった。まだルールもよく分かっていないのに指示だけ出されても困るのだが……
とりあえずバーチャルパッドを操作してキャラを動かす。操作自体はよくあるゲームとそう変わらないようだ。
「お兄ちゃん! スキル撃って! 休んでる場合じゃないですよ!」
せせこましく出てきたキャラを討伐しては自軍を強化していく、そういうゲームのはずなのだが……
「よっし! ワンキルゲット! スコアが伸びますねえ」
「はははは! 私に勝とうなんて百億万年早いんですよ!」
「ざーこ、ざーこ」
だんだんと口の悪くなっていく睡。そして勝負に決着が付いた。『一応』俺たちの勝利だった。
そして勝負が終了してから睡はとても良い笑顔で俺に訊く。
「ね? 楽しいでしょう?」
いやー……うん、まあ勝って気分がいいのは分かるよ、だけどなあ……
「俺はほとんど何もしてないんだが……」
「でも勝ったじゃないですか?」
「俺は勝負を楽しみたいのであって勝ったという『結果』だけ欲しいんじゃないんだよ」
勝って楽しいというのは理解する。しかしチーム戦で一人だけが頑張って勝利を収めるのは違うんじゃないかとも思う。
「それにさあ……」
「なんですか?」
「勝負が進むとお前がだんだん口が悪くなっていくのはいいことじゃないと思うぞ?」
睡は自分の発言を思い出して気まずそうにしていた。
「あ、あれは! そう! お兄ちゃんがチームだったからつい熱くなったんですよ! 誰にでもあんな態度は取りませんよ!?」
信用のおけない言葉だった。しかし、ヘッドセットを渡せば満足するのだろう。一応USBーCは変換アダプタを使えばヘッドセットに対応してくれる。果たしてそれで満足するだろうか?
俺は睡に殺伐とした日々を過ごして欲しくはない。ネトゲでも全滅すると『解散』などと発言する人はいるが大抵たしなめられている。
「じゃあ今日は貸しておいてやるよ、上げるかどうかは使い方次第だな」
「ありがとうございます! 大事にしますね!」
俺は机の引き出しから安いヘッドセットを一つ取り出す。一応ゲーミングな物も持っているが睡にそれを与えると帰ってこない可能性が十分にあるのでやめておいた。
そしてその晩……
「黙ってください! 私こそ正義なのです!」
「真面目にプレイしてください! あなた一人のお守りはできないんですよ!」
「ああもう! クソが!」
だんだんと口が悪くなってくる罵りが聞こえてきた。まあ案の定といった感じなので俺は翌日睡からヘッドセットを返してもらうのだった。
その時は大変不満そうだったが、一応口が悪くなった自覚はあるらしく納得はしてくれた。
その後、俺は睡に紹介されたゲームをしばらくプレイしてみてそりゃあ罵声も出るわなと納得したのだった。
――妹の部屋
「ぐずっ……お兄ちゃんのケチ……」
私は残念なことにヘッドセットを取り上げられました、私が何をしたというのでしょう? ちょっと口が悪くなっただけではないですか!
そんなに非難されるようなことはしていないはずなのですが……お兄ちゃんにその言い訳は通じないようでした。
そして私はAmazonの商品ページを眺めました。ヘッドセットはたくさんありますが、お兄ちゃんに悲しい思いをさせるわけにもいかないのでそっと画面を消したのでした。




