妹は勉強にチャレンジする
「お兄ちゃん……その……勉強を教えてもらえると助かるのですが」
「別に構わないが理系に行く気か? それとも文系か?」
「お兄ちゃんとしてはどっちに進みたいんですか? 私としては統一しておく予定なのですが」
とんでもないことを言い放ってくれる。俺の進路で睡の人生まで決まってしまう。俺にはそんな大きな決断を下すことなどできない。睡は当然のごとく言っているが、少なくとも世間一般ではそんな理由で文理選択をしないし、人任せに進路を決めるというのは後悔しか生まないだろう。
「睡、お前はどっちに進みたいんだ? いや、どっちの教科が得意かだけでもいいが教えてくれ」
睡は逡巡してから俺の顔を覗き込んで必死に俺の心を読もうとしている、しかし俺の心を読むのは無意味としかいいようがない。何しろ俺は責任を放棄して睡の進み大砲に合わせようとしているのだから。
確かに自分の進路を狭めるのかもしれない。それでも俺は確かに文理どちらでもいける程度にはまんべんなくいける。だったら責任の少ない方の選択肢を選ぶべきだろう。コレを正直に言うと睡は絶対に俺の進路に合わせようとするので口には出さない。
「そうですね……私としては文系の方が得意なジャンルが多いですね」
「じゃあ俺は文系にするよ」
「ええっと……お兄ちゃん……もしかして私に合わせてくれてますか?」
「ただ単に俺の気まぐれが発揮されただけだよ」
人は時として不合理な選択をする。たとえそれが人の半生に関わることだとしてもだ。人間ほど論理に従わない生物もいないのではないかと思う。本能に従う動物ではこんな事は起こりえないだろう。
しかし睡は俺の方を疑わしげに見ていた。
「まあ俺は文理どっちでもいけるしな。数学とか言うマークシート試験の天敵がいないだけでも文系の方が楽と言えば楽だろう」
「なんで数学だとマークシートが難しいんですか?」
「だって、現文なんかだと四択か五択程度だろう? どれを選んでもそれなりの確率で当たるじゃん? 数学は数字の穴埋めそのものをマークさせられるので圧倒的に選択肢が多いんだよ。だって数字の選択肢が一つにつきゼロから九まであるんだぞ」
「お兄ちゃんは楽をするのが好きですね……」
睡は俺のことをダメ人間のように言っている、得意分野を伸ばすことの何が悪いのかは分からない。フルスタックで勉強するより一点突破型の方がいくらか役に立つような気がする。
俺は一学期のテスト結果を思い出す。数学は惨憺たるものだった。哀れと言ってもいいのだろうか、あるいは運が悪かったと言ってもいいだろう。二次関数になった途端に難易度が結構に上がってしまうと言うのに高校では三角関数まで必要になる。sinもcosも考えついたやつはもっと簡単な求め方を思いつかなかったのだろうか? コンピュータを使えばsin関数やcos関数で簡単に求められる。
問題があるとすれば計算機は無理数を扱えないところだろうか? しかしそれでも人間が無理数の十万桁までなど数学者くらいにしか需要がないだろう。
「楽なことをやって何が悪い! 俺は楽な道を選ぶのを人生の座右の銘にしてる。水だって下の方に力を加えなくても流れていく、だったらなんだから人体の六、七割を水分が占めているんだから易きに流れるのは当然と言えるだろう」
「お兄ちゃん、それは屁理屈というものですよ?」
「詭弁の大得意なお前がそれを言うのか……」
睡は遺憾な私情を露わにしている。俺の方を眺めながら、俺に説教を始める。
「いいですかお兄ちゃん? 人生は苦難に立ち向かうものなのですよ? そう、例えば実妹エンドを目指すようなものです。最近は安易に実は義妹でしたなんて言う安直な選択をするのは堕落以外の何者でもありません! (中略)分かりましたかお兄ちゃん!」
俺は睡の言葉に一言反論する。
「もし俺がお前と逆の方に進路を進めてついてこられなかったらどうするんだ?」
睡は刹那の迷いも無く答えた。
「私はお兄ちゃんが進路を決めてから決めるので別方面に進むことはあり得ません!」
堂々と俺にこだわる宣言をするのだが、俺にはあまりにも重い事実だった。
「分かったよ。文系だ文系、コレで満足いくんだろう?」
「なるほどなるほど、文系志望なんですね! 一応文系の理由を教えておいてもらえますか?」
「数学の点数より現代文と英語の成績が良かったからだぞ」
睡はそう聞いて俺に一つのことを要求した。
「お兄ちゃん? 文理選択の希望届を持ってますよね? アレをください」
は!?
「え? なんで?」
「私がボールペンで書いておきますからそれをそのまま提出してください。もちろん替えの用紙をもらうのは無しですからね?」
そこまでするか普通! 選挙じゃないんだからさあ、そんなあらかじめ書いておくなんてあまりにも卑怯じゃないだろうか。
とはいえ、睡が手段を選ばないのは昨日今日に始まったことではないのでそれも諦めが必要だ。
俺は人生の選択をしているというのに決定権を睡にまるっきり預けている。しかしながら『睡に決定権を預ける』という選択をしたのは間違いなく俺であり、この文理選択もある意味で完全に俺の意向が反映されていると言える。
そう決心した以上俺は鞄から一枚の用紙を取り出す。正直なところまだ悩んでいたのですっかり白紙のままだった。
睡にそれを渡すと愛おしそうに受け取って胸にギュッと抱いている。大事なものだからと言うよりは『絶対に離してなるものか』という意志の方が強そうだった。
「じゃあお兄ちゃん、両方とも文系で書いておきますね! そのまま書き換えることなく提出してくださいね!」
睡の精一杯の笑顔を奪う気もなれず、文系には多少の興味もあったりはするので悪い選択肢ではないだろう。
幸いにして学校の現文教師はまともであり、お気持ちを察して自由に書けだのと言った一言矛盾な問題も高校教師ともなると出さないようだった。そこは自由記述がお気持ち作文だった小中とは大きな違いだろう。
「ではお兄ちゃん! 私が希望表を書いておきますね!」
そう言って部屋を出て行った。俺は何が正しいのか、そもそも正解などと言う都合のいいものがあるのかどうかさえ分からなかった。
しかしダメ人間の誹りを受けるかもしれないが、自分の将来を他者任せにすることは確かに楽な選択あることは理解できた。
俺は睡を見送ってから、文系とはどんなものなのだろうと考えをめぐらすのだった。
――妹の部屋
「お兄ちゃんの進路を私が決める!」
何度言っても心が躍りますね! お兄ちゃんの将来が私の手の中にある、限りなく万能の力を持っているように思えました。
私はきっとお兄ちゃんに責任を負うのでしょう。ならばお兄ちゃんと一生の付き合いをするのがお兄ちゃんの進路を決心した以上のくらいの義務は喜んで受け入れましょう。
私はどちらにも同じ文系の希望を書いて、二枚の紙を並べてパシャリとスマホで写真を撮ってローカルとsdカードとクラウドストレージにバックアップを取っておくのでした。




